2005.12.30.
一日早い「年越しそば」を今朝、いただきました。
お世話になっている、取引先のM社が今日仕事納の日だから、ご挨拶に伺ったら、社長はじめ全員で「年越しそば」を食べておられました。私にもどうぞめしあがって下さいということで、美味しいそばをいただきました。我が家では明日の夜、紅白歌合戦なるものが終わる頃、かみさんが「年越しそば」をつくって出すんですが、私は毎年、その頃は酩酊いたしておりまして、まともに食った事がありません。今年はもこれで食べなくていいようですね・・・・・。


2005.12.28.
今朝6時ちょっと過ぎに、長男夫婦に元気な男の子が誕生しました。
赤ちゃんが今日生まれるという事で、かみさんと昨日から北九州の息子のところへ行ってましたが、予定通り、嫁が元気な子を出産しました。最近は生まれる前から、男の子か女の子かお医者さんに聞けばわかるそうですが、息子達も今度は男の子、と知らされたようでもう名前も決めてたようです。だから早速、出生届に名前を書いて今日中に届けるようです。時代は変わったものです。
私は午前中に自宅へ帰ってきました。かみさんは2,3日後にもうすぐ3歳になる孫と、息子を伴って帰ってきます。今年の年末年始は孫守に追われそうですな。
さて、今日からいよいよ消防団の歳末警戒が始まります。私も3日間出動します。今年は例年以上に寒い警戒になりそうですね。 本年の年末年始が無火災であることを祈りたいと思います。


2005.12.26.
昨日は、故H先生の葬式の受付の手伝いをおおせつかり、一昨日の夜の宴会の二日酔いの頭を引きずりながら、参列方々出席してきました。
H先生は現役の頃、母校の国語の先生をされており、私の恩師でもあります。普段は温厚でまじめな先生でしたが、曲がった事をすると烈火のごとく起こられる怖い先生でもありました。昨日もそういう先生を慕って、同窓生の、今はT市の商工会議所の会頭をしているM君が弔辞をよみました。他にも同窓生である県議のI君など多数参列していて、生前親しくされていた森重久弥の詩の朗読の流れる中、厳粛に式は行われました。享年83歳でした。
昨日は競馬の有馬記念がありました。ダントツ人気の「デイークインパクト」は惜しくも2着に終わりましたが、私はデイークがらみで買っていたので損はしないで済みました。負けたとはいえほんとに強い馬ですね。


2005.12.24.
今日は世間ではクリスマスイブ。早いもので、明日からあと一週間で今年も終わり。
きょうは、今年最後の忘年会を、我が家で開催予定です。しかし、かみさん関係の人の、不幸ごとがありまして今晩が御通夜、明日が葬式。私はお通夜は不義理をして明日の葬式だけに行く事にしましょう。
H先生のご冥福をお祈りたします。合掌。


2005.12.22.
今朝は寒かったですねー。日本中冷え切っているようですが、我が家の回りもすっかり雪化粧です。
年に1,2度我が家から町道へ続く坂道を雪で凍って、車が降りられない時がありますが、今朝はその日のひとつでした。かみさんはこんな日は、子供の時に戻ったようにはしゃぎます。子供の頃、大雪で学校へ行かなくてよかった時代の心のようです。なんだかわかるような気がします。しかし現実はそうも言ってはいられません。残り少ない今年の貴重なウイークデイ、ゆっくりと車を半分凍った坂道から下ろし、用事を済ませてきました。
  
我が家からの雪景色。  今年は柿の大豊作。柿も帽子をかぶってます。

2005.12.20.
ちゃんぽんの美味しい店といえば、まず最初に「井手ちゃんぽん」というくらい美味しいいんですが、ここ数年支店を出してます。佐世保、佐賀、三川内(ここは伊万里店の系列かな?)などにあるようです。
どの店も行った事はありますが、北方本店のあのおやじが作る、あの強烈な味を知ってるものにとってどの店も少し物足りないものがありました。
今日、久しぶりに佐賀の「井手ちゃんぽん」によったら、昼時でしたが北方と同じく行列が出来るくらいたくさんの客で繁盛してました。味も北方と遜色ないくらい深みがありました。ただ、もやしをはじめ具が少し煮詰めすぎだったようです。北方本店のもやしのあのしゃりしゃり感は、すばやく仕上げる北方店には追いついてないようでした。でも全体的には満足でした。他の店にも近いうちに行ってみましょうかねー・・・・・・・。

2005.12.17.
昨日は、かみさんの5?歳の誕生日でしたので、夜のハウステンボスへ出かけてきました。あいにく、寒い雨の降る天気でしたが、綺麗なイルミネーションの飾りにかみさんはご機嫌でした。来年の誕生日は何処へ行こうか、もう考えているかみさんです・・・・・・・・。
 
雨の夜のHTBの街のイルミネーション 。        気の早いサンタクロース。                



2005.12.16.
昨晩は、Rクラブの家族忘年会でした。かみさんと揃って参加しましたが、以前は子供達も参加してたのですが、何処も子供達が大きくなって一人も参加しません。ちょっぴり寂しくなりました。それでも親睦委員長さんのリードで楽しい忘年会を過ごさせていただきました
Sさんありがとうございました。ご苦労様でした。


2005.12.15.
風邪もどうやら快復のほうに向かってます。
昨日は娘が孫を連れてやって来たのですが、風邪をうつさないようにするのが大変でした。
その孫ですがもう約7ヶ月にもなるのですがまだ寝返り、うつ伏せになれません。同じ頃生まれた子はもう立てる子もいるようです。娘(親)に似てのんびりしてるのでかねー。
その孫も先日初座りをしました。そうこうする内にすぐ、はいはいをするようになるでしょうから、毎週毎週が楽しみです。
 
心美で〜す。初めてひとりでおすわりしましたよ〜う。

2005.12.14
すっかり風邪を引いてしまいました。しかし昨日は風邪薬を飲んで早めに寝たのがよかったのか、だいぶよくなりました。今日は午前中は例の元一級建築士の姉歯の国会証人喚問があるので養生かたがた、暖かい部屋で国会中継でも見ることにしましょう。


2005.12.12
土曜、日曜と友人のお母さんの葬式に行った以外は久しぶりに家でゆっくりのんびりしていましたが、これがいけなかったようで、今朝は風邪気味です。のどが痛く、寒気がしちょっと熱もあるようです。今日済ませなければならない外の仕事をなるだけ早く済ませて、早めに帰ってくる事にしましょう。


2005.12.9.
友人が話してくれましたが、仕事で伊万里へ行った時、山内町の小学校の前で、丁度朝の登校時に低学年の小学生が横断歩道の前で2,3人手を上げて待ってたそうです。車を止めて、子供達を渡し終わった時、3人ともこちらを振り向いて、きちんと丁寧に頭を深くさげてありがとうございましたと、言ったそうです。
友人はとても嬉しくなり、その日一日心爽やかに仕事が出来た、といっておりました。
今、世間では低学年の小学生が誘拐され、殺されるという痛ましい事件が起こってます。こういう可愛らしい子供達を犯人はどうしたら殺せるのでしょうか。
早く犯人がつかまって欲しいものです。


2005.12.7.
今日は暦の上では「大雪」だそうです。
今冬はたしか暖冬の予想が出ていたようですが、今日も寒い日となっており、先日の雪がまだ雄峰、天山の頂きに残っております。最近の天気予報は確実性があるのですが、やっぱり異常気象ですかねー。
先日の忘年会は、ひとつは会費を払って、わけを話して、早々と退席させていただいて、もうひとつの忘年会に遅ればせながら参加してきました。
物忘れが多くなってきたこの頃、スケジュール表だけは常に持ち歩くようにしなければと反省してます。

2005.12.5.
いよいよ寒くなってまいりました。
昨日はお昼、かみさんが佐賀での親戚の結婚披露宴に参列するため送って行きましたが、平地では雨でしたが、天山の山肌はうっすら雪化粧でした。
今朝はうちから見渡せる家々の屋根にもうっすらと雪が積もってました。
例年より一週間位早い雪だそうです。
寒くなると始まるのが忘年会です。今晩は、その第一弾ですが、見事にダブルブッキングです。この日の前後一週間はぜんぜんその予定がないのに、この日に重なるとは・・・・・。幹事さんに予定日も考えないでOK を出した私のミスです。今晩は、はしごになりそうです。


2005.12.2.
紅葉といいますと東北、北海道の「ななかまど」、或いは京都の「カエデ」や「もみじ」が色あざやかで美しく、九州の山はとてもかないません。でも黄葉では九州の「銀杏」が一番きれいでしょう(と私は思ってます)。車で山のふもとを走ってますと、遠くから緑の森の中にひときわ目立つ黄色い大きな木があるのをあちこちで見かけます。近づいていくとそれは神社やお寺の境内に立つりっぱな銀杏の木です。何故一番綺麗かというとこのように周りが何も紅葉(黄葉)しない中にひとつだけ緑の中にポツンと黄葉してるからです。このコントラストは美しいものです。しかし、もう黄葉も終わりです。後、数日もすると葉は落ちさって、地面が黄色一色になるのもおつなものです。
  
 ある村のお宮の銀杏の木              もう散りかかっててしまった、勢いのある銀杏の木

2005.12.1.
早いもので今日から師走。2005年もあと一ヶ月を残すのみとなりました。寒さもだんだん厳しくなり、私の事務所にも2.3日前からストーブが活躍しだしました。
師走は何故か気ぜわしくなり、道行く人車もあわただしくなるのは何故でしょうね。あと一ヶ月、本年も無事でありますよう、気を引き締めて頑張りましょう。


2005.11.28.
九州場所も終わってみれば、朝青龍の圧倒的勝利!。記録ずくめの優勝。おまけに琴欧州も活躍して来場所、大関昇進は間違いなし。なにせ今場所、唯一朝青龍を倒したんですから。大関になってもどうどうと大関らしく朝青龍と対等に戦える人でしょう。日本の他の力士はどうしているんでしょうね。角番を何度も迎えてる人たちは勝ち越すのにきゅうきゅうのようですねー。大相撲ももうおしまいですかね?・・・・・・。


2005.11.25.
今、世間を騒がせているというか、恐怖を与えているというか、あの姉歯1級建築士に対して、同業者として憤慨に堪えません!。どうして数値の改ざんをやったのか、それによってどんな気持ちで計算書を作ったのか、あきれてものが言えません。建築を人間に例えるなら、構造計算はその骨格を成す、骨の大きさや丈夫さを計りだす最重要な要素です。その基礎的部分が、丈夫にできていなければその人間は、丈夫に育ちませんし長生きできません。
そのような大事な部分の設計を担う姉歯氏は自分の役割の重大さをどのくらい認識していたのでしょうか。人はどれだけ頭がよくても、社会的責任、常識、モラルがなければ社会的人間として失格だと思います。彼は何故、いつからこんな事を思いついたのでしょうか。自分の生活をしていくため?取引先から要求されたから?仕事が欲しかったから?。いろんなプレッシャーがあったかもしれません。しかし同じ建築士として最低の事は守って欲しかったものです。
一級建築士といえども、建築の全てを網羅して各分野の細部まで周知徹底しているわけではありません。もちろん、一級建築試験の試験には設計計画、施工、設備、法規、設計実技等全ての分野の科目に合格しなければいけません。医学でも医師国家試験に合格しても外科、内科、眼科、耳鼻科、麻酔科、等専門に分かれていくように、建築士も資格をとってそれぞれ得意の分野で働く事になるわけです。
彼のように構造を専門にする人、また人間の形成に例えるなら、人間の体格、容姿を決定する設計、計画部門、その体格を造っていく施行部門、内臓部分を造る設備部門、性格を造る法規部門などそれぞれの専門分野でしっかり働いているのです。そうやってたくさんの建築士が力をあわせてひとつの建物を造り上げていくのです。その全ての分野の建築士も被害をこうむっているといっても過言ではありません。
全ての建築士が気持ちをを引き締めて、彼のために落ちた建築士としての社会的信頼を、回復するため謙虚にまじめに働く時だと思っております。


2005.11.24
宮崎へ行ってきました。
佐賀県からだと宮崎県は九州で一番遠いところに当たります。
だから今迄、中学校時代の修学旅行を含めて、2回しか行った事がありませんでした。
やっぱり遠かったですね。往復の走行距離約900キロ、久しぶりの長距離運転でした。
宮崎県は今年夏、集中豪雨で大災害にあったことは知ってましたが、いまだにその痕跡が残ってました。
小林市から綾の大吊橋を目指していたところ、目的地の5キロぐらい手前、県道28号線が途中全面通行止めになっていて、20数キロ後戻りして大きく迂回する羽目になりました。又、日南市の飫肥から都城市へ抜ける国道222号線を走っていたところ、これまた10キロくらい行って全面通行止めの小さな看板を見つけて、又飫肥まで戻り大きく迂回する事になりました。
よく通る人、宮崎県民の方、は知っている事でしょうが、遠くから来た観光客にはやや不親切だなと感じました。県内の主要な道路の全面通行止めの箇所の案内の看板を、観光地の目立つところに掲げるとか、チラシをお土産店において置くとか何らかの処置をして欲しいものです。観光立国宮崎県なんだから・・・・・・・。
でも南国宮崎はいいものでした。又今回行った霧島は初めて訪れた場所でした。あちこちに温泉郷があってまた行きたいと思ったところです。
いい旅でした。
 
綾の大吊橋                           霧島神宮

2005.11.21
今朝もいい天気になってます。これから2.3日はいい天気が続きそうで何よりです。
それでは出かけてきます。


2005.11.20
昨日から今日まで、大町町の町、商工会、JAあげての秋祭りが大町の中心地、オリオンプラザ、公民館であってます。いろんなイベントが催されているようですが、今年はメーンエヴェントの駕篭かき競争が取りやめになってるようです。出場者が年々減少、マンネリ化していることもあるでしょうが、一番は予算、、補助金がないことでしょう。子供駕篭かきはあってるようですが、町民としては残念な事です。私は昨日も今日も他の用事があって会場にいけそうにありませんが、かみさんは昨日、踊りの「振り付けコンテス」の審査員として参加してました。   私も商工会員の義務として、鹿島での用事が終わり次第会場に顔を見せてこようかな・・・・・。


2005.11.18.
先日たまたま、隣町の白石町のガイドマップを見ていたら、福富海岸にシチメンソウの群落があると載ってましたので、白石から佐賀へ行く用事があったので途中立ち寄ってみました。シチメンソウの群落は、昭和天皇も興味を示されたという東与賀町の干潟にあるのが有名ですが、福富の六角川の河口付近にあるとは知りませんでした。シチメンソウは干潟の海岸沿いに生える塩生植物で、11月初旬、全体の色が緑から赤に変わった時が見ごろです。その様変わりが七面鳥に似ているからこの名がついたそうです。珍しい植物ですね。丁度この頃は神埼町の九年庵のもみじも見ごろで数年前、東与賀の海岸から、神崎の背振山の麓までかみさんと秋の風物詩をもとめてはしごした事を思い出しました。
住之江(福富)海岸のシチメンソウもきれいでしたよ。丁度訪れた時は満潮の時で、半分海水に浸かりながらゆらいでおりました。
    シチメンソウの群生                    潮がひいたらムツゴロウ君もいるんです。
  
干拓の堤防。干拓地よりも満潮の海の方が高くなってます。  六角川河口。

2005.11.16.
随分寒くなりました。我が家の茶の間にも早、ストーブが登場しました。
今朝は朝焼けがきれいで、雲仙普賢岳がくっきりと見えてました。これから益々寒くなると空気が乾燥して、もっときれいに見えてきます。目覚めが楽しみです。
 
柿の実と朝焼けの普賢岳。                  今朝の日の出。


2005.11.15.
月曜日は、嫁いだ娘が孫を連れてやってくるというのが定着して、私も日々成長していく孫の顔がみられるという事で楽しみにしております。
昨日のお昼ご飯は、山内町の「なな菜」という、地元農家の方が作った野菜を中心に、バイキング形式で食事が出来るというところへ、かみさんと娘、孫で行って来ました。こういう店が最近あちこちに出来ているようですね。
この店も評判がいいらしく、順番待ちの行列が出来ておりました。値段は¥1,200で30〜40品の料理が常時提供されるそうです。一品一品、見た目もきれいで、大変美味しくヘルシーなものばかりでした。女性思考の料理ですね。店内を見渡すと、お客様の9割は女性でした。
バイキングだからと欲張って食べ過ぎないようにしましょうね、みなさん・・・・。

2005.11.14.
昨日は親戚の供養で、久しぶりに「正昭寺」に行って来ました。ここの本堂、庫裏は昭和63年に私が新築の設計、監理をさせていただきました。あれから、18年経ってますが建物のくるい、傷みは目視では殆んど見当たりませんでした。手入れもよく行き届いているようでした。
ここの本堂庫裏の新築のおもいたちは、炭鉱の鉱害で土地の不動沈下がおこり旧本堂庫裏の復旧がなされる事になった時、思い切って新築に変更されたからでした。当時の御住職様、建設委員の方には大変信頼され、誇りを持って設計監理にあたり、力が入ったことを思い出されます。
というわけで、設計にあたり一番に気を使ったことが、建物の沈下でした。基礎はべた基礎にし、その下にはPC杭を等間隔に打ちました。岩盤まで18mほどだったように覚えてます。
しっかり建物がしている事は設計者冥利に尽きます。もちろん使う人の建物に対する手入れ、愛情があってこそものだと考えております。
現在御住職も交代され、住職が世襲制でないことにあらためて気づきました。
今度の御住職は20代半ばと若く、人間性もよいようで、「正昭寺」の檀家の方も一安心されたのではないかと思いました。
和尚さんの読経を聞きながら、故人の思い出と、建築当時の思い出が交錯してよみがえってきた次第でした。
 
正面外観                           記念石碑
 
本堂入口                           主要柱はケヤキ、梁は楠を使用  

2005.11.12.
北九州に住む息子の嫁さんからрェあり、来年から保育園へ入る予定の孫の「陶子」の面接があり無事、入園出来そうだとのこと。子供の成長は早いもので、この3年弱の間、あれよあれよと大きくなりました。話す言葉もはっきりしてきたし、自分の考え、こちらの言う事も理解するようになったし、来年4月の入園式が楽しみです。その頃は「弟」も首が据わった頃かな・・・・。
今日は昼から、私の所属するRクラブの地区大会が唐津で予定されいます。、ジャーナリスト、嶌 信彦氏の講演も聴きたかったのですが、もうひとつ同じ時間帯で、佐賀県建築士会の青年部拡大協議会が白石で開催されます。今年度は私の所属する支部の青年部が協議会運営を担当してますので、親会の一員としてこちらのほうに参加してきます。両方とも終了後、懇親会が予定されてますが、今日は両方ともパスして、我が家の「三夜待ち」で盛り上がりたいと思ってます。


2005.11.11.
昨日は、私が携わっている、T委員会の九州大会が福岡のシーホークホテルでありましたので参加してきました。自宅を9時30分に出て、帰宅は21時。一日がかりの行動でした。約1,100人の参加者でした。大会の中で表彰や、シンポジウムがありましたがその間、硬い椅子に5時間ほど座りっぱなしでした。表彰とシンポジウムの間10分間休憩がありましたが、シンポジウムは3時間休憩なし。エアコンの調整が難しいのか汗かいたり、寒くなったりしてました。途中、具合が悪くなって担架で運ばれる人もいました。参加者の平均年齢は60歳を越えてるでしょう。こういう状況を考えれば、若い人ばかりなら兎も角、途中リラックスタイムの休憩を入れるべきでではなかったかと考えた次第でした。
その後、懇親会がありましたが、さすがJALリゾートシーホークホテル、料理ももてなすスタッフも一流でした。

2005.11.9.
今日も黄砂がひどかったのですが、今朝のラジオで気象予報士の森田さんが、この時期黄砂が飛んできているのは、中国の西方地区で、毎年神奈川県位の面積が砂漠化して行ってるからだと、言ってました。怖い話です。
今日は佐世保へ行って、その後八女市まで行きましたが、丁度昼飯時が筑後の城島町あたりになりましたので、久しぶりに、T屋のうなぎを食べる事にしました。この城島の黒田地区はうなぎ屋さんが数軒点在してますが、私は以前からこのT屋のうなぎがお好みです。他の2.3軒も食べた事がありますが、それぞれ焼き具合、タレに特徴があってそれなりにうまいのですが、やっぱりT屋のが一番合いますね。只、共通しているのはどこもうなぎがふっくらとして、適度な油分なのがいいですね。又、お茶といっしょに出るサービスのうなぎの骨は絶品です。次は同じくうなぎ大好きのかみさんと来る事にしましょう。その時はせいろ蒸しかな・・・・。
 
うなぎの骨のから揚げ                    肝吸い、ご飯もふっくらして美味しかったですよ。    
2005.11.8.
季節外れの黄砂で、午前中は霧が降ったかのような状態でしたね。
昨日も黄砂が降りてましたし、11月なのに暖かい日が続くし、これも異常気象のせいでしょうか。
秋は秋らしくあって欲しいものです。


2005.11.6.
今朝は大雨洪水警報が出るくらい、久しぶりに本格的な雨になりました。
今日は午前中、11月9日より始まる秋の火災予防運動の町内啓蒙パレードに参加してきます。先導車他消防車8台を連ねて巡回しますが、これから冬にかけておきやすい火災に十分注意していただくよう、祈念しながら行きたいと思います。
その後はこの雨です、家でゆっくりしましょうかねー。


2005.11.4.
昨日は、大町の文化連盟主催の文化祭が大町公民館でありまして、朝のうちに息子家族と公民館に出かけてきました。3階のホールでは朝から夕方まで謡曲やハワイアンダンス、カラオケ、大正琴、社交ダンス、日舞、民舞のクラブや同好会のみなさんの発表会があってましたが、2階では生け花や手芸や茶道、水彩画、書道など愛好会同好会の展示や発表もあってました。
2階の一番奥でお茶がいただけると聞いたので、番茶でもいただけるものと気軽に息子達と行って見ると、なんと茶室に通されて、本格的にお茶を一服いただくことになりました。公民館の2階の一角に茶室があるとは今まで知りませんでした。偶然にも兄も来ていて親戚揃って結構なお手前のお茶を頂いた次第でした。
そのあと天候も回復したので、気候のいいハウステンボスを散策してきました。
 
神妙な息子夫婦と兄                      手芸クラブの義姉の作品 兄のベスト
 
同じく義姉の作品 夫婦鳥                  ハウステンボスの女性船長と運河


2005.11.3.
昨日、息子親子が、休暇が取れたということで帰ってきました。というわけで昨晩は娘夫婦を交えての食事会となりました。ただかみさんは、今日の町の文化祭の準備で昨晩もばたばたしてまして、ゆっくり孫達の相手が出来ず残念そうでした。
11月3日文化の日は毎年晴れる「特異日」だそうですが今年は雨になってしまいました。
今日はハウステンボスへでも行こうかと計画していたのですが、雨模様なので近場にしますかね。
昨日から始まった佐賀のバルーン大会も今朝は天候不良で飛び立ってないようです。


2005.11.1.
建物を設計する時、建物のデザインや居住性や、構造の耐久性などを総合的に考えながら設計していくのですがこれらは全て建築基準法に適合してるかをチエックします。そしてもう一つあるのが消防法です。
建築基準法は大地震があったり、又高齢化社会に向けてその都度、基準が改正されていくものですが、消防法の改正でこの度、住宅用火災警報器の設置が義務付けられます。
火災死亡事故の7割が、火災に気付くのに遅れた事に起因しています。住宅用火災警報器は、煙や熱を感知し、警報音や音声で火災を知らせる機器です。火災警報器の設置により、65歳以上の死亡が半減したというデータもあります。設置する場所は就寝をする部屋となってます。2階に寝室がある場合は、避難経路にあたる、階段の踊り場の天井や壁にも設置します。
施行は、新築住宅では平成18年6月1日から。既存の住宅もおいおい付けていくことになります。
これらを取り付け義務が発生した時、悪徳業者の横行が心配です。


2005.10.31.
10月も今日で終わりですね。早いものです。
昨日は大黒町恒例の隣保班対抗グランドゴルフ大会が開催されました。老若男女、和気藹藹の大会です。5人一組でチームを組み、上位3人の点数で勝敗を決めました。我がチームは惜しくも優勝を逃しましたが準優勝を勝ち取る事ができました。一年に一度の経験、グランドゴルフクラブのお年寄りにはかないません。
ただいえることは、グランドゴルフは個人競技だし、誰でも気軽に簡単にできる事はいいですね。
来年は個人賞上位を狙おうっと。
 
ゴルフのパットの名手もグランドゴルフでは・・・・・・・       みんな真剣です。

 成績発表のあとの懇親会風景。

2005.10.30.
昨日午前中、久しぶりにハウステンボスにウオーキングに行ってきました。
入場してすぐに通りかかる、キンデルンダイクという場所は、一年中花のきれいな場所ですが、昨日も色鮮やかな花達が迎えてくれました。この花達を季節季節に植え替えているのは作業員のおもにおばさんたちです。いつもきれいに花を植え替えてくれてありがとうという気持ちになりました。
帰りに佐世保ウインズで今日の天皇賞の馬券をちょっぴり買って帰ってきました。あたりますように。


2005.10.27.
最近よく、八女市へ仕事で行くのですが、佐賀から八女市へ抜ける途中の道路沿いにきれいにコスモスを植えてあるところがあります。何処が、誰が管理しているのかわかりませんが、車で走っている者にとっては心が和みます。「ありがとう」と言いたい気分になります。事故も少ない事でしょう。

セイタカアワダチソウよりいいですよね。


2005.10.26.
庭に咲く、金木犀のいい匂いが事務所の中にも漂ってきます。
この匂いが漂い始めると秋の入口を感じます。
気温も随分下がり始めました。
寒い地方の雪便りが聞こえ始めた今日この頃。
いよいよ佐賀も秋本番です。


2005.10.25
先の土日は予定通り別府へ行ってきました。名湯別府のお湯にゆっくり浸かってきたのですが、こちらの泉質はさっぱりさらさらしているように感じ、普段、地元武雄北方のヌルヌルすべすべしたお湯になれてる私にとって又違った入り心地でした。
土曜日は久しぶりにアフリカンサフアリに立ち寄って、猛獣達を身近に感じてきました。ここは自分の車で走って見物もできますが、やはりバスに乗って触れ合ったほうが迫力があるようです。
あとでわかったのですが、このバスの中の私の二つとなりの席にソフトバンクホークスの松中選手親子が座っていたそうです。本当ならこの日は日本シリーズでこんなところにいることはなかったのにね・・・。奥様は大変美人でした。
あくる日、別府を離れ、豊後高田市の「昭和の町」を見学してきました。ここは町ぐるみ、昭和時代の店、商店街を再現したような町作りをしていて、観光客を呼び込んでいるようです。昔ながらの店をそのまま大事にうまく利用して、一昔前の懐かしさをかもし出していました。こういう商店街の町おこしは、各地の商工業者も大いに参考にするべきではないかと感じた次第でした。
今度はかみさんとゆっくり行きたいものです。




2005.10.22
ずーっと続いた快晴が、昨日あたりから曇りがちの空模様になってきました。しかし曇ってもむしむし感がなく爽やかで、少し肌寒い感じがして秋になった事を体感してす。
今日は昼から地元消防団部の招待で別府へ研修旅行?へ行く事になってます。天気は大きくくづれる事はなさそうなのがなりよりです。


2005.10.20.
今朝は、昨日のおくんちの打ち上げで生ビールを飲みすぎたのがたたって、頭の中がずきんと重い目覚めでした。外を見ると今日もいい天気で、秋の澄んだ空気の中に遠く普賢岳がくっきりと雄姿を見せてました。
空気もうまそうです。
美味しい空気を吸って、早く二日酔いを回復させて働かなくては。

我が家からの雲仙、普賢岳の雄姿。左の小さい富士山みたいな山は眉山で、その左下に島原市があります。

2005.10.19.
今年の我が町の「おくんち」はいい天気に恵まれました。
私も午前中、浮立太鼓に借り出されて行って参りました。朝方は子供達がいなくて、大人だけで各戸を訪問して回りましたが、10時頃からはおくんちという事で早退して来た子供達も加わり、大賑わいの浮立太鼓の巡回になりました。それでも昔に比べるとおくんちも随分寂しくなりました。神社前の長崎街道を数百メートルも馬が走って流鏑馬もあってました。神社の御神輿の巡行のときは、御神輿をくぐると縁起がいいと、たくさんの人が道に出て神輿をくぐったものでした。神社の参道にはいろんな屋台の店がたくさん連なって、少ない小遣いでどれを買おうかと迷ったものでした。しかし、今ではその店も一軒も出ておりません。家では母達がおくんち料理として、美味しい料理をたくさん作っていたものでした。
今、思い出しましたが私の誕生日はおくんちの二日前の17日ですが、小さい頃お袋に「17日はおいの誕生日ばい」というと、お袋は「おくんちの日にいっしょにいおうてやっけんよか。」といわれていたのを覚えてます。
今日、我が地区の子供達は殆んど全員祭りに参加してますが、こんなに子供達がまとまって何かをすることは他にないでしょう。寂しくなったとはいえ、浮立太鼓はいつまでも続けなくては・・・・・。



2005.10.18.
負けたから言うんですけど、パリーグのプレーオフ制は何処かおかしいと思います。
九州のチームだし、ソフトバンクをひそかに応援してました。しかし昨日あえなく敗れ去りパリーグ優勝を逃してしまいました。長いリーグ戦で2位に4.5ゲーム差をつけて1位になったのに、短期決戦のプレーオフで敗れればそれでおしまい。何のための長いリーグ戦だったのでしょうか。何のために必死でリーグ戦を戦い抜いてきたのでしょうか。去年、今年とみてきて納得できません。負けたから言うのです・・・・・。来年もこの制度なのでしょうか。


2005.10.16.
今朝早く、佐賀市へ所用で行って来ましたが、佐賀平野の秋の風物詩のバルーンがもうたくさん飛んでました。稲刈りの終わった天高い秋空の中の穀倉地帯にバルーンが飛ぶと秋が来たなーと実感します。

車の中でふと、呼子の鯵の味醂干しが食べたくなって早々と佐賀での所用を済まし、その足で、呼子の朝市へ行ってきました。今日は日曜日とあって、呼子名物の朝市も観光客の人たちで賑わっていました。
この呼子の朝市のおばちゃんたちが売る、鯵の味醂干しは絶品です。それとイカの一夜干しもビールのつまみにはもってこいです。今晩の酒の肴は最高です。楽しみだなー・・・・・。

イカの干し方もいろいろです。 上 自然天日干し        上 強制天日干し(回転式)

日本三大朝市のひとつ  呼子の朝市風景       イカのたれ焼きを買って、海を見ながら食べました。

2005.10.15.
蒸し暑い一日でした。
我が家の増築造作工事も、今日で大工工事が一段落しました。明日は皆さん休むでしょうから、月曜から塗装やさん、クロスやさん、電気屋さん等が工事に入り、来週いっぱいで、完成するでしょう。我が家の周りは竹やぶと、雑木林がいっぱいで、大きな吸血蚊がうようよいまして、蚊取り線香を何箇所も焚いていたのですが、大工さんも大変な被害にあってました。ずーッと窓を開けっ放しでしたので、家の中の完成後の蚊の退治が大変です。しかしだんだん寒くなると蚊も動きが鈍くなるのでそう心配しなくてもいいのかな。
来週は掃除が大変です。


2005.10.14.
アスベストの問題で、国土交通省は増改築時に石綿除去を義務付ける、という建築其準法改正案を来年提出するそうだ。
当然のことと思います。
平成15年にシックハウス対策として、新築時はもちろん、増改築時にも、居室に当たるところは既存の部分にも24時間換気システムを設置しなければならなくなったように、建物をいじる時は、当然その影響を受けるところはこういうことを適用すべきだあると考えます。もっとも小規模の共同住宅や一般住宅には、そんなにアスベストが耐火材として使用されてるとは思えませんが・・・・・。


2005.10.12.
午前中、武雄へ行って帰ってきましたが、田園地帯はもう稲刈りが終わっているところもありました。
もっとも、最近は稲の種類がいろいろあって、「七夕コシヒカリ」はもうとっくに刈り終わってますし、「ヒノヒカリ」などは今からでしょうか、黄色になりかかった頭をたれてます。以前はひとつの種類を作ってあったのか、日曜日となれば、一斉に稲刈りがあってたようですが、最近は事情が違うようです。いずれにしましても秋が来たなと感じる今日この頃です。


2005.10.11
我が家の増築工事も順調に進んでます。  がっ!
今度の増築は茶の間の南側に縁側を増築しているのですが、当然床の高さは茶の間の畳の高さと、同じにしなくてはなりません。いわゆるバリアフリーというわけです。ところが昨日、床のフローリングをほぼ張り終えたところで、大工さんが6ミリほど、畳の高さより低くなっている事に気付きました。当然張り直しです。基礎の天端をするときから逆算して天端高さを決めるのですが、大工さんがそこで間違ったのでしょうか。それとも根太の厚み、フローリング、コンパネの厚み等の計算違いだったのか。やりかえる方法としては、一旦フローリング、下貼りのコンパネを全部剥ぎ(接着剤で接着しているのでもう使い物になりません)、根太の上に5,5ミリの合板を張りその上にコンパネ、フローリングを張ることにしてもらいました。0,5ミリの差は茶の間と縁側に敷居がきますので、違和感はないと思えます。それにしても一工程と材料賃、手間賃のロスは痛いものです。しかし工事は工事です。しっかりやってもらわないと。

2005.10.10.
昨日は天高い秋空の下、大町町民運動会がありました。私も開会式、町区ごとの入場行進に出席してまいりました。日ごろ人影の少ない我が町ですが、このときばかりは良くぞこんなに人がいるもんだと思うばかり町民がたくさん参加していました。みんな楽しみにしている人がいるもんですね。
しかし、この大町町民運動会も町の予算の関係で、今年が最後とのうわさも聞きました。今年から夏の花火大会も中止になりました。11月の駕篭かき競争も縮小されるようです。合併できなかったしわ寄せがこの辺に出てきているのでしょうか。大町町民は取り残されるのでしょうか。財政緊迫はわかりますが、せめて町民の総意を聞いて何かひとつ大きなイベントを残すような事ができないかと考える次第です。



2005.10.8
久しぶりに息子夫婦が北九州から帰ってきました。
昨日はお隣の幼稚園の運動会があってました。孫の陶子も3歳児未満のかけっこに飛び入り参加して、賞品をいただきました。そのあと、嬉野のメルヘン村へ行って観覧車やメリーゴーランドに乗ったり、リスや子犬と遊びました。

かけっこで御褒美をいただきました。          動物が大好きな陶子です。

2005.10.7.
家の前の、お寺の参道の道沿いに咲く可憐な花です。
とても賢い花で、夕方しぼんで、朝方陽が昇ると花びらを開きます。これが数週間続き楽しませてくれます。
花の名前はなんと言うのでしょうね。花に詳しくない私にはわかりません。

10.7.午前7時30分頃


10.7.午後2時頃

2005.10.6
昨日は、10月なのに何故こんなに蒸し暑いのだ!といいたくなるほど、むしむししてたのですが、今日は朝から涼しい風が吹き渡ってます。やっとカッターシャツの長袖が違和感がないと感じた朝でした。
朝早く家を出て、夕方近く帰ってまいりましたが、我が家のささやかな増築も、大工さんが入って今日は瞬く間に立ちあがってました。出来上がるまで2週間ぐらいでしょうか。ほんのちょっとの工事ですが、大工さんはじめ8業種の工事関係者が入れ替わり立ち代り入ります。塩、米、いりこ、お神酒さんを供えてお清めはいたしましたが、無事、怪我、事故の無いよう出来上がって欲しいものです。


2005.10.5.
昨日の昼ご飯は久しぶりに、鍋島I軒のラーメンが食べたくて、よって見ました。ここはカウンター席に10人程度、いす席が3席の店です。
12時半頃でしたか、中には一組の客がいるだけ。私はいつものラーメン、ライスを注文して待ってました。そのうちその一組も食べ終えて帰ってしまって、客は私一人。この店はいつも昼時は満員状態ですが、この日はこんな状態でした。寡黙な亭主と、いつも愛想のよい従業員(亭主の家族)がカウンターの向こう側にずらりと並ぶのを目の前にひとり黙々と、なんだかみょうな空気の流れる中で、緊張気味に食べました。味も落ちてないようだし、何故客がいないだろうと、不思議な思いで食べてました。金を払って帰るまで客は誰も来ませんでした。
外に出ると、2台の車が停まり、二組がぞろぞろとラーメン屋に入っていきました。評判は落ちてないようです。なんだか安心した次第でした。


2005.10.4.
今朝はどんよりとした空模様で、どうやら今日から明日にかけて久しぶりに本格的に雨が降るようです。
明日は我が家の造作に大工さんが入る予定になってますが、こんな時にあわせて降らないで良さそうにと思う次第です。まーこんな事は長年この仕事に携わっていた私にとって、しょっちゅうあることでした。
いつものように、「雨降って地固まる」、と思いましょう。

2005.10.2.
昨日、福岡に住む従兄弟の奥さんのお父さんが亡くなった、という知らせがあり、兄と二人大野城の斎場での通夜に参列して来ました。
従兄弟のお父さんといっても、もともと私の父方の親戚になるので、遠い存在ではないのです。享年84歳、大変上品でおとなしくて優しい方でした。以前は隣町に住んでおられて、子供は娘ばかり4人。従兄弟の奥さんが長女でしたので、数年前、従兄弟の家の近くに居を移しておられました。従兄弟は2ヶ月前実母を亡くし、今度は義父を亡くし、大変気落ちしてました。お悔やみ申し上げます。
通夜が終わり、大町に帰り着いたのは9時近くでした。兄と二人又、カウンター8人席だけのの焼き鳥屋で生ビールと焼き鳥で、亡くなった叔父さんに献杯をし、我が家へ帰って参りました。・・・・・・・合掌・・・・・・・・。
今日は今から、KさんたくにYさんの一周忌の供養に参列してきます。黒い帯封筒の行事が続きます。

2005.9.30.
昨日巨人軍は、阪神応援団の大観衆の前で、岡田監督の胴上げを見せつけられたようです。悔しかったでしょう。いや悔しくなければいけません!。岡田監督は大観衆を前にインタビューに答え、「ライバルのジャイアンツの前で優勝が決まってうれしい」とわざわざ言ったようです。巨人の選手はこの悔しさを忘れてはいけません!。この悔しさをばねに来期は是非、甲子園球場で原監督を胴上げして欲しいものです。  ガンバレ巨人軍。


2005.9.29.
プロ野球もセパ両リーグともほぼ順位が決まって、来期の監督がうわさされる季節となったようです。
巨人軍の監督も堀内から原監督への交代が間違いないようですね。
巨人フアン(だった)の私にとって、この2年間は暗黒の時期でした。原監督が解任され堀内に代わった時点から巨人関係のテレビ、新聞などスポーツニュースは以前予告したとおり、一切見ませんでした。
ときどき巨人軍の戦いぶりを、耳にするにつれ悔しいというか、哀れに感じていた次第です。
しかし、又来年から巨人フアンに戻れそうです。巨人のフロントには今でも不信感がありますが、原監督がそれらを押さえ、りっぱなスタッフを作ってくれることでしょう。
来年はテレビ中継、スポーツ新聞が今から楽しみです。上京する機会があれば、巨人の応援に東京ドームへ必ず行くぞ!!。


2005.9.28.
先日、秋は果物の美味しい季節。と書きましたが、なかでも私の好きなものが葡萄です。「巨峰」は葡萄の中でも大粒で甘くて、ぷりぷりしてるのは最高です。今がいちばんのシーズンですが、今年は何故かこの巨峰をよく頂いて、毎日冷たく冷えたものをかみさんが食べさせてくれます。これから食卓の果物の王様みかんも美味しくなります。店先のは、まだ青いものが多いようです。みかんも最近は品種改良が進みいろいろのものがあるようです。これからそれらの食べ比べも楽しみの一つです。


2005.9.26.
昨日午前中、サポートセンターに相談が寄せられていた2件の案件を、サポート登録建築士として、同じくサポート建築士のOさんと処理してきました。
ひとつは、古くなった屋根の瓦替えをしたいと思い、数社から見積もりを取ったが、180万から300万近くと見積もりの差があるから、どこに頼んでよいのか、どれが信頼できる見積もりかわからなくなったから相談に乗って欲しいとの依頼でした。
もうひとつは地盤沈下で、家が傾いてきたため、H2年に地上げをしたが、又地盤沈下で家が狂ってきたのでみてもらい、今後の対処の仕方を教えて欲しい、というものでした。
どちらも私達なりの回答をしてきました。
サポート建築士による「わが家の安全、相談・診断」のシステムは佐賀県建築士会及び佐賀県建築士事務所協会が、今年はじめから始めましたが、当初浸透が薄かったせいか、相談件数も少なかったようですが、最近、「消費者センター」や困った事相談のいろんな窓口を通じて、相談が増えてきているようです。この業界で恩恵を受けているものとして、又建築士として、相談があれば時間を割いて現地へ出かけるつもりではいますが、なにせボランテアですので、仕事の合間、相方との時間の調整等難しい面もあるなと感じている次第です。。

2005.9.25.
昨日、今日と爽やかな風が吹いてます。時には台風接近かと思われるような風が吹いてますが、その風も心地よいものに感じます。夜もやっとどうにか、暑さを感じなくなりました。これからは熟睡できる日々が続くでしょう。


2005.9.24.
昨日は、午後から大町町の町議会議長の原田さんの御子息の晃吉君の結婚披露宴に参列してきました。
さすがに長年、議員をしている方、出席者も220人強、国会議員3人、町長3人、県議他、地元の知名士が勢ぞろいという風景でした。新郎の晃吉君は、高校時代から音楽バンドを組み卒業後もその道に進み、一時は「クラックザマリアン」というバンド名でヒット曲?もだし全国的にも有名になった時期がありました。現在40歳、今も定職につきながら、関東でバンド活動を続けているようです。
披露宴会場は、武雄の「御船山観光ホテル」であったのですが、思い起こせば30年前、私とかみさんの結婚式、披露宴もこの会場で行いました。一緒に出席していたかみさんと感慨深いものがあるねと話したものでした。
その時、披露宴で、祝辞を述べてくださった方が、当時佐賀県議会議員初当選間もない、岩永氏でした。今は参議院議員として活躍されてますが、当時も今回もやはり商売、挨拶はうまいものでした。昨日はかみさんも岩永氏に当時の事を話したようですが、あの時の祝辞の中で、岩永氏は私達、新郎新婦に送る言葉として、「三つの袋」のはなしをされました。今ではよく聞く話ですが、私はこの話は今でも心の中で大事にしてます。(時々私も挨拶で流用拝借してます。)
もっとも今ではひとつの袋は無くしてしまいましたが・・・・・・。
あと2ヶ月で結婚30周年。当日は旧婚旅行でも計画しますかな。

2005.9.23.
今日は彼岸の中日。彼岸といえば春、秋必ず咲く、彼岸花。仕事で行った佐賀からの帰り道、遠回りして、小城町江里山地区の彼岸花の群生を見物してきました。ここの彼岸花は有名です。何処か昔の田舎風景がそのまま残っているところで、棚田のあぜ道のあちこちに彼岸花がびっしり咲いていました今日はさすがに、車と見物人が多く、ゆっくり滞在する事もなく、写真を撮ったらそそくさと帰ってきた次第です。今度は、ウイークデイにでも、弁当を持ってきて、棚田風景と彼岸花を眺めながら、ゆっくりしたいと思いました。



2005.9.22.
今日は週一度のRCクラブの例会の日でしたが、その中の自動車運転の関係の仕事の方のお話で、「今、全国交通安全運動の期間中です。」というお話を聞きました。H17,9.21〜9.30の10日間あってるようです。この機会に交通ルールの遵守、交通マナーの実践、交通事故の防止を改めて頭に刻んでおいてください、というお話の他、最近、高齢者の交通死亡事故が多くなっている、というお話もされました。それも歩いてる高齢者の事故が多い、ということです。運転する側もこのことには十分注意しなければいけないんだなということを感じた次第です。毎日車を運転しない日はない私です。この際、もっと気をつけなければ・・・・・・・。


2005.9.21
今朝、台風17,18号が発生したようです。
特に台風17号(サオラー)は25日(日曜)あたりに九州に近づく気配があります。又、注意が必要ですね。

昨晩は佐賀のKさん宅での三夜待ちでした。
いつものようにわいわいがやがや、いろんな話題が出ましたが、昨晩は、一番年長者のYさんの話が話題の中心でした。Yさんは最近というより、以前から、いろんな健康づくりに挑戦しておられる人ですが、最近はショウガの巧妙と風呂での半身浴と指先もみで成果を挙げられているようです。実際、これで数キロやせて身体も軽くなったとのこと。見た目にもすっきり見えます(以前に比べて)。Yさん、これからもいろんな健康増進策に取り組んでいつまでも若くいてください。
それから、コバチャン、奥さん、Tちゃんお世話になりました。

2005.9.20.
今週はカレンダーの黒い数字は火水木の3日しかないんですね。
私は官庁相手の仕事内容が多いので、こんな時は困ります。
しかし、公務員さん、サリーマンは休みが多くていいですね。三日休んで三日仕事して又三日休み。暦の並び次第ではこんな事もあるんですね。私にとっては貴重な黒い数字の三日間です。


2005.9.19.
今日は「敬老の日」という休日で、家でゆっくりしてます。
かみさんがいなかった昨夕、晩酌の酒の肴の惣菜でも買おうかと近くのスーパーへ行ったら、懇意にしている銀行の行員さんが、鉢盛りを買って帰ってました。聞くと親の敬老の祝いをするからとの事。うらやましいなと思いました。思い起こして見ると、同居していた私の両親に敬老のお祝いとしての席をあらためて設けたかな?と、思っても思い出せません。今だったら、孫達(ひ孫)も呼んで賑やかにお祝いをしたのになーと思います。「親孝行、しようと思っても、親はなし。」ですね。昨晩は一人で、今はいない、両親、叔父叔母に献杯して惣菜をつまみながら晩酌でした。
もっとも私も後12年もすれば、老人会に入る資格?ができそうですから、子供達が「敬老」とはならずとも「慰老」のお祝いぐらいしてくれるでしょうか?。
まだまだそれまでは働くぞ!


2005.9.18.
昨日は、以前近くに住んでいて数年前塩田町に引っ越していった、M君の娘さんの結婚披露宴に出席してきました。M君とは消防団仲間で、こちらにいる時は火災消火、訓練等の出動の他よく酒を飲み交わした仲でした。娘のHちゃんも彼女がよちよち歩きから、高校受験の頃まで、地区の浮立太鼓の稽古や分館の児童部の活動などでよく知ってます。その彼女がもう結婚することになったのかと思うと感慨深いものがあり、年の過ぎるのは早いものだなーと感じた次第でした。
彼女の年齢、21歳。嫁ぎ先は最短距離のお隣。マッチャン、寂しくならなくてよかったね。おめでとうございました。

今朝は早朝より我が地区、大黒町の公民館の除草清掃作業に汗を流してきました。例年7月と10月に行うんですが、今年の7月は予定日が雨でできなかったので、2回分まとめて本日行った次第です。7月にやらなかった分、草が伸び放題で、普段より余計汗をかいた気がします。まだ蚊がうじゃうじゃ飛んでいてTシャツ着ていって大失敗でした。各戸一人づつ出てもらってますが、終了後の御苦労賃、ジュース一本。60本ほど出ましたので、約百所帯中60パーセント。先ごろの選挙の投票率よりも悪いですねー。強制ではないのですが、我が分館としても出欠帳簿でも作らないといけないのですかねー・・・・・。


2005.9.16.
一昨晩より、大変涼しくなり、やっと毛布の世話になりました(かみさんが早くより出していたのですがベッドの横で用無しでした)。寝苦しい夜から開放され、二晩続きで夜中に途中で起きることなく、朝まで熟睡する事ができました。天気次第では又暑い寝苦しい夜が来るかもしれませんが、これからは私の好きな季節に入ります。果物もおいしい季節になりました。特に梨、葡萄。おいしい産地があるので楽しみです。柿もいいですね、飲んだ後には。 野菜、魚も益々おいしくなります。食欲の秋とはよく言ったものです。


2005.9.14.
昨日は久しぶりに娘が孫を連れてやってきました。というか私がいない時何回か来たようですが、私が在宅中にと、顔を見せに来てくれたようです。生まれて百日ちょっと経ちますが目もしっかり見えるようで、眼鏡の私をまじまじと観察しているように見えました。これから日に日に表情も、大きさも変わっていくんでしょうね。
 心美(ここみ)でーす。5月25日生まれでーす。

2005.9.13.
選挙が終わってみれば、自民党の圧勝。政局はどうなるんでしょう。新聞、テレビ等を見ていると、あちらこちらの選挙区でいろんなドラマが展開されたようです。いっときははマスコミもネタがあって安心でしょう。
我が佐賀県も今回の選挙で代議士が6人も誕生しました。全人口87万人、全県下3区,しかないのにそれぞれ二人ずつ。小選挙区で各3人、敗者復活戦?で各区から一人ずつ。どうなってるんでしょうね。今日の佐賀新聞では全員揃って仲良く?座談会。これでは以前のように中選挙区と同じですよね。
他の都道府県の人には申し訳ないけど、これで佐賀県はよくなりますよ。きっと・・・・・。


2005.9.12.
昨日は衆議院総選挙の、投票所選挙立会人として、朝7時から、夜8時までの13時間の役を果たしてきました。本当に長い一日でしたがいい経験でした。引き受けたものの13時間、退屈だろうなと、後で後悔したりもしましたが、結構面白かったですよ。投票所の端っこの選挙立会人席から只黙って、投票風景を見ているだけなのですが、投票するそれだけの行為に、人それぞれの行動があって、いろんな人がいて、人間ウオッチングがとても面白かったですよ。
選挙係員の、時間ごとの、入場者の投票率のチエックを聞きながら、我が地区の誰と誰が来たのか、まだだれそれさんが来てないなと考えたり、その人が来るとちゃんとやっぱり来られるんだなと、感心したり安心したりと、してるうちに長い時間もあっという間に過ぎていったような気がしました。最後に投票箱を開票所に無事届け、家路の着いたのは8時20分。
帰宅して、ビールを飲みながら、選挙劇場を見ながら、投票決着をほぼ確認して、眠りについた昨晩でした。


2005.9.11
昨日はかみさんと、故キミ叔母さんの四十九日の法要に、福岡まで行ってきました。法要と納骨式を済ませるということで、お寺でありました。そのお寺というのがA寺という、福岡天神の一等地にあり、大変大きなお寺でした。前にこのお寺のお葬式のことを書いたのですが、さすがにお寺で法要するだけに、立派な法要でした。地下一階の納骨堂の中で、お坊さんの数なんと8人。20分ほどの法要の後、お説教20分。通夜、葬式のとき聞けなかっただけに、ありがたいお説教でした。その後食事を近くのホテルで頂いてほろ酔い気分で帰ってきました。

肥前山口駅発 特急かもめ                   かもめ 車内

福岡 天神 A寺                       博多駅発 特急かもめ
今日は今から選挙の投票立会人としての役で出かけます。初めての経験です。


2005.9.9.
上京している、かみさんも今晩は帰ってきます。昨晩の電話では、上京の目的事は無事成功に終わったようで、みんなで祝杯を挙げたようです。
今日は陽射しが強いのですが、時折吹く風に、秋の匂いをかすかに感じます。もう秋がそこまで来ているのでしょね。秋は又、楽しみの多い季節です。

2005.9.8.
昨晩、テレビを見ていたら、ベランダとバルコニーはどう違うの?というクイズを娯楽番組でタレント達がいろいろ答えを考えてました。結論として、バルコニーは屋根庇が付いてなくて、ベランダは屋根がついている物と結論付けしてました。私の考えからいうと、バルコニーは2階以上の部屋から張り出して手摺で囲われた割りとゆとりのあるスペース、ベランダはバルコニーと同じだが、張り出しが少なく例えば洗濯機や盆栽を置くスペース、というふうに思います。いかがですか。いづれにしろ洋風の建物のイメージですが、最近はいわゆるモダンな和風の家にもバルコニーを付けるところが多くなってきましたね。ちなみにテラスは一階の部屋の前に付けるものだと考えてください。


2005.9.7.
昨日は台風の通過で夕方4時頃まで強い雨、風が吹きましたが、4時過ぎ、その風がぴたりと止みました。どうやら台風が我が町の真上を通ったらしく、台風の目だったようです。それ以後雨はぼちぼち降ったものの風が吹かなかったのは幸いでした。

今朝は台風一過、すがすがしい天気になりました。しかし、家の周りは屋根の上、駐車場、前面道路など、竹の葉、楠の枝、葉、実でいっぱいです。除去掃除が大変です。朝のうちは濡れていて掃きづらいので乾いた夕方にすることにしました。
かみさんは、今日は順調に東京へ飛びたてたようです。
私は朝から、佐世保市、田平町へと仕事で行ってきました。久しぶりに本土最西端の町へと行ってきましたがこちらの海はやっぱりきれいですね。台風が大気の埃を一掃してくれたせいでしょうか、遠くに浮かぶ島々もはっきり、くっきりと洋上に浮かび、波も穏やかで絵の様な景色でした。そういえば、以前はよくこのあたりの島へ魚釣りに行ったものですが、最近はさっぱり行ってなかったですねー。近いうちに暇を作って島の波止場へのんびり竿をたれに行ってみましょうかね。今は何が釣れるのでしょうか。どうせ大物は釣る事ができないので、何でもいいか・・・。


2005.9.6
かみさんが歯を痛めて、鹿島市の歯医者さんに通ってまして、先週の金曜日に、アッシー君として送って行きました。行きがけに、私も「奥歯の歯槽膿漏が気になる」と言ったのが運のつき、かみさんは早速先生に事情を話し、治療をすることとなり、昨日は痛くもない、奥歯の治療に入りました。先生に「痛くはないが臭いが気になる」、と話したらレントゲンを撮り、早速診て貰いましたが、先生いわく、「危ないところでしたよ、このままだと歯が腐ってしまうところでしたよ」、との恐ろしい診察結果。「なんとか歯を抜かないで治療してください。」と懇願して、一回目の診察治療が終わりました。これから一週間に一回通う事になりそうです。
かみさんはというと、昨日治部にガーゼを詰めて貰ったらしく、それを取る為、今朝一番の治療を受けるべく、台風接近のさなか、鹿島へといってきました。もちろん運転は私でした。何しろかみさんは明日、どうしても東京へ発たなければならないのです。ガーゼを詰めたまま行けません。
しかし明日は発てるでしょうか。台風がもろに来ています。のろい台風です。福岡発は早くて明日の昼過ぎからしか運航できないのではないでしょうか。発つ便の予約は11時だそうですが、それは無理として、明日中に発てればいいのですが。今日も朝から東京行きは欠航してるようです。二日分の乗客を昼過ぎから予約客全員東京へ運べるでしょうか。なんとか乗れればいいのですが。
その前に、台風の心配をしなければなりません。

2005.9.5
午前中、車で外で所用を済ませてきましたが、雲がどんよりと押しかぶって、暗くて風も時折突風的に吹いていました。台風はこのまま進むと明日九州に上陸し、我が町へは夕方頃、一番近づくようです。まだ24時間以上あるのにもうこれですから、明日はどうなるのでしょう。我々建築やは、今まで造った建物が被害にあわないのが一番ですが、まづは我が家の台風対策を今日中にやっておく事にしましょう。


2005.9.3
「ナービー」こと、台風14号が九州方面直撃コースで近づいてきています。「非常に強い台風」という事ですので心配です。かみさんは7日(水)に福岡空港から上京予定ですので、台風の進路状況によっては日にちをずらすような事も考えなければなりません。かみさんは前もこういう事態になりました。台風女でしょうか。
今日も暑い日が続いてます・・・・・。

2005.9.2
息子の友人で、鳥取県に在住している、R君のお嫁さんが「けちゃまる」というホームページを開いてます。
彼女は結婚前から粘土で作る人形が得意で、商品として販売などもしていたようです。私も息子からのプレゼントとしてかみさんとふたりの人形を作ってもらってました。写真を送っただけで、よく特徴をつかんでいて、ほのぼのとした作品で、私も気に入っております。その彼女のHPを久しぶりに訪ねたら、以前は載ってなかった私達夫婦の人形が作品群の中のひとつとして、取り上げられていました。又、同じく息子が姉に結婚のお祝いとして送った娘夫婦のカップル人形、息子夫婦も結婚してから作ってもらったのでしょうか、仲良い人形が載ってます。
彼女ももうすぐ出産です。今は製作を中止しているようです。元気な子を産んで又、早く作品を作れるようになってもらいたいものです。
さて、ここでクイズ!。彼女の作品群の中で私とかみさんはどれでしょう?。又、娘、息子夫婦はどれでしょう?。私の顔を知っている人はわかるでしょうね。ただし、私の体形をみて笑わないで下さい。

2005.9.1
9月になったというのに又、暑さがぶり返してきました。
先日、かみさんにタオルケットから毛布に変えてもらったばかりなのに、今朝は蒸し暑く寝苦しい朝を迎えました。今、午後2時ぐらいですがこれから35度ぐらいまで上がるのではないでしょうか。こんな時は事務所でエアコンを効かせて室内業務をこなすとしましょう。   今晩も暑いのかな?。

昨日は、中学校の同級生だったK君と、M君の3人で武雄と、大町の居酒屋で旧交を温めました。
K君はずーっと料理人として生きてきた人ですが、この度独立して店を持とうという決心をしたようです。
空き店舗を物色中でしたが、ほぼ店のあても決まったようですが、その店の外観、あるいは中の配置をなるだけいじらないようにして、いかに自分の得意な料理を提供できるか、思案中のようです。
彼は洋風料理が得意のようで、レストラン、ホテルなどで腕を磨いてきたようです。フランスにも一時修行に行ったと話してました。彼の構想では気取らない、家族で或いは友人同士で気軽に楽しめる料理、場所を提供する、店にしたいと話していました。   さてどんな店をオープンさせるのやら。楽しみです。



2005.8.31.
いよいよ、衆院選が始まりました。
刺客だの、落下傘候補だの、いろいろ話題の候補が出揃い、激しい選挙戦になりそうです。我が町の選挙区、佐賀県2区は保守地盤の厚い所で、今まで保守候補が楽勝してきたところですが、郵政民営化に反対した今村候補も今回ばかりは苦戦しそうです。選挙活動に参加しない私としては、今回の選挙はへたなドラマを見るより面白いものといえます。しかし、選挙に携わっている人たちにとっては、来月の11日夜、結果が出るまでは、短くて長い、長くて短い日々になるでしょう。それぞれの皆さんの奮闘を祈りたいと思います。


2005.8.30.
二日続きの深酒で、さすがに今朝は、瞼の重い寝起きでした。
昨晩の叙勲受賞祝賀会は、4人の方が対象で、大体大町在住者は一年に一人が受賞されている勘定になるようです。会場には発起人の町長、、町議会議長をはじめ町の何らかの役を担っている知名士 、有力者、それに町の課長以上が参加しておりました。私も消防団の幹部として参加しましたが、私の兄も町の老友会連合会の副会長として、参加しておりました。私と兄は約15歳違います。会場では私と兄が兄弟だとはじめて知った人もおりました。 終わり次第まっすぐ帰宅の予定でしたが、帰る方向が同じ兄に誘われて(いや私が誘ったのかな?)、二人で、カウンター8席のみの焼き鳥屋で、生ビールを数杯飲んで帰ってきた次第です。そういえば最近、兄とこうやって外で二人で飲む機会が増えたような気がします。数年前までは考えられない事でした。
健康に注意して又、そのうち兄と焼き鳥屋で飲むことにしましょう。


2005.8.29.
昨日は、大町消防団の夏季訓練が開催され、参加してきました。朝未明に雨が、降り出して、当日の開催が危ぶまれましたが、天気予報を見ると、天気は回復の方向へ向かってましたし、グランドコンデションもよかったので挙行されました。この日の披露の為、8月17日から10日間、毎朝6時から7時まで選抜された30人の団員で、消防の訓練礼式である、「小隊訓練」を練習してきましたが、本番の昨日は見事なできでありました。私も毎朝5時起きで練習に付き合いましたが、今日からはそれも開放されました。しかし早寝早起きの癖が抜けず、今日も4時半頃は目が覚めました。もっとも昨日は、夏季訓練終了後、幹部連中と、昼から反省会としょうし、生ビールを挙げましたので、就寝も早かった次第です。
そして今晩は、大町在住で、ここ数年で叙勲をされた、数名の方の「叙勲受賞祝賀会」が開催されますので、参加してきます。    飲み過ぎないようにしなければ・・・・・・・。


2005.8.27.

久しぶりにハウステンボスへ行ってきました。開園1時間くらいですが、ご覧のように人はまばらです。
季節の変わり目で、大きなイベントもないからでしょうか。昼からは人影は多くなるんでしょうか。
散歩には丁度よい、天気、気候でした。帰りに、例によって、ウインズで、今日のメインエベントの小倉10レースの馬券を買ってきました。あたるかな?


2005.8.26.
昨日午後から、サポーター登録建築士の研修会に出席してきました。
今、大変問題になってるアスベスト問題に関する対応、対策についても勉強しました。
講師の佐賀県県土づくり建築住宅課の建築指導担当者の話によれば、この問題が報道されて以来、県の建築課、保健所等に問い合わせが沢山きていて対応に追われているとの話がありました。
アスベストは、石綿とも呼ばれる、天然の鉱物繊維です。
アスベストはその9割以上が建材製品に使用されております。住宅にも使用されてます。
アスベストは、その繊維が極めて細いため、大気中に飛散すること、吸い込む事が大きな問題になってます。
一旦吸い込んだアスベストの一部は異物として痰の中に混ざり、体外に排出されますが、大量のアスベストを吸い込んだ場合や、大きなアスベストは除去されず、肺内に蓄積されると言われてます。これが問題になってるわけです。アスベストはビルの耐火材、耐熱材としてS31年〜S50年初頭まで使用されておりそれらのビルが解体時期に入っております。解体するとき、使用されたアスベストが飛散するのを防ぐ対策が必要となるわけです。
只、言える事は、住宅の屋根材、外壁材、内壁下地材などにアスベストが使用されていましたが、これらはアスベスト成形板と言われセメント、石膏などと固めて成形されていますので、飛散することはほぼありません。今はアスベストは使用されておりませんが、住宅の内部を解体したり撤去する時は、散水し十分湿潤状態にする必要があるといえます。

2005.8.25.
今朝、インターネットを開こうとしたのですが、つながりませんでした。2.3回立ち上げからやり直しても、開きません。いろいろ私でできる対策を試したのですができませんでした。原因がわからないまま、急ぐ用も無いのでそのまま出かけておりました。そして今(夕方)やっと開くようになってました。どうやら、ISPのセンター機器の障害で、未明より昼過ぎまで、つながらなかったようです。インターネットが必要に迫られていた方は、困ったでしょうね。
インターネットも最初は趣味程度でしたが、今は何かと仕事にも必要になってきたりしております。これから益々必要になるでしょうね。その為にもこれからパソコンの取り扱いの技術を高めていかなければと思った事件でした。


2005.8.24.
先日、私の車にもやっとETCを取り付けました。高速道の入口、出口の料金所でETC車は専用出口からすいすい出て行けるわけですが、取り付け費用もいるし、それだけのメリットがあるかなと思い、今まで付けてなかったのですが、今回思い切って取り付けてみました。
やはり便利ですね。入口もそうですが、降り口で車が料金支払いのため並んでる中、料金をいちいち精算しないで専用出口からスーッと出て行けるのは、優越感すら感じます。
昨日は、諫早まで行きました。普段はした道をのんびり帰ってくるのですが、娘が孫を連れて帰ってきているというので、高速道を急いで帰ってきたのですが、こういうときはETCが威力を発揮しました。
孫もあと2日で3ヶ月になろうとしてますが、随分目も見えるようになっていて、首も据わり掛けてきたようです。
抱いて笑いかけると、笑い返してくれるようになりました。可愛いものです。しかし泣き出すとまだまだ私の手に負えません。すぐに母親と交代です。勝手なものです。
これからの成長が楽しみです。



2005.8.22.
天草へ、バスツアーへ行ってきました。
気のおけない仲間7人、それに奥方6人(一人都合で不参加)の計13人でバス会社のツアーにのっての日帰り旅行でした。その名も{鯛・ひらめ食べ放題!!と天草向陽寺のギター説法} 旅行代金¥5.800!。
早朝より集合場所の駅前のバス停でバスに乗り込み、各地で他の客をひろい、総勢30人。車内ゆったりのバス旅行でした。11時半、予定通り天草のホテルに着き、早速食事が始まりました。正直言って料理については半信半疑でそう期待しないほうがいいかなと思ってました。なにせ食べ放題ですから・・・。こういうものは品の落ちるものか、追加するといやな顔をされるに決まってる、と思ってました。しかし、思いに反して、魚は新鮮だし、お代わりも、気持ちよく出してくれました。納得です。
ギター説法も面白かったですよ。ギター弾きながら音楽にのせて、説教されるのかと思ってたのですが、そうではなかったのでその点、がっかりしましたが、語り口が面白く、たまには公麻呂調で笑いを誘い、わかりやすく仏教の教えを説いておられました。和尚は昔ジャズをやってたそうで、最後にギター抱えての「清水次郎長」?はさすがにうまかったですね。
このお寺、曹洞宗で、我が家と同じ宗派だったので尚、親しみを感じたのかもしれません。
片道4時間。長いバス旅行でしたが、思い出に残る旅行でした。

鯛・ひらめ食べ放題食卓風景。

2005.8.20.
久しぶりの本格的な、雨になりました。
蒸し暑かった夜も昨日あたりから、朝方などは爽やかさを感じるようになりました。
やっぱりお盆を過ぎるとこうなるんですね。
この雨で、地温が下がり、寝苦しい夜が解消されればと期待したいところです。


2005.8.19.
ゴーヤのおいしい季節です。
以前、私が ゴーヤ料理に凝ってる時、神奈川に住んでいる姉に、ゴーヤの簡単な料理として、伝授?した一品料理を、毎日のように食べているとメールがきました。私はすっかりこの料理を忘れていました。作り方は、まずゴーヤの種の部分をしっかり取り除き、薄く半月上に刻み、熱湯でサッと茹で、冷水に取り、水気を切って、「しおっぺ」の昆布とあえる。といういたって手間の掛からない簡単な料理です。(こうでしたかね?ねえちゃん)
 私も久しぶりに作ってみました。 
 これがうまいんです。ビールのつまみにもってこいです。ゴーヤをたくさん頂いてますので、しばらくはこの料理が晩酌の友になりそうです。


2005.8.17
暑い日が続きます。昨日は東北で大きな地震があったようですが、お盆帰りの人はこの暑さと、交通マヒで大変だったでしょう。
我が家は、息子親子も早めに仕事場へ帰っていったので、昨日より、又静かな生活に戻りました。
まだまだ残暑厳しい天候が続きそうですが、早くさわやかな気候になってもらいたいものです。


2005.8.16
お盆で里帰りしていた、ご先祖様は、昨夕西方浄土へ帰っていきました。
夕方、陽がすっかり沈んだ頃、港町の六角川の精霊船をお見送りする場所には、初盆で始めての里帰りをした人を運ぶ、たくさんの精霊船が並び、順番に、六角川の流れに乗って旅立っていっておりました。
この大町の精霊船のお見送り場所には、町外の方も来ておられる様で、毎年その数が増えてるように思えます。思えば子供の頃、先祖のお見送りは、コモに包んだ仏壇に供えていた果物などを、六角川にぽんと投げ入れていた事を思い出します。今はそんな事をしたら大変です。現在は大町商工会、青年部の若者が、精霊船の見送りを請け負って、丁寧に川へ流し、回収もしております。コモに包んだ一般のお供え物は、流さず、線香の煙とともに、土手の一角で供養をしています。
又、一年後元気でご先祖様をお迎えできますよう、お祈りしました。   合掌。


2005.8.15
お盆というぎー、昨年までは、大町の恒例の盆踊り、そいに引き続き、ボタ山の上に花火が上がー、花火大会のありよったとです。そいに毎年消防団の一員として花火警戒にあたっとったとです。
そいが今年からは中止になったとです。ほっとする面もあったばってん、一町民にすっぎー淋しかもんです。そいで消防団員は暇かと思われたやろーか、なんと盆踊りに消防団として踊りに参加すっことになったとです。真ん中に設営されっとった壇上にあげられて、炭坑節ば中学生(当時くらいかな?)以来久しぶりに踊らされる羽目になったとです。もう踊り方なんか覚えとうもんですか。
前のおばさんのおどうとを見よう見まねで踊ったとです。蒸し暑かとと、冷や汗で体中汗びっしょりになったとです。出番が終わっぎ、飛んでうちさん帰って、ビールを一気に飲み干したとです。うまかったー。・・・・



2005.8.14
お盆に入りました。
昨日からご先祖様が各家に帰ってくる事になっていて、お袋から受け継いだそのお迎えの準備をかみさんがやっています。
初盆を迎えたところも多く、昨日は北隣のお母さん(前住職の奥様)、南隣のお父さん(J病院の前理事長院長)も初盆だったのですが、さすがに生前のお付き合いが多かったせいか、おまけに西隣にあるのお墓石群のお墓参りの人と重なって、家の前の道は車と人で大賑わいでした。今日もこの賑わいは続くのでしょうね。


2005.8.13

一昨日は、兄の子が大町に里帰りしましたので、病気入院中の義姉をのぞいて、同じく里帰り中の息子夫婦、そして娘夫婦もよんで、自宅で宴会でした。
昨日の朝は、少々二日酔い気味でしたが、孫との約束で朝から、バイオパークへ行って来ました。あの暑い暑い中を2時間ほど歩いたら、噴出す汗とともに二日酔いも吹っ飛んでしまいました。
帰りに有田へ寄って、焼物ならぬ、「辛子めんたい高菜」を息子たちのお土産にと買ってきました。この辛子高菜がうまいんです。東京の姉たちが里帰りした時は、皿茶碗とともに必ずお土産と自宅用に買って帰ります。
その有田で又うまいもののひとつが 「雅叙苑」のちゃんぽんでしたが、店の前を通ったら貸し店舗になってました。有田の焼物産業もこのところ構造不況に陥ってます。つい先日も中堅の窯元の社長が自殺したと聞きました。不況が続いているんですね。そのせいでしょうか。また有田にひとつ名物店がなくなりました。
先日は、ある有田の人から、自作の手書き、手作りのご飯茶碗、小鉢、皿等を二組ずついただきました。これが薄くて、軽くて形かっこよくて賓がよくて絵柄がよくて、これぞ有田焼!と感じました。早速かみさんとすぐに使わせてもらってます。有田にはこういう職人さんがたくさんいらっしゃいます。有田のこの伝統を不況にも負けず、技能伝承してもらいたいものです。


2005.8.11
佐世保市役所にはよく行くんですが、ここの一階のエレベーター前のトイレには帰り際に、必ず寄って用を済まして帰ります。なんてことは無いそんなに立派なトイレではないんですが、ここはスピーカーからせせらぎの水の音と鳥の声が常に流れていて、実に心地よく感じるからです。公共のトイレは、豪華で広いトイレでなくても、掃除が行き届いてこんな工夫がしてあれば、清涼感があっていいものです。住宅のトイレもBGMでも流す工夫があってもいいかもしれません。今度やってみましょうかね。
 我が愛車にやっとETCを取り付けたので、佐世保の帰りに高速で試してきました。いつも帰りは佐世保大塔ITから佐世保三川内ITの一区間(200円)を利用しますが、今日は急ぐ用事が会ったので、武雄北方ITまで利用してETCを3回利用しました。思ったとおり実に便利ですね。速度20〜30キロに落として進入するとゲートがパッと開いて、サッと通過できるのは快感を感じるくらいでした。はやくつけとけばよかったー。・・・・・


2005.8.10
家の洗濯物干し場のテラス屋根の裏側にスズメバチが巣を作っておりました。これは大変。
早速、DIYの店へ飛んでいって、蜂殺しのスプレーを買ってきました。目標から7〜8メートル離れて噴射してもいいものを買ってきました。一番蜂が集まっていて、行動を始める前の早朝、吹きかけました。スプレーは大変威力があり、数秒でたちまち全滅しました。巣もまだ大きくなりかけで、早く見つけたのがよかったようです。
しかし、便利なものがあるものです。

2005.8.8
久しぶりに娘が赤ん坊を連れて里帰りしました。2週間ほど会ってなかっただけですが、随分表情もかわってきたなと思いました。ベビーの成長は早いものです。
郵便局の民営化の法案が、参院の本会議で反対多数で否決されたようです。小さな政府を目指す、改革の第一弾だったはずです。皆さん総論賛成、各論反対ですか。政局は大変な事になりそうです。


2005,8,7
昨晩は町の鎮守の神、福母八幡宮のお祇園さん祭りがあってたようで、直線距離で80メートルほど離れた神社から、大正琴の演奏や浮立の太鼓の音が響いてきました。
昨日は昼から大雨が降り夕方は止んでいたのですが、一年に一度の大町商店街の縁日の催しはどうやら今日に日延べしたようです。夕方からは雨が降らなかったし、祇園さんの出し物はあってたようなので、どちらかにお互い合せて開催した方がよかったのではないかと、住民の一人として考えているところです。

今日のテレビのサンデープロゼクトという番組で、矢峰町という、合併をしないでやっていこうという方針を立てた町の成功例を放送してました。我が町、大町もこのような町としての取り組みをしたらやっていけるのではないかと、思って見てました。先日、大町町も職員の方が暑い中、庁舎周辺の除草作業をしているのを見ました。いろんな工夫をしながら、小さな町でも独立してやっていければ、小回りが利いて一番いいことではないかと思います。
大町町、頑張れ!。

2005,8,6
最近、武雄に新しいスーパーマーケットを中心とするショッピング街ができたという事でしたので、昨日佐世保へ仕事に行った帰りに寄ってきました。
24時間スーパーを中心に、衣料品専門店、本屋、100円ショップなどが軒を並べてました。
特に本屋さんは、武雄には(こんな事をいっては失礼ですが)大きな、品揃えのある店がなかっただけに、楽しみができたなと思いました。
武雄にはまだもうひとつ、ショッピング街ができているようです。
それにしても、武雄市を中心とするこの周辺は、人口がふえているわけでもないのにこんなに大きなショッピング街ができて成り立つのでしょうか。小さな街中の店は益々さびれ、いよいよスーパーとコンビニの町になるのではないでしょうか。


2005,8,5
うだるような暑さが続いてます。昨日も最高温度36度を越えたようです。毎日寝苦しい夜が続いてますが、この暑さもお盆まででしょう。毎年お盆が過ぎると夜もやっと、涼しいとはいかないまでも、寝苦しさからは開放される事になります。お盆まで暑さに耐えてがんばりましょう。


2005,8,4
7,17付けの日記で、姪がホームページを開いたと紹介しました。
姪は今は自分の実家に親子で住んでいます。実家には母親と長男が住んでいますが、子供の学校の事、作陶のことなどもあって、母親と生活を共にしているわけですが、私が好意的な意味で居候?と書いたことで「抗議」が来ました。言葉って怖いですね。彼女のホームページも盛況のようです。是非見て下さい。


2005,8.3
昨日、用事を作って?、孫も顔を見に娘の嫁ぎ先に行ってきました。家ではおじいちゃんが子守の最中でした。
私も抱きましたが目をちょっと開けただけで又寝てしまいました。相変わらず寝てばかりの子です。まだ目がよく見えないせいでしょう。早く目が見えて人の顔がわかる様になって欲しいものです。


2005,8,2
一昨日、昨日と叔母の通夜、葬儀に参列して参りました。
葬儀は「青山」という市内の葬祭場で行われました。
葬儀を行うお寺は、A寺という福岡の中心部にある大きなお寺です。修行僧が何人もいるお寺だそうです。
もともと従兄弟の檀家寺は私の家と同じ、ふるさと江北町のお寺だったのですが、叔父が福岡に住み着いて、同じ宗派のこのお寺に寺替わりしておりました。
一昨日の通夜は18時から始まる予定でした。私達参列者は、早めに会場に入り、おばさんの遺影を見ながら、和尚さんの来るのを待ちました。 こういう儀式はきっちりと時間厳守で始まるものと思いみんな静かに待ってました。
予定時間より15分くらい経ちました。お坊さんはまだ来ません。情報が横のほうから入ってきました。和尚の到着が遅れているようです。16分ごろ式場の係りの人が叔母さんの位牌をお棺の前に持ってきました。和尚さんが到着したなと思いました。
それから数分、まだ和尚さんは現れません。会場はざわつき始めました。人のよい喪主の従兄弟は申し訳なさそうに苦笑いをしております。
18時40分和尚登場。! 遅れる事40分!
若い和尚です。なにやらA4ぐらいの紙切れを持ってました。会場に一礼、何事も無かったようにお経を読み始めました。私には棒読みに聞こえます。かみさんが横からこっそりいいました。「お父さんがまだうまいね。」私も「うん」とうなづきました。「罰当たりです。!」
お経が終わりました。和尚は何事も無かったように会場に一礼して去っていきました。
終わったあと、また横から情報が入ってきました。どうやら和尚は経本を忘れてきたようです。そこでお寺から経本をフアックスしてもらったようです。それが写りが悪かったようで、しっかり書き写しの時間も要したようです。
 あくる日です。葬儀の予定はは午前11時でした。私はこの日も佐賀から出てきたのですが、10時40分頃会場に着きました。同時に大型のベンツが会場に横付けされました。運転手を含め和尚が三人乗ってました。かばん持ちの修行僧らしい人がドアをうやうやしく開けると、偉そうなお坊さんが降りてきました。そのかばん持ちの修行僧は昨日の坊さんでした。
式場に入って待ってました。又横から情報が入ってきました。今日の葬儀は昨日の遅れを取り戻すため早く始まるという事です?。10時55分、式は始まりました。しっかり昨日の遅れを取り戻すべく、名誉挽回の出来事でした。
火葬の後、初七日まで済ませるからとの従兄弟の希望でしたので、残る事にしました。
火葬の後、「青山」の会場に戻ったのが2時45分頃。3時から3時15分の間に和尚が到着するから着き次第始めるとの会場側の説明でした。私たちは3時に会場に入り和尚を待ちました。
来ません!。三時半になっても来ません。4時近く、やっと和尚が来ました。例の修行僧(見たいな人)です。
和尚は、お位牌の前にすわり、何事も無かったようにお経を読み、何事も無かったように去っていきました。
 叔母さん!、待ちくたびれたでしょう・・・。天国でゆっくり静養して下さい。    合掌!。


2005,8,1
私がこの世に生を受けた時、父方の叔父叔母(夫婦)はあわせて9人いました。
それがだんだん年を経て、この間58年、一人一人欠けていき、最後の叔母である、従兄弟の母が一昨日永眠いたしました。93歳でした。
叔母は父の大変仲のいい弟の奥さんで、私が小さい頃から福岡に住んでいて、年の近い従兄弟もおりまして、この家庭にはよく遊びにいきました。
叔母は大変、品のいい方でした。料理も上手で、貧乏家庭の我が家と違い、夕餉の食卓にはおいしいご馳走がたくさん並んでいたのを思い出します。
昨日、通夜に参列してまいりましたが、これから葬儀に福岡へ参ります。叔母さん安らかにお眠りください。
   合掌。

2005,7,31
上京してましたが、昨晩我が家へ無事帰ってきました。
久しぶりの上京でしたが、東京は相変わらず人が多く、車が多く、何もかもでめまいがしそうでした。
しかし、東京は活気があって、いつも元気をもらって帰ってきます。楽しい旅でした。
東京都心のホテルで2泊、富士山が近くに見える、河口湖で1泊の予定でした。
東京はこちらより、4,50分朝が早く明けます。早起きの私としては朝、時間をもてあまし、ホテル周辺を散歩に出かけたりしました。
そこで今回、田舎者の私が感じた、私の田舎と比べた、東京7不思議。
ひとつ、あれだけ車が走っているのに軽乗用車が殆んど走ってない。
ふたつ、街を歩いてる、あるいは乗り物に乗ってる、老人が少ない。
みっつ、一戸建ての住宅で、瓦屋根が少ない。
よっつ、一戸建て住宅でも敷地いっぱいに建っていて建築基準法でいう採光が確保できてるのだろうか。
いつつ、コンビニが少ない。
むっつ、100円ショップも少ない。
ななつ、揺れる電車で、殆んどの人がつり革につかまらないで、立っている。

コンビニ、100円ショップはこちら以上にあるんでしょうけど、他にいろんな店が多く目立たないんですね。逆に田舎は他に店が少なく、コンビニばかりに見えるんですね。

今回の上京は、東京に所用があったからですが、かみさんが「富士山がまじかに見えるところに泊まりたいね」という一言で、河口湖あたりをインターネットで調べて、一日余計な旅をしてきました。
今回は、富士山の見える宿の予約も、東京からの行き帰りのバスの予約も、初めてインターネットを通じて行いました。便利なものですね。今までインターネットを通じての予約、売買は他人事のように思ってましたが、私にもできるんだという事で、これからは大いに利用したいと思います。

バスで富士スバルラインを通って、富士山5合目まで行ってきました。ここは富士山の車の終着点です。これから先は車は行かないのですが、ここは富士登山の人でいっぱいでした。私もいつかは富士山の頂上へ立ちたいと思ってました。数年後六十を迎える私では無理かと思ってましたが、結構私より随分年上の初老の男女が登ってるんですね。
帰りのバスを待ってる、年の頃65ないし70歳位のおじさんに声をかけたところ、一人で昨日から登って、山小屋に泊まり、今下りて来たところだと言ってました。最近は、北岳、槍ケ岳も一人で登ってきたと言ってました。元気な人もいるものです。
私も65歳までには富士登山に挑戦してみようかな。いやいや四国八十八ヵ所めぐりが先かな。・・・・・・・・・・・・


2005,7,27
、このところ寝苦しい夜が続いてましたが、台風7号の影響か、昨晩は涼しいくらいの気持ちよさでした。
その台風7号、今日から上京予定の私にとって、4,5日前から気がかりでしたが、なんとか搭乗予定時間には、はるか太平洋上へ去っていくみたいです。
これで又、東京も暑くなると天気予報ではいってます。Tシャツを余計もっていくことにしましょう。


2005,7,23
昨日は、武雄の「春慶屋」で、ある人の歓送会があるというので出席してきました。
大町から5人の参加で待ち合わせは、大町役場で5時45分。家から役場まで歩いて約25分。誰も送ってくれる人がいないので、歩いていく事にしました。5時10分頃家を出て、旧長崎街道を歩き始めました。
普段、この大町のメーンストリートは殆んど人が歩いてません。車もたまにしか通りません。
しかし、この時間はさすがに人が歩いて、車もよく動いてます。仕事帰りの人、会社へ戻る車、夕飯の買い物に行くお母さん等。いつもこれくらい人が歩いていると、大町も昔の賑わいが戻ってくるのに、と思いました。
ただ狭い大町、すれ違う車の運転手を見ると殆んど知った人。そのたび手を上げたり、会釈したりしてましたが、そのうち面倒くさくなって、道路の側溝を見て歩きました。
夕方といっても夏真っ盛り。西日を受け続け、役場に着いた時は汗びっしょりでした。
二次会は大町からの参加者、Yさん、Sさん、Mさん、N君と私の5人で、大町の居酒屋Tで気勢を上げて帰ってきました。皆さんご苦労様でした。

2005.7.22
昨晩は「三夜待ち」で、Mさん方にお世話になってきました。Mさん宅は今、奥さんと娘さん(次女)の3人と、別棟のおばあちゃん、それに同じく別棟の長男夫婦孫3人という構成で、いわゆるスープの冷めない距離で同居中です。
うれしくうらやましいのは、我々おじさんたちの宴会の準備を、奥さん、娘さん、お嫁さん総出でして下さる事です。それにこれまたうれしいのは、Mさんが一代で築いた、クレーン会社を、後継者としてすっかり成長したH君が、一人一人お酌をしてくれる事です。本当にMさんはいい教育、いい育て方をしているなといつも感心します。
帰り際も、大変蒸し暑い夜でしたが、まあるいお月様と、満天の星が、たっぷりと水をはった水田に映え、さわやかに通り抜けるそよ風に、ほろ酔い気分のほてったほほが心地よい、気分のよい家路でした。
Mさん、それに家族の皆さんお世話になりました。


2005,7,21
建築材料の石綿材、いわゆるアスベストが最近又、問題化している。、70年80年代にアスベストは鉄骨梁、柱の耐火被服材として、ビルや体育館などで多く用いられていました。これを製造する、工場はもちろん建築現場での作業、そして解体時の粉塵飛散で作業にかかわった人、その家族、、あるいはその周辺にいた一般の人達の被害が深刻化してきてます。数十年前この問題が表面化したとき、大きな対策がなされていたものとばかりに思ってました。もし、これが十分な対策がなされて無いとしたら、これから被害が天文学的に、肥大するかも知れません。石綿という名の材料は住宅の現場でも実はたくさん使われていました。石綿セメント板、彩色石綿板等、軒天材、内壁下地材、屋根材として今でも使われてます。ただこの場合石綿の含有量が5%とか少ないのでそう大きな問題とはなってません。だからそこに住んでいるいる人たちには大きな被害は及びませんが、これを加工する時あるいは解体する時の粉塵などは吸い込まないよう注意したいものです。
近頃は住宅も、以前のような自然材が見直されてきて、健康住宅思考が強くなってきてます。いろんな自然材の新商品が発売されてます。屋根材、外壁材、内壁材、塗料、など自然材の使用が施主の方希望で多くなってきました。施主の方もよく勉強されてますので、私としてもうかうかできません。   
まだまだ勉強せねば。

※私が上記の文を書いた後、細田官房長官がアスベストの健康的被害の危険度を認識しながら、、対策を取らなかったことについて、「もっときっちと対応してればよかった。これまでの体制も反省すべき点が多い。」とコメントを出してます。政府の責任もこれから追及されるでしょう。

2005,7,20
プロ野球巨人軍のフアンの私が、原監督の解任、堀内の監督就任劇を見て、当分の間巨人軍のテレビ観戦はしない、無視する、と決めて一年半が経ちます。
最近の巨人の戦い方は惨めですね。私以外のフアンにも巨人は見放されているようです。
まだ今シーズンも半ば。もう来年の構想がささやかれているようです。つまり、堀内解任、新監督に原、中畑、江川あたりかと。今年の巨人はもう終戦ですか。
いくら巨人戦は見ないといっても、これでは可愛そうになってきました。来年の話は、今シーズンが終わってからにしましょう。
ストーブリーグが楽しみです。・・・・・・・・?   誰かに怒られそうです。


2005,7,19
昨日の月曜日は、夕方、恒例になっていた、北方の「七彩の湯」温泉にかみさんと行ってきました。
このところ娘の里帰りで、ずーっと行けなかったのですが、久しぶりにのんびり、温泉に浸かる事ができました。
ただ、昨日は祭日だったので、いつもより人が多く「気分爽快温泉独り占め」とはいきませんでした。
もうすぐ夏休み、温泉も子供づれで又、混むんでしょうね。


2005,7,18
ようやく、北部九州も昨日、梅雨明けが発表されましたが、今朝は梅雨の名残か、まだむしむしします。
梅雨明け10日、といいますか、これかいっときは、からっとした天気が続いて欲しいものです。
今日は月曜日ですが、世間では「海の日」というのですね。新しい休日でピンときません。私の仕事のいろいろな相手先でも、休んでいたり、仕事していたりでまちまちのようです。私も仕事しようかと思ったのですが、なんだか力が入りません。 まずは現場へ出かけて見ましょう。


2005,7,17
一昨日は、かみさんと二人、夕方より有田のかみさんの実家へ、近くにある、お墓へ1年ぶりのお墓参りをしたあと、里帰りしている、お義母さんはじめ、ご先祖様の仏様へお参りをしてきました。
かみさんの姉さん夫婦、それにかみさんの2番目の兄さんと、実家の一番上の兄さんの甥姪夫婦達と酒を飲みながらわいわいがやがやと夕食をとります。甥姪の子供達も加わって賑やかなものです。
毎年の事ですが、実家の、義姉さんはじめ一緒に住んでる姪たちには大変お世話になりました。
7年前に亡くなった、義母も娘、息子、孫、ひ孫の元気な顔を見て安心して、極楽浄土へ帰って行ったと思います。
実家に居候している?姪がこのたびホームページを立ち上げました。彼女は地元有田の某有名窯元に絵付師として勤めながら、昨年、実家のあずまやの一角に、窯を設けて自分の作品を作り始めました。最近は彼女らしい作品もできてきたようです。どうか彼女のHPも開いてみてください。
アドレス、「http://www,aritanet,ne,jp/^kayohime/ 」 です。窯名としては「翠明窯」といいます。作品の注文も承っているようです。


2005.7.15
今朝は、テレビ生中継で博多山笠のフイナーレ、「追い山」があるというので、早起きして見ました。
四時五十九分、一番山がスタートして櫛田神社入りをし、それから五分おきにつぎつぎと各町の山笠が、しめこみ姿の若い男たち(男衆)にかつがれて走るのは勇壮です。2年ほど前は、現場で見たのですが、自分も参加してかつぎたい、と思ったものでした。今朝も見ていて、血がたぎりました。
この山笠が終わると、本格的な夏がやってきます。これにあわせたように、今朝は油蝉、熊蝉が一斉に鳴きだし、大合唱を始めました。もう梅雨明けも近いのでしょうか。
今日は夕方より、かみさんの実家、有田へお盆参りに行く予定です。


2005.7.13
60歳以上のアルコール中毒者が増えているそうです。
定年退職を向かえ、年金で生活ができるようになると、暇で一日何も予定が無い生活が続くと、酒がすすむのでしょうか。ついつい酒を飲み過ぎるということになるのでしょうか。
我々、団塊の世代といわれる年代の、60歳到達があと2年後に迫ってます。引き続き仕事が継続できる人、あるいは再就職が容易な人はいいでしょう。そうで無い人は、将来の「アル中」予備軍になりかねません。
私もそういう意味では予備軍の一人かもしれません。設計事務所としてはいつまでもできるのでしょうが、仕事以外に、何か集中できる趣味でもそろそろ探しましょうか。


2005.7.12
今日は昼から、久しぶりにお陽様が顔を出しました。何日ぶりでしょうか。寝苦しい夜が続いていますが、今夜あたりはさわやかに、すっきり眠れるでしょうか。


2005.7.10 .
昨日、午後3時より、建築士の集まりである、建築士会の杵島郡東部地区、「杵東支部」の一年一度の見学会に参加してきました。今回は大町の佐賀サンヨー鰍フ工場見学でした。こちらの3階建ての工場の屋上に設置してあるソーラー施設に興味があったので、前から見学したいと思ってました。懇意にしている総務部長のSさんに申し入れしたところ、自分は休みにもかかわらず、快く引き受けていただき、工場見学の説明役も買って出てくださいました。建築士の仲間も仕事柄、ソーラーシステムには興味があるらしく、メモを取りながら聞いている人もおりました。Sさんお世話になりました。
見学会のあとは、杵東支部の総会と懇親会が隣町の江北町の料理屋であり、こちらも参加して参りました。
建築士の資格を取って33年。総会に参加しているメンバーをあらためて眺め見回すと、随分若返ってます。私も歳の上から言いますと、26人いる会員の中では上から数番目になっておりました。懇親会では、若い人たちにはまだ負けんぞという、元気をもらって帰ってきました。

今朝は早朝より、杵島郡の消防団の中堅幹部訓練がある予定でしたが、雨のため中止になりました。振り返って見ますと、この訓練は毎年、この時期に予定が組まれていて、雨で中止になることが多かったように記憶してます。来年あたりは時期日程を変更したらどうでしょうかねー。おかげで午前中、外の降りしきる雨を眺めて、家でのんびりしてました。


2005.7.9
昨夕は、かみさんが多久の「ゆうらく」という、温泉娯楽施設で歌手の歌にあわせて踊るという事になりまして、見物?に行って参りました。以前はこの温泉にかみさんと二人で、よく温泉に入りに来ておりました。温泉に浸って、湯上りの生ビールをキューっと飲み干して、数時間休憩室で仮眠を取って帰ってきたものでした。今は飲酒運転絶対厳禁ですので、たとえ仮眠でもいけないということで、行かなくなりました。昨日は送迎バスでしたので、久しぶりにこれができるなと、勇んで行ったのですが、かみさんの出演時間の関係で、温泉に浸る時間がありませんでした。しかし、生ビールだけは、開演前に一緒に誘っていた兄貴と、しっかりおでんをつまみに飲み干しました。
さて、かみさんですが、「北山たけし」という(北島三郎の弟子だそうですが)、まだあまり知られていない(失礼!)歌手の唄にあわせながら踊りました。この北山たけしと言う歌手は、久留米出身だそうですが、北島三郎の内弟子となり、8年近く下積みをして、ようやく1年半前にデビューしたそうです。さすがに唄はうまく、歌がヒットすれば第二の氷川きよしみたいになるのではないかとしろうとながら感じた次第です。かみさんも声量のあるプロの生歌に合わせて踊って本望だったでしょう。楽屋では親しく世間話をして楽しかったと言っておりました。彼もしっかりフアンを確保したようです。
帰りは、大町に戻って、兄貴と二人、まだ飲み足りない生ビールを求めて、居酒屋で気勢を上げて家路につきました。

産後、ベビーを連れて里帰りしていた娘が約一ヶ月の滞在を終えて今日、自宅に帰りました。あいにく本日は大雨注意報が出て、激しく雨が降っておりましたが、雨の合間をぬって一ヶ月の間にたまったベビー用品などを大急ぎで車に積み、送ってまいりました。家から車で5分とかから無い距離ですが、孫はばあばのふところでぐっすりお眠りでした。自宅の隣の本宅の座敷にベビーベッドをお義母さんが用意してくれていて、孫はそこでもぐっすりお眠りでした。一ヶ月間預かって、しっかり大きくなった孫を無事、お返しする事ができ、一安心です。今日からは又、かみさんと二人の通常の生活に戻ります。淋しくなりますが、娘が週に一度は顔見世に来るといってますので、楽しみに待つことにしましょう。


2005.7.6
今週は、週間天気予報によると我が地域、佐賀南部地方は、雨と曇りマークがずーっと続いて、晴れの日は無かったのですが、今日は午後から晴れてきました。天気予報も最近はほぼ正確にあたるようになってきておりますが、この梅雨時は気象予報者泣かせですね。
今週からから取り掛かってる、台所、風呂、各居室のリフオーム工事は工程的どうなるのか心配でしたが、思ったように雨にたたられず、順調に行ってます。百姓さんにはありがたい雨ですが、私達建築工事関係者にとっては、雨は工程の大敵です。



2005.7.4
昨日日曜日、かみさんのお供で、佐賀の電気屋さんへ、買い物にアッシイー君として行って来ました。
うちを昼前に出て、昼ごはんはラーメンを食べる事にしました。通りがけの、鍋島I休軒によりました。普段、ウイークデイにたちよりますと、カウンター7,8席、4人がけのテーブルテーブル席3卓店はサラリーマンや作業服の、いわゆる働く人たちでいっぱいですが、さすがに日曜となると私達夫婦連れや家族連れでいっぱいでした。ここの味は私にとって佐賀で三つの指に入るくらいうまい店ですが、初めて食べたかみさんもそっちょくに、うまかったといいましたので、やはり、佐賀を代表するくらいのラーメンの味の店だけの事はあると思いました。
Y電気と最近できたK電気をのぞいて、最近のテレビのプラズマ、液晶の違いを比較検討して帰ってきました。我が家には、まだまだ手が出る値段ではありません。もう少し安くなるのを待ちましょう。


2005,7,2
 今日は、久しぶりに本格的な梅雨の雨が降ってます。あれだけ雨を待っていたのに、いざ降り出すと、もうやんでくれと思ったりもします。勝手なものです。
 今朝、お客様のところで、紫蘇ジュースなるものをいただきました。鮮やかな朱色をしていて、紫蘇の香りとともに、なんともいえない清涼感があって、大変おいしくいただきました。焼酎好きの私ですから、つい「焼酎で割るとおいしいでしょうね」と言ってしまいました。 あさはかでした。
 紫蘇と来るとショウガです。今、新ショウガが、店先に出回ってます。この新ショウガを味噌に漬けて一日置いて食べるとおいしいんです。新ショウガひと茎?ひと根?を短冊に切って、味噌(手のこぶしぐらい)とみりん大さじ一杯と砂糖大さじ二杯ぐらいを混ぜ合わせてパックに入れておいておきます。食べる時、はしで味噌をこさぎながら食べます。これ、あつあつのご飯で食べるとおいしいんです。シンプルです。ビールのつまみにもいいですよ。今のシーズンだけの楽しみです。


2005.7.1
早いもので、もう、一年の半分が終わり、今日から一年の後半が始まります。
相変わらず雨が降りません。これから、梅雨明けまでの間に、例年並の雨量が期待されるところです。
最近、お年寄りを狙った、悪徳業者が必要以上の工事を行ったり、必要ない工事を行って、法外な工事代金をぼった食っている、事がニュースになっています。悪いやつがいるものです。同じ建築業界に携わるものとして憤慨に堪えません。
一人暮らしの老人や、老夫婦には、自分の家が傷んでいる、危険だよと言われれば不安になるのも当たり前です。誰にも相談せず、あるいは相談できず、口車に乗せられて、断りきれず工事を依頼してしまうんでしょうね。佐賀県でも被害があるようです。
この日記の1月25日付で「佐賀県サポーター制度」がスタートすると書きましたが、こういうときにこそ、この制度を利用していただきたいものです。私たち専門の建築士が、建物の安全度の診断や、リフオームの必要性を判断したりいたします。もちろん無料です。この私達、登録サポーターの助言で必要な工事を行ったり、快適なリフオームを行えばよいのです。誰も知った大工さん、あるいは工務店がいなければ信頼できる人を紹介したりもします。申し込みは佐賀県建築士会(0952-26-2198)にまずは相談してください。各町のサポーターが出かけていくと思います。この制度はまだまだ、宣伝不足のようですね。


2005.6.30.
昨日、調べ物をしに佐賀の市立図書館へ行ってきました。10時開館の5分ほど前に行ったのですが、もうたくさんの人が並んでいました。特に年配の男の人が多く目に受けました。おそらく定年退職をして、悠々自適の人たちでしょう。これから涼しい図書館で一日本を読みふけるのでしょうか。それとも借り出して家で読まれるのでしょうか。うらやましい限りです。私も仕事をやめたら、好きな本を一日読んでいてみたい!。まだまだ先の事です。


2005.6.29
昨晩はFさん宅で三夜待ちでした。先月はYさん宅での三夜待ちをパスしていたので、2ヶ月ぶりの参加でした。
全員参加で、相変わらず世間話や、健康の話や、政治の話に酒を片手に話が弾みました。特に政治の話になると皆さん一言を持つ人なので、ああではないこうではないと、侃々諤々意見が飛び交い、深追いしないうちに昨晩は、お開きとなりました。
ご亭主のFさんは、私達零細企業(いや私だけです)の事業家としては、大変な大波をくぐってこられた方で、一時は、その大波にのまれ再起不能かと思われる経験をされました。今ではその修羅場を見事に潜り抜け、息子さんに今の事業を徐々に引き継ぎながら、仕事、生活を楽しんでいるように見受けられます。
それぞれ業種の違う事業に携わっている我々7人ですので、なかなか休日が合わないのですが、8月には初めて7夫婦揃って、日帰り旅行に行く事が決定しました。これから行き先を次の三夜待ちまでには決めるそうです。
さあどこになるのでしょうか楽しみです。

2005.6.28
一泊だけの滞在でしたが、息子と孫は昼過ぎ北九州へと帰って行きました。今度、孫の陶子と会えるのは、お盆あたりでしょうか。
今日は雨が激しく降ったと思えば、晴れ間が見えたり、蒸し暑いと思えば冷たい風が吹いたりと、これも梅雨らしい天気でしょうか。お百姓さんもこれで少し胸をなでおろしたでしょうか。やっぱり降る時は降って欲しいものです。
今晩は蒸し暑くて眠れないのかもしれません。


2005.6.27
今日は、息子が孫の陶子を連れて、北九州から、娘のお産見舞いかたがた出てくるというので、午前中佐世保方面の仕事を早々と済ませて帰ってきました。昼は、甥の子、R君を連れて義姉も来たので、かみさん得意の焼きそばで、賑やかな食事となりました。陶子より半年早く生まれた,もうすぐ三歳のR君は、「松健サンバ」の踊りが得意で、彼が訪問した福祉施設の慰問で踊ったDVD観賞で盛り上がりました。かみさんも日舞をしてますが、義姉もカラオケを歌わせたら歌手並みだし、この親の義母は歌も、踊りも、お謡いも得意な人でした。どうやら、この辺は間違いなく強い遺伝があってるようです。


2005.6.26
昨日は、孫の「心美」(ここみ)の日晴れの神社参りに、伊万里の荒熊神社へ行ってまいりました。本人の孫を含めて7人、車2台での大行事でした。無事神事が済み、大町へ戻って昼食をとって、我が家へ帰ってきましたが、孫にとっては初めての遠出でした。そのせいかその後しばらく、ミルクを飲んでも戻す状態が続きました。本人は泣いて寝るだけの状態ですが、やっぱり環境が変わって疲れたのでしょうね。敏感なものです。
昨晩はしっかり寝たようです。
日晴れはしたものの、娘と孫はもうしばらく我が家へ滞在するようです。
  今朝、やっと雨が降りました。がしかし、午後にはやんで又、しばらくは晴天が続くようですね。田植えも終わってこれから水田にに水が必要でしょうけど、昨日は水田が乾いているところも見受けられました。このくらいの雨で大丈夫なのでしょうか。やっぱり降る時は降って欲しいものです。

2005.6.23
娘が赤ちゃんと一緒に戻ってから約三週間。孫もあさってで誕生一ヶ月を迎えます。ミルク、母乳もたくさん飲むようで順調に育ってるようです。近頃は、ミルクが欲しいと激しく泣くようになったし、誰かが抱いてやるまで泣き止みません。
だんだん知恵も付いてきているようです。娘もだんだん元気を取り戻し、あちこち外出する用事も出てきているようでその間、子守も大変です。今日は娘が外出しなければならなかったのですが、私もかみさんも用事があり、ついに嫁ぎ先のお義父さんも、出張子守にかり出されたようです。短い間だったでしょうが、お義父さんも始めてのことで緊張された事でしょう。
あさって土曜日に「日晴れ」のお祝いに神社に出かける予定です。  深刻に雨が待たれる今日この頃ですが、この日だけはふって欲しくない・・・・・神社の行事が終わるまで。


2005.6.22
まだ雨が降りません。我が家の近くの平野の田んぼにも水が引かれ、ぼちぼち田植えが始まっておりますが、この水は山手の堤の水を引いたものでしょう。堤もそろそろ底を突くのではないでしょうか。
 昨夕は携帯メールに火災発生の連絡があり、すぐ消防服に着替えて現場へ行きましたが、佐世保線の線路沿いの雑草のはえた空き地の草が燃えていました。勢いよく燃えて、自分のうちに火がきそうで隣の人が通報したようです。原因は、近くの休耕田を草払いしたあと、火をつけたら、線路の土手伝いに、ひと敷地離れた、雑草地に燃え移ったようです。これもこの時期、雨が降ってたら起こりえない、火災原因です。
 天気予報によれば、今晩一時的に雨が降るようですが、期待できるような雨ではないようで、このあと又、一週間ほど晴マークが続いて降ります。渇水対策も考えられるようなことになりそうです。  


2005,6,20
事務所のビデオデッキが壊れたのでどうしようかと迷いましたが、新しいのを買ってきました。事務所にはあまり必要でなかったのですが、無いとやっぱり不便かなと、電気屋さんをのぞいてきたんですが、これが又安いんですね。今まで使っていたビデオは十数年前、12万円位はしたと思いますが、今ではDVDつきで1万円代でありました(ただ録画はできません)。早速2万円ちょっとのやつを買ってきました。これが軽くて場所をとらなくていいんですね。見ていましたら、殆んどみんなコンパクトになってるんですね。
テレビも大画面化して、液晶だ、プラズマだとかで、薄くなってるんですね。値段も結構いいんですねー。これももっと安くなるんでしょうね。自宅のテレビももう少し安くなるのを期待して買い替えを待ちましょう。


2005,6,18
雨が降りません。北部九州地方が梅雨入りしてから約2週間経ちますが、雨がふりません。今年は少雨でしょうか。お百姓さんたちには、雨が待たれるところです。
 今年三月、佐賀県は今まで経験した事の無いような、大きな地震に見舞われました。そのせいもあって、佐賀市では、住宅の建物の構造体の、「安全性の確保を図るため」、という事で中間検査の実施を7月1日から行う事にしたようです。建物を新築、増築、改築するときは建築確認を得なければなら無いことは誰でも承知の事と思います。いままで、建築の確認(簡単に言えば役所からの建築の許可)を得れば、着工して、家が出来上がれば、建設会社(あるいは大工さん)もそのままお施主に、引渡しをしていた、というのが現状でした。
が、数年前、住宅でも役所の完了検査を受けなければ、住めませんよ、という、事が強化されました。これによりある程度、住宅の安全性、快適性がチエックできるようになったと思われます。今回のこの検査は、完成検査ではチエックできない、工事途中での筋かいの量や構造金物の使用状況を確認図面通りに行われているか、役所が確認する、と言う内容です。この中間検査に合格しなければ、次の工程に進めないし、当然完了検査を受ける事もできません。
なかなか厳しい事です。厳しいと言うのは、作業工程の手続きが又増えたなと言う事です。何処かで、誰かが手抜きをやるから、こういうことになるのだと、まじめに仕事をしている私としては言いたくなるのである。
この検査の制度は、数年前から、福岡市が行っています。今回は佐賀県で佐賀市内のみで行われます。そのうち、佐賀県全域もこの中間検査は実施されるようになるでしょう。


2005.6.15
島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」の続編、‘がばいばあちゃんの’「笑顔で生きんしゃい」という単行本が、本屋の店先にありましたので、買ってきて読みました。
「佐賀のがばいばあちゃん」は少年徳永昭弘君事、漫才家島田洋七が少年時代の小学2年から、中学3年まで母の佐賀の実家のばあちゃんに、育てられたことを彼らしい言葉で、自叙伝的に語った本です。読んだ事のある方もいると思いますが、笑いあり、涙ありで読んで感動を覚える本です。今の物のあふれる時代に、人間関係が希薄になりがちなこの時代に、是非、子供たちに読んでもらいたい本の一つだと思います。歳も私とそう違わない昭弘少年の時代背景、生活風景に我が事だったような感慨を覚えました。忘れ去られようとしている、人間と人間との心のふれあい、そこから生まれる、相手へのいたわり思いやりを、この本がその大事さを思い出させてくれてます。
続編も一気に読破しました。
映画も佐賀ロケが終わり、まもなく?封切になりそうです。
楽しみです。


2005.6.14
今日は、町のシルバー人材センターに依頼していた、庭の木の剪定に、数名の方が来ておられます。
つつじや、松の木や、槙の木などを手早くきれいにやってくれてます。
中に、息子が植えた、カボスの木があったのですが、この春枯れてしまいました。
今回、これを撤去していただきましたが、枯れた原因は虫食いだったようです。
木の根もとの断面でその虫食い状態がよくわかりました。
毎年たわわにカボスの実がなり、秋の鍋物には欠かせない我が家のカボスが今年は食べられません。残念です。
消毒すれば又植えられるとの事ですから、あらたにカボスの苗木を買ってき二代目を植えようと考えてます。
この町のシルバー人材センターには、よくお世話になります。不精の我が家ですから、庭の除草や清掃を一年一回はお世話になってます。年配の方がしゃきしゃきと働いておられるのには、感心いたします。シルバーさんこれからもお世話になります。


2005.6.12
九州北部の我が地域も、2日前梅雨入りしましたが、今日から2,3日は晴天が続きそうです。このところ土日は仕事や行事があり、又娘も産後の里帰りをしていて、なかなかハウステンボスへも行ってなかったので、今日、行ってくる予定にしています。アジサイは咲いているでしょうか。咲いてたら写真でも撮ってきましょう。

我が家からハウステンボスへは、一般道を通っていくのですが、ルートとしては数種類あります。今日は武雄の東、西川登、波佐見、早岐経由で行ってきました。我が町の平野はまだ、麦の野焼きが終わって、これから田起こしがやっと行われる時期ですが、山ろく地帯の西川登あたりでは日曜日とあってか、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、総出で田植えが行われていました。懐かしさを感じる風景です。もちろん田植えは機械を使って行われていましたが、ひとつひとつの田んぼが小さいので、いろいろと小取りが必要なようです。私が小中学校の時代、農繁休暇というのがあって、田植えの時期は、その手伝いのため、学校が2,3日休みになってました。
百姓で無い我々は大喜びでした。何度か百姓農家の友人の家の田植えを、手伝いましたが、大変だった事をおぼています。最近は平野は、圃場整備が進み、ひとつの田んぼが広いので、一人で機械を使って、田植えも随分楽で、人手もそう要らなくなっています。その佐賀平野も、まもなく若緑の苗でいっぱいになることでしょう。
ハウステンボスの紫陽花も、やっと咲き始めたばかりのようでした。



2005.6.9
予想通りというか期待通り、昨晩サッカー日本がやってくれました。北朝鮮を2対0で破りました。後半にやっと2点入れたのですが前半も安心してみてられました。日本万歳でした。
これで来年今頃ドイツで行われる、ワールドカップに日本は一番乗りだそうです。
 先日の日本対バーレーン戦を私は、人口的にみれば、日本代表対佐賀県代表位の人口差があると書きましたが、今回の北朝鮮対日本戦は、経済的物質的状況で言えば、「戦後すぐの時代のハングリー精神旺盛な大学生」対「現代の裕福な大学生」の対決くらいの差があったのではないでしょうか。北朝鮮のホームゲームでありながら、バンコクで無観客の会場とは言え、会場外にはたくさんの日本人サポーターが押しかけ、北朝鮮に圧力をかけているように思えました。北朝鮮選手にはプレッシャーだったでしょう。新聞もテレビもこれだけこの試合を話題として取り上げれば、注目せざるを得ません。日本の選手は幸せです。
試合終了真際、北朝鮮の9番をつけた選手がボールの奪いでもみ合った時、日本の選手に手を出して、レッドカードを出されて退場しました。イライラがつのってたのでしょうね。同情はしませんが、帰国したらどんな制裁が待ってるのでしょうか。そちらが心配です。
さて、本戦のドイツのワールドカップでは「ニッポン」はどれくらい通用するのでしょうか。    ガンバレ   ニッポン  チャチャチャ・・・・・


2005.6.8
孫が誕生して、昨日で2週間が経ちました。娘も徐々に体力が回復してきておりますが、孫はすくすく一日一日成長していく様子がよくわかります。毎日ずっーと見ていても飽きないものですね。だんだん梅雨が近づいてきて、徐々に暑くなってきて、湿気が多くなってきました。赤ん坊の体調管理も大変に気をつけなければならない季節になってきました。
湿気いえば、今晩バンコクで北朝鮮と、世界大会出場をかけてサッカーの試合がありますねー。雨季の湿気で暑いところで試合も大変でしょうが、すんなりと勝って欲しいものです。今日は早く仕事を終了してテレビ観戦をしようと思います。



2005.6.6
今日は午前中、佐賀県総合防災訓練に参加して来ました。本年は杵藤地区が担当ということで、塩田町の塩田川河川敷きで訓練がありました。
我が町大町も、地震があったと設定され、広報及び避難訓練が町職員、住民、消防団参加で町内でもありました。
塩田河川敷きでも消防団員と、婦人会が倒壊家屋からの被災者捜索、初期消火訓練、救助訓練等に参加しました。
例年、日曜日にあってたこの訓練も、今回は月曜日実施という事で、私としても貴重な半日をつぶされる事に、不満はありましたが、知事も式の挨拶でこのことで弁明をしていたようです。以前は早朝より15時近くまであってたのですが、今は午前中で終わるようになって、内容の濃い半日で終えるようになってました。有意義な半日でした。

2005.6.4
夜中にトイレに行って、サッカーがあっている事を思い出し、テレビをつけると、前半40分で、日本がバーレーンを1点リードしていました。これは寝るにはもったいないと最後まで見ました。1点を守りきり日本が勝ちました。バーレーンの試合場はこの時期30度を超え、湿度も高く日本には不利な面があったようですが、敵地での見事な勝利でした。前日のニュースの評論家が言ってましたが、バーレーンの人口は70数万人、日本の人口の1/100以下ですと。いくらサッカーが熱心で強い国ではあってもこれでは日本も負けてはいられないですよね。佐賀県の人口がたしか80数万人。事情は違っていても、佐賀県代表と日本全国の代表が戦っているようなものです。   まあーしかし勝ってよかったですね。これでほぼドイツ行きが決まったようなものです。


2005.6.3
Rクラブの例会で、日ごろお世話になっている、例会場の外周りの除草作業を、会員全員で行いました。会員の方、数人が草刈機を持参してきていて、大方の草払いをしてくれたので、他の人は刈られた草を車に積んだり端っこの草取りでしたが、普段しなれない作業をすると、結構疲れるし汗もかきます。運動不足がここでも露呈しました。作業後の冷たいペットボトルが晩酌のビールよりうまく思えました。今度の日曜日は、うちの庭の草取りでもしようかな。


2005.6.2
ずーっと続いていた晴天も昨晩から、今朝にかけての恵みの雨で一段落です。
霞んでいた景色も、この雨で埃を落とし、麦刈りが始まった、広い佐賀平野のかなたの地平線上に雄大な多良岳や、雲仙普賢岳がその裾野までくっきりうかんで見えます。
今日、昼から晴天が戻ったわけですが、この晴天が終わる頃には、入梅が待ってます。そして黄金色の麦畑が、今度は若緑の早苗に変わるのも、もうまもなくでしょう。
梅雨はいやですが、蛙の鳴き声が懐かしく思えます。


2005.5.31
25年ほど前、数奇屋住建に在職のころ、設計施工を担当したお客様から電話を頂き、「あれから一度も家に手を加えてないから、全面的に建物のリニューアルをしたいから相談に乗ってもらいたい。」との事でした。
早速、出かけて行き、お話を聞いてきました。その時、当時の設計図書を見せていただきましたが、当然その時の図面はいわゆる、青焼き図面です。懐かしい私の手書きの図面です。案内図、配置図、平面図、立面図、各伏図、矩形図、等々添付してありました。平面図は1/50の詳細図をつけておりました。今回、各業者様と打ち合わせのとき必要なので、当時の平面図をそのままCAD(コンピューター)で打ち出す図面で作ることにしました。当時はもちろんCAD(キャド)のキャの字もありません。当時この平面詳細図を作るのに根を詰めて一日は掛かりました。今回はCADで1時間も掛からずできました。もちろんトレースだから何も考えずにそのまま打ち出すだけの事ではありますが。これが手書きだと1/100、1/50の図面と別々に書き上げていくのですが、CADだとひとつ図面を作り上げると1/00、1/50の詳細図の図面がこれひとつで出来上がるわけです。立面図も各設定をすれば自動立ち上げができます。便利さを痛感します。 若い頃、図面をロボットで書かせることができればなーと、夢のようなことを考えていましたが、今はそれが現実になりました。 只、建物のデザインなどはまだまだコンピューターのでる幕ではありません。


夕方、娘が産院から、赤ちゃんを抱いて、我が家へやってまいりました。今日から一ヶ月くらい我が家で過ごす予定だそうです。この家に赤ちゃんの泣き声が響くのは27年ぶりのことでしょうか。賑やかになりそうです。かみさんもまた忙しくなりそうです。うちは周りに竹やぶが多く、大きい蚊がたくさんいます。これから蚊の活躍するシーズンに突入です。孫をしっかり蚊の攻撃よりガードしなくては。私も忙しくなりそうです。


2005.5.30
昨日は、隣保班、大黒町区の、一年一回の溝掃除がありました。班毎に自分たちの溝などを掃除するのですが、我が班の戸数は約18戸。各家庭から一人ずつ出てきて一年間で積もった、ヘドロなどをドブさらいするのですが、これが結構、重労働なのです。この地に住み着いて30数年、この作業をしているのですが、当初は20代。今57歳、2時間ぐらいの作業ですが結構疲れます。周りを見回すと、男性が6,7人。あとは女性軍です。しかもこの歳で男性軍のなかで下から2番目に若い私。  結構重労働のほうを担当したとです!。   疲れるはずとです!。    老齢化が佐賀県一進む我が町。私たちの区はその象徴のように、確実に老齢化が進んでいるとです。・・・・・・・・。今日は肩が重いとです。・・・・・


2005.5.28.
今朝の新聞を見ていたら、昨日うろ覚えに書いた、赤ちゃん入れ違え事件の事が載ってました。取り違えられたらしい47歳の男性とその家族が訴えていた事件で、判決では、「産院で入れ替わったとしか考えられない」と認定したようです。今、その都立の産院は閉設されているとの事で、その当時の資料は無いみたいです。かわいそうな事です。入れ替えられたもう一人は、わからないほうが幸せかもしれません。


2005.5.27
今日の昼、孫の顔を見に産院へ行ってきましたが、あいにく乳児観察室みたいなところにおりまして、ガラス越しに顔を見てまいりました。ちょっとミルクを吐くみたいで親と隔離されてます。母親も出産に相当体力を使ったようで、まだ、食欲がわかないようです。しかし徐々に回復していくでしょう。
ガラス越しにみる観察室には3人ほど赤ちゃんがすやすやと寝てましたが、みんな似てました。よく見るとわが孫はすぐわかりましたが、これが多いとどうでしょう。
数ヶ月前、50歳前後の男性が、、赤ちゃんの時、取り違えられて、それが数年前わかって、今、苦しんでいるというようなニュースを見ました。取り替えられたもう一人のほうは、どうしているんでしょうね。今もわかって無いんでしょうか。ベビーブームの時代、こんな事が本当はたくさんあったのでは無いでしょうか。親のそばから離されないのであれば大丈夫でしょうけど。娘の子は両方の親と父殿が穴があくほど現認してますから間違いは起こりません。・・・・・・


2005.5.25
先ほど、18時ちょっと前、娘が無事女の子を出産いたしました。今朝の3時過ぎ、産気づいた娘を産婦人科に送り届け、やっと親子とも無事に出産し、3150グラムの赤ちゃんを見ることができました。  今日一日、仕事が手につかず、殆んど産院に今か今かと詰めていました。  今晩20時より、お客様の家を訪問し、打ち合わせの予定を立てていましたのですが、これで安心して、落ち着いて仕事ができそうです。
私を含め、両家のじいちゃん、ばあちゃんが手を取り合って喜びましたが、一番喜んだのは、やはり、朝から立ち会った、娘婿でしょう。Y君おめでとう。




2005.5.24
22日日曜日に営んだ、姉(次女)の7回忌にあわせて、土曜日より東京方面より帰省していた、二組の姉夫婦も、今日の午前中に戻り、先ほど帰宅した、我が家はかみさんも出かけていて、シーンと静かなものです。ただ入れ替わりに、数日後にお産を控えた娘が、昨日より帰省していて、今日からは違う賑わいが始まりそうです。
 今回の供養の、姉の7回忌には、初めて参列してくれた二組のお方がいました。ひとつは、亡母の姉(叔母さん)の子でT子さんと、歳も私とひとつしか違わないK子チャン。二人は広島県の福山から駆けつけてくれました。何十年ぶりに会いましたが、これはこの前の福岡沖地震が縁でした。地震見舞いの電話を頂いて、その時今回の法要の話をしたら参列したいとの返事を頂いたわけです。もう一組は姉(長女)の友人のSさん。この方は姉の友人ですが、私達兄弟姉妹も、姉が東京に就職していった時からの知り合いです。今回の法要を聞き、わざわざ栃木県から駆けつけて下さいました。  法要の後の説教の時、「興禅和尚さん」は先祖が結ぶ縁、という話をしてくださいましたが、まさにこれが縁だなと感じた次第です。
 今回は一週間前から、孫と嫁が北九州から一足先に来ていましたが、2歳4ヶ月になる孫もじいちゃんにだいぶ懐いてくれたようです。人見知りも取れて30数人の参列者に混じっても平気のようでした。子供の成長は早いものです。
 昨日、娘の里帰りにつき、嫁ぎ先から、大きな天然の真鯛を頂き、早速魚屋さんで刺身と煮付けにしていただきました。土曜、日曜と続いた深酒、昨晩は酒を控えようと考えておりましたが、あまりの鯛の見事さに、またまた、深酒をしてしまいました。
今夜は酒を、ちょっぴりにしておきます。


2005.5.20
我が家の入り口に、大きな楠の木(幹周り約3M)がありますが、今茶色い花のかすでしょうか、小さな「のこくず」みたいなのが沢山落ちてきて庭中茶色になるくらいです。数週間前は楠の葉の攻撃を受けた愛車ですが、このくずが車に積もると大変です。車のエンジン部分などに入り込んだら後の掃除が面倒な事になりかねません。これが又、歩くとスリップして草履等出歩いたらすべりこけそうになります。明日ははわきましょう。
その代わり、楠木はマルマルと、新緑の葉っぱをつけて気持ち良さそうです。そういえばこの時期の山は、濃い緑あり、薄い緑あり、大きい緑あり、小さい緑あり、とがった緑あり、丸い緑あり、で山自体が盛り上がって見えます。勢いがあります。見ていて飽きがきません。寒い地方の、秋の紅葉もいいですが、この時期のこの地方の新緑の山も捨てがたいものがあります。


2005,5,19
義兄のHPアドレスはDeve・・・ではなくDave・・・の間違いでした。

 佐賀から帰ってくる時、見慣れない後姿の乗用車を見かけたので、近づいて車の車種名を見たら、左肩にHYUNDAI,右肩にELANTRAと書いてありました。 韓国車でした。ロゴマークもホンダの「H」をくずしたようなマークでした。
数年前、韓国に行ったとき、韓国車は日本車に似ているなーと思ったし、又日本車が一台も走ってないのが不思議でした。日本でもこれまで、韓国車を見たことが無く、これが初めてでした。韓国はアメリカと同じく、車は右側通行で、ハンドルは「左」ですが、この車は右ハンドルでした。車の左側通行は、イギリス、オーストラリアがそうでしたが、これらの国の輸出用に造ったのでしょうね。
最近行ってませんが、韓国でも日本車は走っているのでしょうか。


2005.5.18
仕事で佐賀まで行った帰りに、頼んでおいた白米をいただきに、白石のKさん宅に、寄って来ました。Kさん宅は干拓地にありますが、この辺まで来ると、見慣れた麦畑(稲の裏作)も広々としていて、収穫を間近に控えた麦は、黄金色に輝き、まるでどこまでも続く黄金のじゅうたんに見えました。Kさん宅のおじさんから、米と一緒に、取りたての新鮮なたまねぎを沢山頂いてきました。これから当分たまねぎ料理が続きます。帰りに車窓から、近くにある日本一低地(海抜ー1M)にあるゴルフ場を覗いてみると、昼近くにもかかわらず、9ホール全てを眺めて、1組(しかも2人)しかプレーしていませんでした。貸切ですね。練習にはもってこいですね。雨だったからでしょうか。ゴルフをやめた私にはどうにも関係無いことですが。・・・
 ※先日の日舞の発表会のR君の晴れ姿が、義兄のHP(アドレス Deveboss's Mac ROOM)に載ってます。


2005.5.16
かみさんの日舞の発表会も、無事終わりました。例年私は、ビデオ係をさせられて、最初から最後まで舞台から離れられないのですが、今回はプロのカメラ、ビデオ作成社に依頼してあって、私はお役御免でした。そこで今回は雑用係としてお手伝いをした次第です。午前10時から始まり、午後5時半頃終わりましたが、前記したように、途中息子に嬉野まで送ってもらい、11時30分からあった、友人M君の娘さん、Aちゃんの結婚披露宴に参列してきました。M君は私の小中高の同級生で細君のHUさんも小中の同級生です。又、Aちゃんも娘の同級生でもありますが、とても優秀で福岡のK大を卒業し、これまた一流企業のT海上火災保険に就職しておられました。久しぶりに見るかわいらしかったAちゃんは、すばらしい美人に成長しておりました。これぞまさしく才色兼備というものでしょうか。披露宴の席の配置も見慣れた、新郎新婦が上座の壇上にいるというのではなく、会場の中央に二十数名座れる広い円卓がありました。そこに友人たちが、新郎、新婦を囲むように、顔を見合わせるように配置されていました。なかなか気の利いた、新郎新婦がリラックスできる、まさに新郎新婦のための結婚披露宴だなと感心した次第です。M君、HUさん、それに新郎TさんそしてAちゃん本当におめでとうございました。
披露宴終了後、武雄の日舞会に戻りました。飛び入り参加の甥の子、R君の「まつけんサンバ」は見られませんでしたが、聞けば、リハーサルのごとくうまくはいかなかったようですが、会場を大いににぎあわせたようです。本人は何事も無かったかのように会場を飛び回っておりました。  来年はうちの孫も踊れるでしょうか。

寿賀留さん

寿賀留会出演者一同



2005,5,14
4月、5月は総会の季節です。昨日も夕方からT委員会の総会が武雄であり、出席してきました。総会には懇親会が付き物で、昨日の懇親会場は、温泉旅館「花月」の別館、「大正館」というところでありました。「花月」はいく度となく利用させていただいていたのですが、別館「大正館」は初めてでした。古い堂々とした玄関のある、聞けば大正7年完成の木造建築だそうです。中でRC造りの「花月」につながっていて、こちらが「本館」、「花月」が新館とした方がいいのではないかと思いました。2階建てになっていて、宴会の前に、建物の中を全部見学させてもらいました。1階は宴会のできる座敷が中心で、2階は客室が4部屋ほどありました。現在は本館が混まない限り、殆んど使って無いということでした。2階の廊下で、便所へ行く長さ2間、幅1間位の廊下は、床が鴬張りになっていて、ピューピュー、クイクイというような乾いた音が、心地よく響いてきました。お上さんいわく、泊まっているお客同士、便所でかち合わないように、その音で知らせたという役割を持っていたそうです。能動的「ノック」とでも言うのでしょうか。わけありのお客がしっとりとお忍びで来たのでしょうか。・・・ 宴会は1階の大広間でありましたが、30畳位の部屋の天井は、しっかり木組みのできた格天井(ごうてんじょう)で、照明器具はシャンデリヤ風の白熱球。建具の欄間は今でも通じる凝ったデザインが施されてありました。柱は檜(台湾檜)、床の間の床柱は品のいい紫檀でしょうか。壁は濃い鶯色のジュラク。書院の桜模様の欄間は材質は桜だそうです。夕暮れで外が薄明るい頃、室内は白熱球で薄暗い感じがして、こんな感じは「かび臭い」のかなと思えば、しっかり掃除、手入れをされているようで、セピア色の中、なんだか懐古調になりました。こんなムードは日本酒が似合いそうですが、やっぱり今晩も焼酎のお湯割りにしました。  今夜は町区の「総会」です。酒は出ません。


2005.5.13
昨日甥のT夫婦に、女の子が誕生したようです。娘と同じ産婦人科で、娘の予定日が27日、彼女はそれより数日早い日と聞いておりましたが、少し早く生まれたようです。2番目はこのくらい早くてもいいでしょうけど。お兄ちゃんに似た目が真ん丸くとてもかわいい女の子だそうです。T君おめでとう。 そのお兄ちゃん、R君は今、2歳と9ヶ月か10ヶ月位ですが、今度の日曜日のかみさんの日舞の発表会に出演するそうです。まつけんサンバが得意で、テレビのまつけんサンバを見よう見まねで覚えたようです。それを見たかみさんが少し振り付けをしたかどうか知りませんが、舞台で踊らせようとなったようです。おばあちゃん(かみさんの姉)も張り切って、衣装など作ったようです。それで今回は、R君のおじいちゃん、おばあちゃん、おじさんさん、おばさん、とみんな楽しみにして、観にくるようです。
今回の出演者は、かみさん他40人程、6人の方の「名取披露」もあるようです。。その日は、私も手伝いに行きますが、途中抜け出して、友人の娘さんの結婚披露宴に招待されているので、そちらにも行く事にしております。
尚、入場無料ですので、以下に日時場所を書きますので、ご覧になりたい方は、是非お気軽に、お出かけください。
「寿賀留会」 とき:5月15日(日)、開演午前10時、(終演予定午後5時)、
ところ:武雄文化会館 小ホール  
途中から来て途中から抜けても結構ですよ。


2005.5.12
昨日も、一昨日と同じ場所、ほぼ同じ時間、に葬式に参列してきました。亡くなられた方も同じく60歳代の女性。
平均寿命80歳台の今般、お二人とも早すぎるのでは無いかと、読経を聞きながら思いました。これからまだまだ人生を楽しむ時期だったのではないかと思います。ご家族も大変悲しそうでした。お二人のご冥福をお祈りいたします。合掌。


2005.5.11
毎年この時期に、かみさんは日舞の発表会を開催しますが、今年も来る15日の日曜日に武雄文化会館にて行われます。 少しぐらいではおこらないかみさんですが、この時期はピリピリしてます。まあー仕方ない事ですが、・・・・。私もこの時期だけは「さわらぬかみさんに?たたりなし、君子危うきに近寄らず。」で首をすくめる亀のようにじいーっとしています。 私の家ではその次の22日の日曜日に亡姉、亡母、亡父の法要を控えていて、東京の姉たちも来る予定になってます。北九州の息子孫たちも、もちろん来ることになってます。その息子が土曜日に、要らなくなったバイクを取りにくる事になりました。自分の車の後ろの席を倒せばなんとか乗るとの芳。それで、かみさんは、その時嫁と孫も連れてきて、仕事のある息子は返して、嫁と孫はそのまま来週までいてはどうかと提案したようです。嫁から快くそうさせてもらいます、という返事をもらったかみさんはご機嫌です。何せ一週間孫とすごせますからねー。これで私も首をすくめて過ごさなくて済みそうです。孫の力は強いものです。ジャンジャン!。


1989年1月、北方町で発見された3人の女性の死体、いわゆる北方町連続女性殺人事件。隣町で起きた事件、他人事ではなく、注目していました。そしてその後、松江被告が犯人として逮捕され、昨日、佐賀地裁で判決が言い渡されました。判決は無罪!。死刑の求刑に判決は無罪である。やるせない気持ちになりました。では真犯人は誰なのだ、どこにいるのだと、叫びたい。犯人が罪を認め、死刑を減刑するような裁判ならまだわかる。だが、限りなく犯人に近く、本人も自分がやったと上申書も書いておきながら、証拠として採用されず、他も「状況証拠」としてことごとく採用されなかったこの事件。これでは無罪になる事は誰が見ても必至でしょう。上訴するという事ですが、上申書が採用されなかったら、又無罪でしょう。この事件はもう誰でも記憶の遠ざかっていくばかりの物です。一旦罪を認めながら、一転無罪を主張した、松江被告の心を崩さなくては、死罪は無理でしょう。  と、素人の私が思ったこの事件です。・・・・・被害者の家族の気持ちを思うと、無念でなりません。



2005.5.9
長かったGWも終わり、今日からは気持ちを切り替えて仕事に精を出さなければいけません。が、午後は佐賀で、T委員会の研修会と総会と懇親会が予定されており、出席してきます。ただ、昨日、甥(兄の子)のお嫁さんのお母さんが亡くなられて、今日がお通夜ということで、懇親会はパスして、こちらにはかみさんと出かける予定にしてます。明日が葬式という事だから、こちらも参列予定です。さて、早く急ぐ仕事をさばかす事にしましょう。


2005.5.7
4,5,6日と予定通り、北九州の孫の顔を見に行って来ました。
今回のメーンの予定は、5日に平尾台のキャンプ場に一泊の予定でキャンプに行くことでした。キャンプ道具一式を準備するのも大変な事ですが、そこは仕事柄、息子は慣れたものでした。当日は、前の日に仕入れていた食料も積み込み、9時ごろ出発し息子の家から30分も車に乗れば到着する、キャンプ予定地の、「平尾台自然の郷」の一角にあるオートキャンプ場に着きました。
ここは車乗りつけのキャンプ区画が11区画、他に広いフイールドに10数区画のキャンプ地がありました。「こどもの日」とあって、どこも子供づれでいっぱいでした。
当日の天候は、一週間前の週間天気予報では「晴天」になっていたのですが、その日に近づくにつれ、雨天が前倒しに近づいて来て、夜は「雨」に変わっていました。そうひどく降る予報では無かったのですが、夕食に予定していた、バーべキューを昼食に変更して行う事にしました。自然の中で、ジュウージュウー焼ける肉をつまみながら、冷たい缶ビールをグイーと飲むのは最高でした。2歳4ヶ月になる孫もそこらじゅうを走り回って、大変楽しそうでした。ここから見る起伏のある、カルスト台地の景色は、ほろ酔い気分の頭の中では、丘陵の中の石灰岩が、まるで群れをなした本当の羊のようにうつり、「羊群原」とはよく言ったものだなと感心しました。夕方まで様子を見て泊まるかどうか判断すると言っていた息子ですが、パラパラと雨も降り出し、他の区画のグループも引き上げるところが多く、結局我々もその日の夕方引き上げて、帰路に着きました。息子は残念そうで未練が残ったようですが、又の機会に楽しみを残した次第です。久しぶりに顔や腕が真っ赤に焼け今日もひりひりしています。
 今日は、かみさんを有田の実家へ送っていきましたが、一昨日の陶器市の賑わいも嘘のように、静かな有田の町の佇まいでした。今年も目標の100万人を超えたようで、売り上げも上がっただろし、有田の焼物関係者もよしよしといったところでしょう。ここ数年陶器市には行った事がないといっていたかみさんですが、来年は是非、予定を組みたいと思います。孫も連れて。・・・・・・・・・



2005.5.3
今日から、暦でいけば3連休でGWもピークに差し掛かりました。
我が家では、かみさんが踊りの発表会を今月の15日に控えていて、GWどころではありません。そういうことで北九州に住む息子夫婦たちもこの期間は帰ってきません。
そこで私だけ、明日より3日間の予定で、北九州へ孫の顔を見に行く事になりました。
車も混むだろうから、結局、電車で行くことにしました。一人で北九州へ行くとなると車より電車で行くほうが安くつくようです。明日は博多は「どんたく」で電車も混むだろうから、指定券を押さえておきました。缶ビールでも飲みながらのんびり行きましょうか。・・・・・・・


2005.5.2
昨日午後、消防仲間のK君のご子息の結婚披露宴に招かれて、行ってきました。
結婚披露宴に招かれるのも、この歳となりますと、新郎新婦のお付き合いというよりもその両親の関係のお付き合いで、招かれるという事でいく機会が多いわけです。
その中で、興味が沸くのが、まずはじめにいただく、招待者のリストです。招いた本人とはある共通の何かの関係の付き合いで、御呼ばれしているんですが、他に招かれている方達の名前を見て、その招待者の意外な交友関係、親戚関係が見えて面白いものです。今回も「あれ、あなたはK君とどういうお付き合いだったの。」と言葉を交わした人が数人いました。
新郎K、R君のお嫁さんは武雄のK保育園にお勤めの保母さんでした。それに気付いたのは、お仲人さんのご挨拶の中ででしたが、もっと早く気づくべきでした。というのは受付を済まして入場を待っている時、遠くに、建築士として尊敬してやまない、Iさんを見かけたからです。Iさんとはここ十数年お会いしてなかったのですが、どういう関係で来られたのかな思いをめぐらし、宴がたけなわになった頃合に、一献杯でも持っていこうと思っておりました。Iさんは現在、建築設計事務所のほかに、K保育園の園長をしておられます。そのほか、建築士のリーダー的存在で、地域、社会の環境、水保全の安全の提言、新聞への記事の投稿、解説当等活躍されてます。
両家の来賓者のご挨拶の時、やっと気づいた次第です。
そのIさんが、私の席に「君も来てたんだね。」と一献、献上にこられた時は恐縮した次第です。遅れをとりました。うれしかったのは、何年も会ってなかったのに覚えていてくださった事です。
披露宴の間、新郎の父のK君はニ百数十名の招待者の中を飛び回っておりました。
私も、息子、娘の披露宴を思い出しました。招待されてただ座っているのは楽なものです。新郎新婦それにK君おめでとうございました。


2005.5.1
GWには、雨は付き物ですがやっぱり今年もそうで、昨晩から雨が降り出しました。
その雨の中、三夜待ちに行って来ました。昨晩の当番は、 同じ町内の高砂団地に住む、Sさんでした。司法書士事務所を経営されてます。見たところ、体が大きく、いかつい風貌をされてますが、その身体に似合わず?、心のやさしい方です。私の中学、高校の一年先輩で、司法書士ですので、仕事柄よく相談事、登記関係の指導などをしてもらってます。もともと法学関係が専門ですが、事務所を開いて数年後、土地家屋調査士の資格も取得された、大変な勉強家でもあります。一時体調を崩され皆で、心配した事もありますが、今は、(以前のようにはいって無いようですが、)酒もぼちぼち飲めるように回復されてます。以前にも書きましたが、逆に私たちがSさんに元気をもらっているような今日この頃です。又、奥さんも、優しく、控えめですが、ときどき、面白いことをしてくださる実に楽しい方です。
夜も深けた頃、近くのMさん、Yさんと雨の中を世間話の延長をしながら帰ってきました。Sさんお世話になりました。


2005.4.29
今日から世間ではゴールデンウィークという事になりました。
今日は午前中、山内、北方、大町、江北消防団の合同初任科及び中堅幹部訓練が我が大町町の町民グランドでありましたので参加してきました。大町担当という事で私が総指揮を任されて、総勢242人の指揮をしてきた次第です。午前中でしたが、曇っていた天気が途中、陽が照りだし、蒸し暑い陽気に汗をしっかりかきました。この合同訓練も、町の合併等により、この組み合わせでは今年が最後になったようです。来年はどうなります事やら。
昼から仕事で佐賀方面へ行ってきましたが、車はそんなに込んでおりませんでしたが、県外ナンバーの車も多く比較的多く見かけました。このGW、私も人並みに4,5,6日と車で北九州の息子の所へドライブかたがた行く予定にしてますが、混まない時間を選んで行こうと思います。それとも電車に使用かな・・・・。


2005.4.28
昨日は、大町自衛隊父兄会の総会と研修ということで、佐世保の海上自衛隊、教育隊の施設を見学して来ました。
ここは毎年入隊してくる、新人自衛官を採用された資格によって、15週から20週の期間、自衛官としての訓練を授けるところとなってます。
昨日も今年採用になった数百名の新人がそれぞれ20数名から50数名くらいの単位でいろいろの訓練に励んでいました。
見ておりますと、まだ1ヶ月も経ってないのですが、動きは結構きびきびしておりました。明日29日からは10日ほどの長期休暇で、それぞれの故郷に初めて帰省してよいということで動きが軽くなっているのかもしれません。うちの息子も(陸上自衛官ですが)、こんな鍛え方をされてたんだなーと感慨深いものを感じました。
 今日は昼から仕事で西有田まで行ってきましたが、手前の有田の町の道路沿いは、明日から始まる有田陶器市の露店の準備でおおわらわでした。
地元では29日〜5日の期間、100万人にの人出を期待しているようですが、前半の天気予報はいいようなので、予定通りにいけることを私も祈りたいです。


2005.4.27
一昨日は、大阪で歴史に残る悲惨な列車事故が起こりました。
電車が脱線して、線路沿いのマンションに突っ込むという事故でした。あそこにマンションが無ければ、こんな大勢の死傷者が出なくて済んだかもしれません。
私は事故の現場のテレビを見たとき、このビルが倒壊するのでは無いかと心配しました。通常建物は、構造力学的に上からの荷重計算は或いは横からの風圧力計算、地震力計算はするのですが、当然のことながら物体がぶつかった時の計算はしてありません。だからマンションのように一階が駐車場に利用するため、独立柱しかない建物は、ひとつの柱の破損でその建物が倒壊する危険性は大なのです。テレビの映像で柱の状況を注視して見ていたのですが、画面上では破損はされて無いのかなと感じました。もし、破損していれば必死に救助に当たっている人たちも、建物の倒壊という二次災害に会わないとも限りません。もちろんその事も考えて作業はなされていたと思いますが。いずれにしても、亡くなられた方、被害にあわれた方にお悔やみ、お見舞いを申し上げると共に、救助に当たられている方に、遠い地より労をねぎらうと共に敬意を表したいと思います。


2005.4.25
昨夕は、有田の甥に、昨年12月に誕生した「周里」君の節句に招待され、出席してきました。酒を飲むという事になるので、大町から久しぶりに、かみさんと二人、各駅停車の電車で出かけました。
義兄さんに有田駅まで迎に来てもらい、一旦義兄夫婦の自宅に集まってお祝いの席を用意してある、会場へ出かけました。
会場は「チャイナオンザパーク」内にある「クリント・究林登」というレストランでした。ここは甥夫婦が結婚した時、披露宴を開いた場所でした。
「チャイナオンザパーク」とは、有田でも有数の焼物会社である、深川製磁が作ったところで、焼物製造工場、ショッピングスポット、ギャラリー、レストラン等を揃えた、買って、食事をして、といった場所になってます。西有田にあります。
料理はフランス料理のコースになってました。当然お酒は、ワインという事になりますが、焼酎好きの義兄と私はメニューに載ってないにもかかわらず、焼酎を用意してもらいました。もう一人の義兄は日本酒党ですのでこれまたメニューに無い日本酒を用意していただいたようです。飲む事についてはわがままなものです。焼酎を何杯か飲んでいるうちに、もう空になって品物が無いということで、後はロゼワインをいただきました。ここのロゼワインは創業者の奥様の名を取った、ここだけでしか味わえない銘柄のワインだそうでした。
帰りも電車で酔いを醒ましながら帰ってきました。電車は貸切状態でした。
主役の「周里」君をそっちのけで飲んでおりましたが、ここであらためて「おめでとう」と言っておきたいと思います。「周里」君大きく育てよ!。

2005.4.23

牡丹が満開になりました。

2005.4.22
昨日は黄砂で、遠くの景色が黄色く霞んで見える程でした。
今日も大変いい天気になりましたが、黄砂はどうでしょう。車の汚れが心配です。




2005.4.20
今朝の地震には驚きました。ここいらで震度5弱から4だったでしょうか。丁度1ヶ月前の地震から最大の余震だったようです。本震のときはかみさんも私もそれぞれ所用で家にいなかったのですが、今回は朝の6時11分頃、二人とも家にいて大きな地震を自宅で初めて経験いたしました。私は丁度ニュースを見ていて、福岡のニューススタジオから放送されていたのですが、キャスターが「あ!地震が来ています。皆さん落ち着いて行動してください。」といってから、ほんの数秒後、すぐにがたがたと床壁天井屋根と家全体が揺れ始めました。数秒で揺れは止まりましたが、外の景色を見ると何事も無かったようにしてましたので、安心しました。震源地に近いニューススタジオと100キロ弱離れている我が家とは地震の時間差がこんなにある事を体感としてリアルに経験しました。その後、家の外周を目視で点検しましたが、異常は無いようでした。
今後、又大きな余震が来るのでしょうか。ニュースではもう大きなものはこないといってましたが、一抹の不安は残ります。震源地に近い人は怖いでしょうね。



2005.4.19

我が家の玄関前のつつじです。日に日に満開に向かってます。
日曜日の亡義母の7回忌は無事に終わりました。
3回忌の時よりもひ孫が4人も増えて、賑やかな食事会となりました。
食事会は有田ポーセリングパーク内の和食レストランでありました。
私の孫も、これらの初めて会うひ孫達と仲良く食事をしているようでした。
ここは今、宗政酒造という造り酒屋が経営して、観光客も増えているようです。
ここの「のんのこ」という銘柄の焼酎は少し甘みのある麦焼酎で、かみさんもこれならいけるようです。私もビールの後はこれを(たらふく)いただいたことは言うまでもありません。
その孫も、昨日息子夫婦と北九州へ帰りました。今度は連休に会えそうです。







2005.4.17
昨晩、博多座で森光子主演の「放浪記」を観て参りました。
いままで歌舞伎や日本舞踊を劇場で観た事はありますが、芝居見物は初めてでした。評判のこの森光子の「放浪記」は一度は観たいと思っておりました。先般、1700回の上演を重ねて東京公演はもう無いと聞いておりました。福岡もこれが最後でしょう。兎に角、席は満席でした。森光子さんの年齢は85歳でしたか。いや、驚きました。この芝居を観たかった要因のひとつはこの年齢でどんな芝居ができるのであろう、という興味からでした。本当に言葉使い、動作、表現がとてもこの年齢とは思えませんでした。つい先日、84歳で亡くなった知人のお父さんの葬式に参列して、「大往生でしたね」と言葉をかけてきたのですが、もうこの言葉は80歳代の人には使えません。
芝居の内容は・・・・・。いずれその内批評を書きましょう。
帰りは、北九州から、息子夫婦が迎に来ていてくれていました。今日はかみさんの亡母の7回忌という事で息子たちもこれに出席するための帰郷の途中でした。久しぶりに見る孫も大分言葉がしっかりしてきました。娘夫婦たちも加えて7.5人で一台の車でまもなく有田へ出発です。


2005.4.15
酒のデスカウントストアーに、焼酎の量り売りがありましたので、空の一升瓶を抱えて、買ってきました。大きな樽に、芋焼酎と麦焼酎がありましたので、迷わず芋を買ってきました。鹿児島の「倭のくに」という銘柄です。今まで飲んだ事の無い銘柄です。
焼酎の量り売りといえば、私のじいちゃん代わりだった、「トイヤのオンチャン」を思い出します。「トイヤのオンチャン」はねっからの焼酎好きでした。毎晩焼酎の晩酌を欠かさない人でした。もう50年近く前の話ですが、ある日私に4合瓶と50円だったか100円位だったか定かに覚えてませんが、持たせて、焼酎を酒屋で買ってくるよう頼まれました。その頃酒屋は日本酒も焼酎も量り売りがありました。というか量り売りがメーンだった気もします。その頃親父はよくビールを飲んでいて、ビールは泡がたっているほうがうまいと子供ながら知っておりました。そこで焼酎もそうであろうと思い、帰りの道すがら、瓶を上下左右にどんどん振り回して、泡立てて、得意になって「オンチャン」に渡しました。「オンチャン」は最初怒ったような顔をしましたが、後は笑って諭されたことを今でも覚えております。私もあと数年で60歳。あの頃の「オンチャン」は今の私ぐらいの歳だったでしょうか。いや、もっと若かったような気がします。色黒で、ずっしりした体格でした。心のやさしい人でした。
この焼酎は「オンチャン」のことを思い浮かべながら飲む事にしましょう。  
    オンチャンに乾杯!。

2005.4.13
我が家の近くの満開だった桜も先日の雨で、随分散ってしまいましたが、まだ散り急がない桜の花が、枝に残っています。この模様だと、今度の日曜日までは持ちそうです。代わりに庭のつつじがぼちぼちと蕾をつけてきて、もう開きかけたものもあるようです。
今月は、いろいろ関係している、仕事や地域の団体の監査や総会があって、そのたびに酒を飲む事になります。一昨日、体重を量ったら、今年の初めに比べると5キロほど太ってました。びっくりしました。暴飲暴食を止め、体力作り、減量に励まなければなりません・・・・・・・・・・。

2005.4.11
昨晩、亡父の正月命日(実際は4月15日)の供養を和尚さんにお経をあげていただき行いました。来月は亡姉の7回忌、併せて来年十七回忌を迎える亡母の供養をする予定ですが、この父も来年二十三回忌になるのをすっかり忘れていました。併せて行いたいと思います。
その後、いつものように兄夫婦と近くに住んでいる、娘夫婦と食事会を自宅でした のですが、話題は兄のハーレダビッドソンで盛り上がりました。
兄は現在71歳ですが、定年後、このハーレーでツーリングするのが趣味になってます。毎年、鹿児島や宮崎や広島や長崎へハーレーの大会にいってるようです。その兄ですがもうそろそろハーレーも引退するのかなと思いきや、新しいハーレーに乗り換えたようです。金も掛かるのに、体力も心配なのに義姉もあきれて、そして諦めているようです。
今年は北海道へ行くと張り切ってます。兄貴よ、いつまでも元気でいてください。


2005.4.10
昨日、ハウステンボスへ行ってきました。この時期チューリップなど花が大変きれいで、気づかなかったのですが、園内外に楠木が意外と多く植えられているのに目がいきました。作業係りの人が掃いていましたが、これがうちの前の楠木ぐらいに大きくなると大変だなと思いました。この方たちは花の植え替えなどを一年を通して行っておられる方たちですが、だんだん楠木が大きくなると、葉っぱの処理に労力を大きくとられるのではないかと、他人事ながら心配した次第です。
昨日から、嫁いだ娘が一泊とまりで帰ってきております。いわゆる里帰りですが、嫁いでいって初めての事です。婿のY君が職場の人たちと、旅行に出かけたので、一人だからと帰ってきたというわけです。嫁ぎ先のお母さんから、初めてだからと、私にも大好物の焼酎など、お土産に持たせて下さったようです。ありがたいものです。婿は今日昼過ぎ帰ってくる予定になってるようですが、夕方、兄夫婦を加えて、和尚さんに来ていただいて、父の正月命日の供養をする予定ですので夕飯まで滞在してもらう事になるでしょう。まだ掃いてない駐車場の楠の葉を今日は掃わかないと・・・・・・・・。


2005.4.8
暖かい日が続いて、すっかり春らしい天候になってきました。数日前に開花した家の前の桜も、満開状態になってきて、風にそよいではらはらと散っていってるようです。
それと同時に、うちの入り口の、大きな楠木の葉がどんどん落ちだして、駐車場は楠の葉のじゅうたんになってしまいました。毎年の事ですが、この掃除が大変です。掃いても掃いても落ちてきます。明日はしっかり汗をかく事にしましょう。


2005.4.6
来月末に出産予定の娘が、産休に入っていて、運動不足にならないようにと、今花のきれいなハウステンボスへ、散歩に誘いました。昼前、小一時間程、園内を散策して、その後、昼食がてらに、旧オランダ村に3月19日にオープンしたばかりのCASー ViLLAGE(キャスビレッジ)へ足を伸ばしてきました。今度オープンしたのは、「食の発信基地」がテーマだそうです。つくりはそのまま、旧オランダ村の建物を利用してあり、入場は無料で、中には、モダンな和風、イタリア、中華、洋食、フアーストフードの店などがありました。他にお土産店、アミューズメントショップ等も昔の建物をリニューアルしてオープンしてました。一番人気の店は園内の一番奥の「WASABI」というバイキング形式のお店のようです。1時頃の、平日にもかかわらず、又園内がそう混んでいる様子でも無いのに、40分待ちと言う事でした。私たちは仕方なく、GINGER(ジンジャー)という中華料理の店へ入りました(中華料理の店なのになんで日本人にわかりにくいローマ字カタカナなんでしょうね)。この店と並んで他の店もガラガラに見えました。なんだかバランスが悪いようで、他人事ながら、先が心配です。くれぐれも旧オランダ村のようにならない事を祈ってます。
追伸、他の店の名前もMYRTLE マートル、CAYENNE カイエンヌ、Jalpenos ハラベーニョ、Malagueta マラゲッタ などわかりにくいローマ字カタカナの店ばかりでした。

2005.4.4.
日帰りバスツアーは、久しぶりでした。メーンの花火見物は雨が心配でしたが、夕方降っていた雨が、ぱたりと止み、星空の元、見事な花火を見物する事ができました。この花火大会は、全九州花火師大会と銘打って、九州の各花火工場が、その華麗さと技術を競い合い、披露し合うという花火祭りでした。約1時間ほど次々に打ちあがるその豪華で華麗で繊細で、色鮮やかな花火に久しぶりに酔いしれました。
我が町も毎年、お盆に花火大会が催されてきましたが今年から中止されました。
昨晩の花火大会に比べれば、小さな、小さな花火大会でしたが、無くなるとなると、愛おしさと、無念さが心に響きます。
昨晩は深夜の帰宅で、少々疲れと寝不足気味ですが、今日は月曜日、しっかりと働きましょう。
我が家の庭に咲いた花です。

2005.4.3
昨日、かみさんも東京から、無事帰って来ましたので、娘夫婦を伴って、久しぶりに焼肉を食べに行ってきました。焼肉といっても私はホルモン焼きが好きなので私はこればっかり食べます。その前に必ずタンを注文するのですが、このタンが貴重品になりましたと、店主が言っておられました。以前は、カルビ、ロース、センマイ、レバー、ハツなどガバガバ食べていたんですが、年でしょうか、今はタン、ホルモンで十分です。これに又生ビールがうまいんですよねー。久しぶりに焼肉を堪能したしだいです。
今日は、先ほど、大町消防団の入隊団式に参加してきました。退団者7名、新入団者2名、我が大町消防団も団員数が年々減少してきております。時代の流れでしょうか。
午後からは、かみさんと義姉夫婦と、バス旅行に出かける予定です。雲仙で食事を取り、温泉に入った後、小浜で、季節外れの花火大会を見物して帰ってくる予定になっているようです。ただ、今は降って無いですが、だんだん天候が悪くなると予報が出てるので、雨で中止になるのでは無いでしょうか。心配です。いずれにしろ、帰宅は深夜になりそうです。


2005,4,2
かみさんは、今日夕方東京から帰ってきます。3日ほど独身でしたが、昨晩は嫁いでる娘が、晩御飯を作ってくれました。いろいろ料理を作ってくれたのですが、少しは料理の腕を上げてるようです。只、魚の煮付けはまだ苦手のようで、私流の煮付け方を伝授?いたしました。娘婿もうまいといって食べてくれてましたので、私の煮付けも捨てたものではありません。ハハハ、
今晩は、お腹の目立つようになった娘もつれて、久しぶりに焼肉を食べに行く予定です。


2005,4,1
早いものですねー。
1,2,3月があっという間に過ぎ去り、今日から4月、新年度です。
そして、今日は、プロ野球セリーグの開幕日です。
私は大の巨人フアンでした。しかし、一昨年の秋、堀内が監督に決定した時、巨人離れを決意しました。巨人フアンを辞めたのではありません。堀内が監督をしている間、テレビ中継を見ない、スポーツ新聞の巨人関係の記事を無視する、という事でした。
何故かと言うと、あの原監督との交代劇が納得いかなかったからです。私は原監督の選手時代からのフアンです。連続優勝できなかったからといって、最下位になったわけではなかったじゃないですか。それをあの電撃的な解任劇。それに高校時代、我が武高が甲子園に行った時、負かされた相手が、堀内が投げた甲府工業高でした。
(これは逆恨みですが・・・)しかし、悪太郎といわれたあの現役時代の堀内は、同じ団塊の世代とはいえ、好きになれませんでした。
兎に角、今年も巨人のテレビ中継を無視します!。と思いますが、今日のオープニングゲームはやっぱり見ましょうかねー。


2005,3,31
うちのかみさんは昨日早朝から、所用で上京しました。
そのかみさんから昨晩、電話があり、国立劇場に中村鴈次郎の歌舞伎を観に行ったら紀宮様が来ておられた、それも自分の席のほんの近くだったと、いささか興奮気味で「報告」してきました。普通はなかなか近くでは見られないお方ですし、もうすぐお嫁に行かれる、「時の人」ですからそれもそうでしょう。他にも前総理の森さん、前官房長官の福田さんなど、政財界の方々が観に来ていたようです。紀宮様は日舞もされる方だからわかるけれど・・・・・。その方たちは やはり主役の奥様、元国土交通省の大臣の顔を立てたんでしょうかねー。



2005,3,30
昨日は、大変おいしい豆腐をいただきました。
二日ほど前、M社に行きましたら、同社のH社長から、「土井さん、おいしい豆腐が手に入るから、明日夕方来ないですか。」とのことでした。
というわけで、昨日夕方近く、頂戴して来ました。M社は実は料理屋さんも経営されていて、そこで今度、豆腐料理を始めるという事をお聞きしました。いろいろ豆腐を探して、この豆腐が店に採用されたようです。
発砲スチロールの箱を開けてみますと、いろいろな豆腐の種類が入っておりました。
厚揚げ、絹ごし、木綿、ざる、湯豆腐、極上豆腐?、それに豆乳。昨晩は早速、「まぼろしの厚揚げ」を専用のたれで、かみさんと二人でおいしくいただきました。これから2,3日、我が家の夕飯の食卓においしい豆腐が並びます。豆腐大好きの私としては願っても無いことです。
H社長、ありがとうございました。


2005.3.28
昨晩は、我が家で「三夜待ち」でした。
もっと早い日にしたかったのですが、かみさんの都合もあり、日曜日の夜という日になってしまいました。私たち、おとこ連中はただ飲んで食べてわいわいいって、はいお開きといえば終わりですが、その前後はかみさんに、大変お世話になることになります。どこの三夜待ちでも同じ事でしょうが、かみさん無しでは、三夜待ちはできません。
この場を借りて、三夜待ちの場を準備してくださる、奥様方にお礼を申し上げます。「いつもありがとうございます。罪滅ぼしに三夜待ち旅行に招待しようと思ってます。何処か希望があれば次の三夜待ちまで旦那に言っておいてください。」 終。


2005.3.26
うちで食べる米は、白石の農家のKさんのところで作られてる「さがひのひかり」という佐賀米を、無くなったらその都度、精米してもらっています。米は精米して長く日が経つとだんだん酸化してまずくなります。だからいっぺんに精米してもらわず、5キロずつ頼んで精米してもらってます。しかも大きな精米機で精米すると米じたいに熱を持たせず、米本来のうまさが壊れず、おいしく仕上がるというわけだそうです。二人暮しの我が家では5キロでも、相当日がもちます。
Kさんは「無農薬」にこだわって農業を営んでおられます。
私がKさんと知り合ったのは、自宅の設計を頼まれてからです。設計の段階でいろいろ農業の事を教えていただきました。又、お父さんからは、干拓の歴史、開拓当時の苦労話も聞きました。お母さんもなかなか気のいいかたで、米を頂戴に行く度に、畑から取り立ての野菜を持たせてくれます。
建築後数年になりますが、外観の写真を作品集に掲載してみました。


2005.3.25
仕事で、みやき町へ行ってきましたが、この町は今度、中原町、北茂安町、三根町の旧3町が合併して生まれ変わった町です。私は建築確認の申請に行ったわけですが、その受付窓口は旧三根町にありました。受付の課は非常に活気があり、親切でした。今はまだできたばかりなので、いろいろな受付窓口は旧3町の庁舎に分散してあるようです。佐賀県も合併が進み当分は確認申請の窓口がどこにあるか戸惑うような気がします。
市町村の合併は、行政の合理化と活性化にあると思います。
我が町の周囲の市町村でも合併が進み、今年始めに、福富、有明、白石が合併し「白石町」になりました。来年は塩田町と嬉野町が「嬉野市」に、又武雄市、山内町、北方町が合併し「武雄市」になる予定です。我が町、大町町は、隣の江北町とともに合併から取り残されました。江北町は兎も角として、大町町は単独でやっていけるのでしょうか。「否!」ですよね。一住民として非常に悲哀と焦燥感を感じております。この怒りをどこにぶつければいいのでしょうか。


2005.3.24
地震は福岡県の1部で大きな被害をもたらしましたが、わが町、我が地域、我が家には、大きな被害も無く個人的には安心しているところです。
今回の地震騒動で、遠くに住んでいる、友人、知人、親戚の方から心配の電話、見舞いの電話を頂きました。本当にありがたいものです。お見舞いのご一報をしてくださいました皆様、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。中には随分ご無沙汰している人からも、思わぬ電話があり、懐かしいやら、お互いの近況を報告したりで、長電話になったりもしました。
地震のほうはまだ、余震が続くそうですが、早く収まって欲しいものです。


2005.3.21
1昨晩は、昨日の武雄高校時代の同窓会に出席のため、奈良から帰郷したS君を囲んで、大町中の同窓生、7人ほどでミニ同窓会を行いました。
出席者は同じ組だった大町在住の人が中心だったのですが、私は違う組だったのですが、高校も一緒だったという事で参加しました。
S君は高校時代、武雄高校が唯一、出場した甲子園の経験者です(武高は今でもこの1回が最初で最後の甲子園出場です)。大町中からもう一人同窓生が出場しました。だから私の中学時代の同窓生でふたり甲子園経験者がいます。当日集まったメンバーのN君は30数年、大町の少年野球を監督として指導してますがその彼に聞いたところ、いまだに大町中からは甲子園経験者はこの二人だけと、言ってました。この日は次の日の同窓会のため早々と解散いたしました。

昨日は大変な一日でした。一生、記憶に残る一日でした。
地震が起きたのは午前10時53分でした。
その時、私は車で、消防大会の大会会場の諸冨町を出て、数分のところを運転中でした。信号が赤に変わったので徐行していたのですが、その時車が左右に激しく揺れて、前方の景色がまるで右から左に何度も上下したかのように見えて、電線が縄跳びの縄のように回っておりました。歩道を歩いている人が手すりにしっかりつかまったり、はいつくばったりしてました。揺れは数十秒で終わったようですが、その後何回か余震があったようです。大町に地震の災害等が発生して無いか心配でしたが、数十分後着いた、我が大町を走っていて何事も無かったように見えましたのでひとまず安心しました。自宅の方も、すわりの悪い小さな置物が数個倒れていたくらいで殆んど被害は無いようでした。
武雄での高校の同窓会は15時に開催する予定でしたが、JR、バス、高速が、使えない状態が続いてましたので、時間を2時間遅らせてスタートしました。
参加者予定者120数名のうち1割位が参加できなかったようですが、こパニックの中、開催できたのが何よりでした。




2005.3.19朝
今日は土曜日。大変天気のいい日になりました。かみさんは今朝早く福岡へ出かけました。明日は春分の日。彼岸なんですね。今日から3連休の人もいらっしゃいますが、とりあえず私も3連休が取れそうです。
明日は午前中は佐賀県消防大会、午後から高校時代の記念同窓会に出席する予定です。
それで、久しぶりの友に会いますので今から、床屋へでも行ってきて髪をさっぱりしてきます。その後ハウステンボスへ久しぶりに行ってきたいと思います。チュウーリップがきれいでしょうから写真でも撮ってきます。うまく撮れれば写真掲載しましょう。今、兄が姉さん手作りの「ぼた餅」を持ってくるとのTELがありましたので急いで床屋へ行ってきます。

3,19夕方
昼前から久しぶりにハウステンボスへ行ってきました。チューリップが見事に咲き開いて、沢山の人出でした。
確か今日は、もとのオランダ村が「食のデパート」?として、リニューアルしスタートしてる日だと思います。足を伸ばそうかとも思いましたが、今日は多分多いから止めときました。この3連休もそうですが、ゴールデンウィークも多いでしょうね。北九州の孫が来たら、その先のバイオパークへ行こうと思ってましたがこれは大変です。こちらから行くと必ず西海橋を通らなければならなので、渋滞する事間違いありません。様子を見てから考えましょう。



2005.3.18
やっと、作品集に写真を載せられるようになりました。
先生の指導にのっとって、設定修正を行った訳ですが、なんでもフオルダー内の写真名に「デジタル」とカタカナを使っていたのですが、それがいけなかったようです。写真名に英字を使って、それをHPに取り込んだらできました。パソコン操作ももいろいろとややこしいですね。



2005.3.17
作品集に写真を掲載する事にしましたが、私のパソコンの設定未熟で、1部というか殆んど、写真が皆さんのもとに届いて無いようです。MACで受信している私のパソコンの先生の義兄のところにはちゃんと写真が届いているようです。設定、操作をしなおしますので、もう少しお待ちください。



2005.3.16
私のホームページの作品集が、ズーッと工事中になってましたが、これから少しずつ写真を撮ってきて、載せたいと思ってます。とりあえず身近なところから載せてみました。
又撮ってきたら載せたいと思います。


2005.3.15
昨日はホワイトデーという事で、私もお返しをいたしましたが、素直に一番喜んでくれたのは、北九州に住む孫でした。電話口で喜ぶ声を聞く事ができました。覚え始めた言葉と弾んだ喜びの声が聞こえてきました。わずらわしいホワイトデーですが、このときばかりはこの行事もいいものだなーと思えた次第です。



2005.3.13
毎週、月曜日の夕刻、かみさんと隣町の「七彩の湯」という温泉に浸かりに行くというのが週慣?(習慣)になりましたが、昨夕はかみさんのリクエストに答えて、土曜日の混むであろう時間にもかかわらず、「七彩の湯」に浸りに行ってきました。思ったより混んでいなくて、ゆったりお湯に浸ることができました。
見ると珍しく黒人が入浴しておりました。こんな田舎で黒人を見る事自体が珍しいのに、ましてや温泉で一緒に入浴するとは、私も初めての事でした。すらりとした黒人らしい均整の取れた体つきでした。風呂をあがるのがほぼ一緒で、脱衣場で声をかけて見ました。
「近くですか」と聞くと「武雄の朝日町」と流暢な日本語で答えてくれました。仕事は近くのN鉄工所というところで働いているそうで、ここは地元では大きいほうの会社で、石油設備のプラントを手がける会社です。
「日本語がうまいね」というと、「武雄は1年くらいですが、福岡に10年程いました」と答えてくれました。「温泉が好きでここ武雄は気に入ってます」と彼は言いました。「武雄には他に沢山、温泉場があるから他のも行くといいよ」と言っておきました。優しい丸い顔の、おとなしそうな好青年でした。
それにしても、温泉好きの黒人がいるとは、嬉しいものです。しかしこの日本の入浴方は最初はびっくりしたでしょうね。又いつか一緒になったら聞いて見ましょう。



2005.3.11
今朝は、佐世保へ仕事で行ってきましたが、西に見える遠くの山がやや霞んで見えました。黄砂のようです。いよいよその季節になってきたようです。ラジオのニュースで佐賀県下殆んどの中学校で今日卒業式があっているといっておりました。県下、一番卒業生の多い〇〇学校の卒業生250数名は・・・・・・・、といっておりましたが、我々の大町中学校卒業時には550数名の同級生がおりました。炭鉱景気で人口が多かったといえ、いまさらながら団塊の世代のパワーが勢いのいいものであったかわかります。その内180名ほどがすぐ就職しました。卒業生の約3分の1です。そして殆んどが集団就職で県外へ行きました。殆んどが大阪名古屋方面です。中にはすぐか、数年してUターンした人もいますが、今でも住所がわからない仲間が百数十名います。みんなどうしているんでしょうね。
今日、佐賀県の中学校を巣立つ若者で、すぐ就職する人は何人いるでしょうか。



2005.3.10
腕時計をしないで過ごす日が今日で3日目になりました。今まで時計が無いと超不便だと思っておりましたが、無ければ無いでいいんですね。携帯があるからです。携帯も時計と同様、肌身離さず持っているからこれが時計代わりになるんですね。
しかし、それでもいずれ必要ですから、インターネットで調べてみると、いろいろ勉強になりました。結論としてアナログで、ソーラー電池付きで、電波時計になっているものと決めました。今度の日曜日にでも買い物に行きましょう。
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2005.3.8
長年愛用した、腕時計がとうとう壊れました。この腕時計はアナログ時計とガラスの表面にデジタルを組み合わせてある、大変便利な時計でした。私は時計はアナログが見やすいし、好きです。その前後の時間関係を考える時、アナログ的時間差がわかりやすいからです。又、このデジタル部には年月日時間とカレンダーと六曜が浮かび上がっておりまして、操作しだいで過去、未来のカレンダーを見る事ができましたし、名前と電話番号を記憶する機能もついておりました。他にアラーム、時報、ストップウオッチの機能等もついておりました。いろんな機能を持った時計でした。が、アナログ部が止まってしまい、デジタル部がかすかに読み取れる状態でしたので、電池交換に、あるデスカウントストアーにもって行きました。
時計の裏の4ヶ所のネジをはずして交換するわけですが、4ケ所のネジとも錆びて折れてふたのまわりも錆びだらけで交換すると相当額の交換費が掛かるという事で修理をあきらめました。大変貴重な時計でしたが諦めざるを得ません。
この時計は、息子が就職して間もない、そして独身のころ、私が欲しがっているのを知って、買ってくれたものです。それだけに愛着があったわけです。保証書には、お買い上げ日、9年7月27日と書いてありました。今は子育てに精一杯で、余裕がなく苦労している息子ですが、こんな時もあったのですね。
さて、次は安くて軽くてシンプル機能の時計にするか、それとも重厚で沢山機能がついて壊れにくい時計にするか、いろんな時計を見て考えましょう。



2005.3.7
昨日は隣町の新生、白石町出初式がありました。私も大町消防団の一員として参観してまいりました。白石町は今年の1月1日から、白石、福富、有明3町が合併して新町として発足いたしました。それで普通は1月にある出初式がいろいろな都合で昨日にあったというわけです。消防団員数約1200名、わが町の約6倍、、人口約2万7千人だから、わが町の人口の約3、5倍。いかに消防団員の数が多いかわかると思います。佐賀県は消防団員の比率が全国1だそうです。その佐賀県の中でも有数の団員数を誇る町です。未明より降り続いた季節遅れの大雪の中、最初に新消防団の結団式があり、粛々と盛大に式は終わりました。夕方、娘夫婦とかみさんを武雄に迎に行った帰りに、長年愛用したセドリックに変わる、小型車を展示場に見に行ってまいりました。私はこれまで、仕事の付き合い上、日産の車にずーっと乗ってきました。だから日産の車を贔屓目に見ながら、比較しながら他のメーカー車を見てきました。しかし今回はメーカーを気にせず冷静に見てきました。ほぼ決めてきました。車もそうですが、その会社、会社の対応の仕方も決めてのひとつになりますね。



2005.3.5
土曜日の昼食はかみさんがいないので、ゆでうどんと粉末スープを買ってきて、油くじらと煮て、煮込み風うどんにしてよく食べます。これがむかし、おふくろが作ってくれた「だご汁」にそっくりな味がしておいしいのです。ただ麺がお袋の作ってくれたときの「やなぎは」という麺が店になかなかありません。このことをずーっと以前この日記に書いておりましたが、これを知った三夜待ち仲間のYさんが、地元の岸川製麺が作っているきしめんがそうじゃないかと教えてくれたました。早速いろいろなスーパーを見て歩いたのですが、ふつうのきしめんはあるのですが、それはなかなか見当たりませんでした。
今日、地元のスーパー「しんわ」に寄ったらそれがありました。
早速、昼食に作って見ます。
楽しみだな。・・・・・・

2005.3.3
先程、外から帰ってきて、パソコンを立ち上げようと、スイッチを入れたのですが、立ち上がりません。コンセントを抜いてみたり、いろんなキーボードをたたいても立ち上がりません。何度もスイッチを入れたり切ったりしても立ち上がりません。困ってしまい、私のパソコンの先生である、有田の義兄に助けを請いました。そしたら一言、「フロッピーが入ったままなんじゃない」でした。なるほどUSB,フロッピーデスクドライブにフロッピーを入れたままでした。抜くと立ち上がりました。こんな簡単な事がわからないなんて、私のパソコン知識もまだまだです。先生ありがとうございました。


2005.3.2
有田のかみさんの実家の姪のKちゃんより、肥後椿が咲き始めましたと、写真つきのメールがきました。こんなきれいな椿があったとはいままで気づきませんでした。なんでもお義母さん(彼女にとってはおばあちゃん)が大切に育てていたそうです。うちにも普通の椿?はありますが、この椿はピンクの下地に赤いまだら模様のがら付いていてとてもきれいでした。そういえば4月に義母の7回忌があります。それまでは咲いていないでしょうから今度の土曜日でも観に行こうかと思ってます。Kちゃんありがとう。


2005.3.1
早いもので今年もあっという間に2ヶ月が過ぎ、今日から3月です。カレンダーをめくり3月、4月のスケジュールを見ますと、日曜日はずっーと何かと行事が詰まってました。もちろん仕事以外のです。消防行事、供養、Rクラブ、結婚式等でした。1日中の行事でも無いのでその内、一番花のきれいなハウステンボスにも行きたいと考えております。
昨日走行中、愛車セドリックの運転席側の自動開閉の窓が突然、ガガガという音とともに、閉まったまま動かなくなりました。もうこの車も11年乗ります。走行距離17万`弱。いままで大きな故障もなく、よく走ります。このままでもいいかと思ってましたが、うっかり入ってしまった高速道のチケット受け取りの時、困ってしまいました。ドアを開けて受け取りはしたが、やっぱり修理をしとかないとと思って、佐賀日産へといってきました。修理代が3万5千円も掛かると言われました。もうこの6月は車検が迫っております。そろそろガソリンを食わない小さな車に乗り換え時かな?。思案中です。


2005.2.28
昨日は午前中、明日3月1日から始まる、春の火災予防週間の呼びかけの消防車を連ねての町内パレードに参加した後、かみさんのお供で佐賀まで行って来ました。
用件は、Y電気での小物の買い物と、「佐賀城下ひなまつり」の見学でした。
大型電気店の買い物は、他に私もパソコンやサプライを見るのが面白いのでまあいいとして、おひな様見物は足が重い気がしておりました。
このおひな様まつりは、佐賀市が佐賀市歴史民俗館として、旧長崎街道に点在していた明治大正時代に造られた建物を買い取って、公開している、旧古賀家、旧福田家、旧牛島家、旧古賀銀行などに飾られている、おひな様を見学して回るという設定になっているようでした。鍋島藩時代の武家が所有していたものや、商家が所有していたものなど沢山ありました。又佐賀錦で作られたものや、鍋島段通で織られたものなどが展示販売されてました。が、しかしこれらはさすがに大変高価な値段が付けられていてなかなか簡単に手の出るようなものではありませんでした。普段はこの建物群は民俗館として見学できるようになっているようです。私は初めてこの建物群を見物しましたが、さすがに明治大正時代に財をなした豪商の建物らしく、外観の風格、趣のある庭、落ち着きのある居室、侘びさびのある茶室、など見ていて飽きがきません。
先人たちが残した、粋と、技が随所にちりばめられた建物群を見学できて、身も心も軽くなりました。
今度ゆっくり又見学に来たいと思っております。
そういえば、うちの家の床の間にも孫のおひな様の飾りをかみさんが数日前、出しておりました。春がもう近づいてきましたねー。



2005.2.26
これまで私のホームページを検索するには、[大町町商工会」のHPの`土井了建築設計事務所`か「リフオーム増改築会社リンク集」の`土井了建築設計事務所`か「google」、「msn」の検索でできましたが「Yahoo!JAPAN」の検索では出てきませんでした。早くヤフーで出てこないか待ってたのですが、本日やっと出てくるようになったようです。これからは「ときどき日記」以外も充実させなければと思ってます。

2005,2,26.
今週は水曜日と金曜日の午後、2回にわたり研修会、勉強会に出席してまいりました。
いずれも仕事とは直接関係無いボランテア的なことの研修会ですが、ひとつは以前書きましたいよいよスタートした、「佐賀県安全住まいづくりサポートセンター」のサポーターとしての、心構え、対応の仕方、処理の仕方等の勉強会でした。これは私もひとりの建築士として蓄積した、建築に関する専門知識で社会に貢献できればと思って引き受けております。もうひとつは、世間的な相談事、心配な事の相談を受ける、ある委員会の研修会でした。こちらは私の「浅い」人生経験、体験をもとに相談事を解決するというような仕事ですが、これは私の回りいる、それぞれの歩んでこられた人生経験豊な人たちに助けられながら、教えを請いながら、その役目を果たして行こうと引き受けております。いずれも直接仕事に関係無いことですが、建築設計監理の仕事をする上で間接的には役立つのかなと考えております。
昨晩は三夜待ちでした。今回はうちの近くのM,Sさん宅にお世話になりました。今回も7人全員揃ってわいわいがやがや、世間話、政治の話、他人の噂話消息、など話に花が咲きました。私は家ではビールの後焼酎を頂くのですが、他のみんなはまだ日本酒がいいようです。だからご亭主はビールと日本酒を用意しているのですが、最近はどこも私の為にわざわざ焼酎を用意してくれてるようです(申し訳ありません)。私一人ちびりちびりお湯割をやるんですが、昨晩は他の2,3人が焼酎を所望しておりました。焼酎のうまさがわかってきたのかな?。ご亭主のM、Sさんはお互いの親父が消防仲間で三夜待ち仲間でした。だから小さい時から親父たちが飲んでいる時まとわり付いて遊んだ仲です。いわゆる竹馬の友ですね。仕事も業種は違いますがお互い建築関係の仕事ですからよく一緒に仕事をします。年はひとつ上ですが、小さい時から運動神経がよくて、何かにつけて器用で、運動神経の鈍い私としては、うらやましいものでした。今私が勝っているのは髪の生え具合ぐらいかな・・・・・・・。M.S.さん御世話になりました。



2005.2.21
一昨日から昨日にかけて、熊本へ旅行に行ってきました。出身のA部消防団からの招待でした。熊本は何度も行った事はありますが、あらためて感動することが2,3ありました。
土曜日の昼から出まして、宿泊は熊本市内でしたが、翌日は阿蘇方面へ足を伸ばして観光をしてきました。ホテルを出て朝一番、久しぶりに熊本城を見学してきました。いまあらたに本丸御殿が復元されている途中でした。他にもいろいろ整備修復がなされており、数十年ぶりでしたが、久しぶりに見るこの城のスケールの大きさに、あらためて感動いたしました。阿蘇には昨年秋、行って来たばかりでしたが、昨日は雪が降っていてとても寒い日でした。草千里あたりは雪化粧で、初めて樹氷を見ました。樹氷といえば雲仙が有名ですが阿蘇で見られるとは夢にも思ってませんでした。思い出を胸に、車の中ではアルコールも手伝っていい気分で帰ってきました。


2005.2.18
昼から佐賀へ出かけたので、昼食はラーメンでも食べようと思い、久しぶりに久保田町のD福ラーメン店に寄る事にしました。12時半ごろだったので込んでるだろうなと思ってましたが、意外とすんなり車が止められて、そんなに混んでおりませんでした。ここはむかしからあるラーメン屋で、老舗といえる部類だと思います。暖簾に創業昭和33年と書いてありました。まだラーメン屋が少なかった頃ではありましたが、わざわざここに遠回りしてでも寄っていたものです。それほどとんこつラーメンとしておいしかったし、来るだけのことはありました。
しかし今日のラーメンはなんでしょう!。味が数年前とは比べ物にならないほど落ちてます。以前は、これぞとんこつラーメンといえる、白濁したスープにややこってりとした中にドキドキしない、さっぱりした味があったものでした。今日のスープはやや味噌味に近いそれでいて味の深みがなく、もっと言えば、いわばだしのきかない味噌汁を飲んでいるようでした。
注文してから出来て来るのがいやに早いなと思っていたら、麺は固いし、しこしこ感がありません。以前の麺はスープが絡んでするするとのどを心地よく通おりしかもやわらかいなかに少し芯が残っているようなかみ心地がよいものでした。
周りを見ますとお客が少ない。通りで判りました。みんな知っているんです。
数年前、支店をあちこちに造ったのですが、他の店はどうなんでしょうね。
食べ終えて、1時過ぎ、鍋島のI休ラーメン店の前を通りましたら、相変わらず車がいっぱい止まっておりました。頑固そうで寡黙な親爺の作るこの店のラーメンはとんこつラーメンの求道を求めているようなラーメンです。この次は必ずここに寄りたいと思います。


2005.2.17
昨晩はかみさんの従兄弟の嫁さん(とはいってもかみさんの高校時代の友人である)のお父さんが亡くなられたという事で、伊万里の桃川までお通夜に行ってきました。
かみさんも出かけるまで仕事をしていたので、夕ご飯の支度ができてなかったので、何か食事でもして帰ろうかという事になりました。が、しかし、家でゆっくり食べたほうがいいねとなって、帰り道のスーパーで刺身と惣菜を買って帰りました。7時半頃でしたが、もうその頃は刺身も惣菜も2割引になっているんですね。残り物で品数は少なめでしたがまだ新鮮でした。二人で外で食事をするとふたりともアルコールが入りますので、いつも帰りは代行運転です。昨晩はなんだか得したような感じでした。??。



2005.2.16
先程(午後2時頃)、佐賀方面からの帰りがけ、江北町から大町方面を見ると、高く黒煙が上っておりました。火事かなと思って車を急がせますと、江北町と大町町の境い目付近の田んぼの中のビニールハウスが真っ赤な炎と黒煙を上げて燃えておりました。白石消防署の消防車がすでに消火に当たっておりましたが、地元の消防団も駆けつけているところでした。私も近くの駐車場に車を止めて、じゅくじゅくの田んぼ道を革靴を履いたまま走って行きました。火はビニールハウスの一部を焼いただけで大過なくすぐ消火できました。どうやらビニールハウスの休憩場所が火元のようでした。町境付近でしたが、今回は大町側でした。今年はこれで3回の火災出動です。2度あることは3度あるといいますがこれ以上火災が発生しない事を祈るだけです。おかげで革靴とズボンが泥だらけになりました。


2005.2.15
昨年、12月に完成お引渡しをした、武雄市のT寺の檀徒会館及び庫裏の落慶法要が先の日曜日にあり、私も感謝状を下さるという事で出かけてまいりました。
参加者は、住職はじめ関係宗派の僧侶約20名、総代はじめ壇信徒約100名、他に建築関係者10名ほどで、しめやかに行われました。
今回のこの寺の改築は、建物も荘厳な由緒ある寺にふさわしい庫裏の佇まい、構えに仕上がったことは、我ながら自負してます。が、もうひとつ特質される事は、庫裏改築に伴い新たに築かれた、庫裏の前の石庭です。すばらしい庭に仕上がってます。
この庭は、小口基實さんという方でNHKの庭の番組にも出演されてる方だそうですが、この方が造園設計にかかわっておられます。杵島山を借景に、鶴、亀、須弥山をあらわす石をたくみに配置されており、そんなに大きな庭ではないですが、いつまでも眺めていて飽きのこない庭になっております。
落慶式の後、小口氏の講演がありましたが、さすが一流をかかげただけのことはあるお話でした。
この寺は臨済宗南禅寺派の寺ですが、庭だけ見に行くのもいいですよ。



2005.2.12
南隣の順天堂病院の前理事長の溝上松ニ先生が亡くなられました。
私は子供の頃から先生に何か病気をすると診てもらってました。
背が高く、体が大きくて一見怖そうですが、心のやさしい先生でした。ここ数年は新しくできた新病院で養生されていたようです。一昨日夕方、娘のH、M先生いわく「ふっと息をするとあっけなく息を引き取った」という事でした。
今晩、通夜で、明日葬式です。ご冥福をお祈りします。


2005,2.10
サッカーの日本対北朝鮮戦、見ましたか?。2対1でなんとか勝ちました。
私は中学校時代、サッカーをかじっていたので、大きな試合はよく見ます。
この試合はテレビの二ユースや新聞で前宣伝がよかったのかテレビの視聴率も大変よかったみたいですね。私も久しぶりに最初から最後までテレビにかじりついて、興奮、感動いたしました。
でもサッカーは、前後90分という時間の割には点数がなかなか入りません。ついついテレビの前を離れているとその間に点が入ってたりして悔しい思いをすることがあります。
うちのかみさんも、普段はサッカーなど見向きもしないのですが、昨日だけは別でした。
それも最初の5分(日本が1点入れました)、最後の5分(決勝ゴールを日本が入れました)だけを見ておりました。大変感動してました。いいとこどりでした。クヤシイー!


2005.2.8
昨日,今日と午前中、仕事で諫早に行ってきました。
行きは高速道で行きましたが、帰りは大村から国道444号線を通って帰ってきました。この国道は大村から福岡の大川まで続く道路で、佐賀県南部沿いの非常に便利な国道だと思います。以前は佐賀長崎の県境で切れてたのですが数年前、「平谷黒木トンネル」というトンネルができて鹿島から大村までいけるようになりました。
鹿島から多良岳、経ケ岳の山麓にはいり、大変景色のよい大村側の麓へ抜けるコースで、車も少なくドライブにはもってこいの道路です。途中休憩するとすれば、ひなびた平谷温泉や、峠のおいしい湧き水の飲める所や、大村側には黒木渓谷や萱瀬ダムを見渡せる展望台等があります。
昨日は雨のふる中を走ってきましたが、今日は雲の間にときどき、お日様が顔をだすような天気でした。
山に近づくにしたがって鼻がむずむずしてきました。そしてとうとうくしゃみが出てきてきました。見ると道路の周りは花粉を沢山抱えた大きな杉が、どこまでも折り重なって茂ってました。そうです。花粉症の症状です。
今年は、花粉の量が去年の30倍だそうです。半端ではありません。窓をしっかり閉め、エアコンを切って、外部の空気を遮断してどこにも寄らず、走ってきました。
自宅に帰ってきてもまだ目の周りがむずがゆいようです。
諫早にはもう何回か行く予定ですが、当分このルートは使わないほうがいいかもしれません。


2005.2.6
昨日、昼から「佐賀県自主防災組織活動支援シンポジウム」の聴講に行って参りました。
これは、大規模災害が起こった時、多方面で同時に災害が発生するため、消防の救急救助活動が十分行えない状況になる。このような時、救出活動等初期活動を行う自主防災組織の役割が重要となる。そこで、災害の発生に備え、自主防災組織の組織化を推進しようというのが目的のシンポジウムでした。
昨年も、新潟で大雨による河川の氾濫、又大きな地震が発生し沢山の方が犠牲になられました。その時どういう救出活動がなされたか勉強させられました。
我々の住む地域は地震が起こりにくい地域だと思われています。又大災害もここのところ起こってません。しかしいつこのような事が起こるか誰にもわかりません。
自主防災の重要さ、又、個人個人の日ごろの防災意識の大切さを学んだ一日でした。



2005,2,4
昨晩のことでした。
昼間いただいた煎り大豆を肴に、芋焼酎のお湯割りをちびりちびりと楽しんでいると、座敷で稽古中(2階の稽古場はリニュウアル中)のかみさんが、頂き物だといって、パックに入った巻き寿司を持ってきました。
見るとパックには「恵方巻き」、「今年の恵方は西南西」と書いてありました。
私は早速、西南西の方角を向きパクリと一口ほおばりました。
後でかみさんに、このいわれを話してあげました。するとかみさんも同じことをしました。
昨日の夕方、S新聞を見てますと、節分の巻き寿司の事がタイミングよく載ってました。
やっぱりブームの兆しがあるようです。
来年、かみさんは間違いなく巻き寿司を買ってくるように言うでしょうね。
ただしこの一年幸せに過ごせたらの話ですが。


2005.2.3
今日2月3日は節分の日です。
この歳になって知らない事が多いもので、この節分の日に太巻きの巻き寿司を、その年の縁起のいい恵方という方角を向いて、がぶりと食べるといいことがあるそうです。
今年は西南西だとお聞きしました(間違ってたらごめんなさい)。
昔からあった習わしでしょうが、誰がこんな事流行りにいたらせるんでしょうね。バレンタインデーが近づいてますねー。チョコレート屋さんは忙しくなるでしょうねー。
今日話してくれたYさんは、寿司屋も経営していますが、最近この日は太巻きの注文が沢山来るといっておられました。話の「でどこ」はこの辺でしょうかねー。Yさんもそれとなく言っておられました。
来年あたりは、かみさんが太巻き買ってきてというんでしょうかねー。
そういえば今日、久しぶりにあるところで真似事ですが豆まきをしました。一瞬子供に戻ったような気分でした。その豆は子袋にはいったピーナッツや煎り大豆です。もちろんひらい直しました。今晩のビールのつまみです。


2005,2,2
1月15日に大町中学校16回卒の同窓会を開いたと、翌々日の日記に書きましたが、その同窓会の事を事務局をしてくれてるE君が、昨日の佐賀新聞の投稿欄に「タイムスリップ」という題目でかいております。
内容は私が日記に書いていることと同じような事です。
E君は佐賀新聞の投稿欄の常連で、年に数回彼の文章が掲載されます。その内容はなかなか、辛口あり、提言ありで多彩なものです。彼とは高校も一緒でしたが、彼は確か新聞部に属していたと思います。だから今でも書くことが好きなんでしょうね。
私も下手ですがこれからも思った事を書いて行きたいと思います。


2005.2.1.
なるほど、今朝は昨日、天気予報でいってた通り、今年一番の寒さがやってきていて、我が家から見渡せる景色はうっすらとですが、あたり一面雪化粧でした。
国道はノロノロとですが、車は動いてました。しかし今日から明日の朝にかけて雪が降るという予想ですので、かみさんは有田行きを取りやめました。
私も先ほど武雄(片道10キロ)まで行ってきたのですが、車の通りの少ない県道は雪が積もって解けておらず、タイヤがスリップ状態で怖い思いをしてまいりました。
途中、田んぼに落ちている軽トラックもありました。
雪の多い北日本では50センチ、1メートル積もっても平気なのに、この辺では5センチの積雪で交通状況はパニックになるますね。
さて明日の朝までどのくらい積もるんでしょうかね。


2005.1.31.
今朝は随分、冷え込んでます。
昨日は、大変空気が乾燥していたせいか、自宅から正面に見える普賢岳が今年一番くっきりと見えました。うっすらと雪化粧した北斜面があんなにはっきり見えたのはここ数年覚えがありません。一年でこの時期が一番遠くの景色が見えるようです。
天気予報では、今日あたりから今年一番の寒気が来るそうです。
少し雪もちらつき始めました。明日の景色は朝は雪一色かな。



2005.1.29
今日、久しぶり(1月8日以来)にハウステンボスへ行ってきました。
例によって足の運動でしたが、午前中でしたので観光客もまばらでした。
風車のある地区の花畑には、もうチューリップが植えてあり、若々しく色鮮やかに咲いていました。この花畑には一年の季節を通してその時期その時期の花々が、植え替えられ目を楽しませてくれます。
ハウステンボスに入場して一番最初に目に飛び込んでくるこの景色が私は大好きです。そしてこの風車のある風景には、チューリップが一番似合います。オランダらしい風景だと思います。
ここを通り抜けて町並みに入って行くわけですが、最近、町並みがだんだん落ち着いてきて、しっとりとした感じに思えます。歩いていて優雅な気持ちになります。
それは街に植えてある木々が大きく成長して、建物が少しくすんで街全体に、風格が出てきたせいではないでしょうか。
チューリップ祭りが始まる来月からや、修学旅行シーズン、イルミネーションのきれいな夕方以降の時間等、人の沢山集まるハウステンボスも賑やかでいいものですが、人の少ない時に歩くハウステンボスも素敵なものです。


2005.1.26
昨晩は1ヶ月1度の三夜待ちが佐賀のKさん宅でありましたので出かけて参りました。
Kさんは地元、大町の菓子製造販売店の息子さんですが、自宅兼支店を佐賀に開いて、奥さんは佐賀の店の責任者として、本人は大町まで通って菓子製造に携わっておられます。そういうわけでkさんの当番月は揃って佐賀まで出かけます。Kさん宅は見ていて本当に仲のよい夫婦、親子関係で、娘のTちゃんがいつもせっせと料理を運んだり酒を持ってきたりしてくれます。うらやましい限りです。Tちゃんいつもありがとうね。
以前はせっかく夜の佐賀まで来ているのだからと、2次会にネオン街に行った事もありますが、最近は代行運転で直退です。
Kちゃんお世話になりました。




2005.1.25.
私の所属する佐賀県建築士会が、この度、「佐賀県安全住まいづくりサポートセンター」なるものを立ち上げました。
これはどういうものかというと、「あなたの家の安全を建築士が無料で相談・診断してあげますよ」という主旨のものです。
相談・診断の事項としては 1、高齢化対応バリアフリー 2、住まいのリフオーム 3、住まいの耐震 4、福祉住環境 5、シックハウス症候群 6、設計・施工に関する事項 7、防火、防犯に関する事項 8、敷地選定に関する事項 9、佐賀県その他制度融資について、等を原則的に現地において応じるものです。
各校区ごとに2名ほど、あらかじめサポーターに登録した建築士がこれに応じます。
大町地区は私と太田建築の太田さんが登録しております。2月1日から対応しますが、そのチラシが出来上がって、これを各家庭に回覧して頂くために、昨日、大町の区長会が開催されてる場所に出向き、説明の時間を割いていただき、主旨を説明してきました。
各町も同じようになされていくと思います。
新しい試みなので、この主旨が住民によく伝わるのか、これからどうなって行くのか私にもわかりません。しかし、今まで住宅に関することを、どこにどうやって、誰に相談していいものやらわからなかった人たちにはいい制度だと思います。大いに活用してもらいたいものです



2005.1.24
昨日は、北九州の息子の家を早く発って、我が家の隣のS寺での叔父の十三回忌の供養に間に合うように帰ってまいりました。
従兄弟のHI君は非常に信心深い人で、お墓も1昨年この寺の墓地に造ったし、こういう供養などはちゃんとお寺の本堂でしたりする人です。法要の後の食事もお寺の庫裏でだしたいつもりだったようですが、あいにく先約があったようで、近くの料理屋さんに席を移して行われました。
HI君の父、つまり叔父さんは、うちの親父のふたつ下の弟で、この間にもう一人S叔父がいます。もう早く亡くなって、来年又、このS叔父の法要があります。この3人は大変仲のよい兄弟だったようで、いつもこのような時には、私たち従兄弟たちはこの思い出話に花が咲きます。従兄弟会も年に一度してますし、同じような話題ばっかりのようですが、毎回毎回、今まで知らなかった、親父たちのエピソードが出てくるのだから面白いものです。
今年の5月には、姉と母の法要を行います。関東にいる姉たちも帰ってくるでしょう。
又、どんな知らなかったエピソードが出るか楽しみです。



2005.1.21
明日は初孫の満2歳の誕生日です。
孫の成育ははやいものですねー。この前生まれたかと思ってますと、もう2年です。
この間、はいはいしたといっては喜び、歩いたといっては喜び、風邪を引いてぐったりなって救急車で病院へ運ばれて(後で風邪だと判った)仰天したり、言葉をしゃべったといっては喜んだりとわずか2年の間にいろんな歴史を作るものです。
孫の顔を見るため、叔母さん(息子の姉)からの誕生祝も預かっているし、北九州までかみさんと出かける事にしました。
あさっては、親父の末弟、S叔父の十三回忌の法要がお隣のS寺でありますので、とんぼ返りで帰ってくる予定でいます。
大変寒い日が続いておりますが、予報では道路も凍結状態にならないようですし、気をつけて行ってきたいと思います。


2005.1.18
どんよりとしてすっきしない天気が続きます。佐賀県中央に位置する雄峰「天山」は昨日は五合目以上に雪が積もっていました。見ると今日も頂上付近は雪が残っております。
冬らしい景色です。子供の頃は、雪が積もると何故か嬉しい物でした。年に一回は雪がしっかり積もり、凍結して家を出られない時がありますが、今年もあるのでしょうか。半分楽しみです。


2005.1.17
一昨晩の土曜日、大町中学校卒業16回生の恒例の同窓会が開かれ出席してまいりました。
毎年一回、大町在住、それと呼びかければ必ずといってよい、駆けつけてくる、佐賀県福岡県在住の同窓生が集まって、近況報告、世間話、その他いろいろ、わいわいがやがや、話に花が咲きます。五年に一回は全国に散っている全同窓生に呼びかけて、記念同窓会なるものをやってきましたが、今年はいよいよ迫ってきた還暦同窓会をどうするか、という話題も出てきました。まだ3年先とはいえ来年あたりからぼちぼち準備に取り掛からなければと考えております。先輩たちもやっておられますし、又これからやられるだろうし、これらを参考に準備したいと思っております。
ちなみに今回は、一番遠い所では、長崎県生月島在住のM君が出席してくれました。その晩帰るということで、2次会までアルコール無しで付き合ってくれました。
その内おいしい魚でも食べに大町の同窓生でツアーを組んで生月島へ押しかけたいと思ってます。その時はM君、お世話になりますが、今回の分も取り戻して大いに飲んでください。
毎年私たちの同窓会を準備してくださる、事務局のE君、M君夫婦に今回も大変お世話になりました。ありがとうございました。




2005.1.15
うちの玄関の横に釣り道具や、アウトドア関係の道具や、以前使っていた下駄箱などを雨ざらしで置いていて、見栄えがよくなかったので、ぼろ隠しに細長い小屋を造る事にしました。今日その工事に取り掛かるという事で、朝一番に塩、いりこ、米、お酒をふってお払いをしました。工事というのはよく縁起をかつぎますが、私もそれなりに気にするほうで、正式なやり方ではありませんが、心を込めてお払いいたしました。
新築などの工事の時は、暦の六曜、十二直の縁起のいい日をお客様と選んで決めますが、今日の我が家の着工日としては何も気にしてなかったのですが、後で調べたら「六曜大安、十二直ひらく」で大変よい日でした。胸をなでおろしました。



2005.1.14
今日は昼から仕事で諫早まで行ってきました。
武雄に用事があったので、高速には嬉野ITからのりました。
帰りはのんびりと有明海側の「したみち」を帰ってまいりました。諫早から大町までは約60キロあります。今日は天気はまずまずで、干拓化が進んでいる諫早湾越しに普賢岳がくっきりと見えました。私の家も茶の間の正面に普賢岳が見えますが、ここから見る普賢岳は、荒々しい山肌がくっきり見えて、あの激しかった噴火がいまさらながら思い出されました。頂上付近はうっすらと雪化粧でした。
小長井町から佐賀県の太良町、鹿島市にかけてのこの通りはいわゆる「かき焼き小屋」がたくさんできていて、今では「かき焼き街道」として有名になっています。10年前までは数件の店しかなかったのですが、今では50軒はあるでしよう。「元祖」なる店が3軒ほどありました。昨日、偶然息子からTELがあり「わらすぼの干物を買っといてくれ」とのことでしたので途中、七浦の潟スキー公園の地元物産店にたちよって買って来ました。「自分で食べるのか」と聞きますと、同僚の故郷へ「自分の地元のお土産」として送るためだとのことでした。このわらすぼの干物、軽くあぶって「がに漬け」などをちょっとつけて食べると最高にうまいものです。只、私は子供の頃から食べなれておりますが、こんなグロテスクな姿をした干物をよそ(他県)の人が食べれるでしようか?。その姿を見ただけで卒倒するのではないでしょうか。心配です。
この物産店には他にも沢山の地元で取れた、いわゆる「まえもん」(有明海産)がおいてありました。赤貝、蛸、網の中で動きまわるかに、はぜ、氷の上でぴんぴん跳ねてるぼら、えび、たいらぎ、もちろん殻付きかき。私は今日の晩酌の酒の肴にタッパの中で沢山の足?をうごめかせている元気な「しゃっぱ」を買って来ました。
干潟公園の横のかき焼き小屋では、数人の人がドラム缶製の焚き火の上に、金網を張った上で、殻付きかきを焼いて、食べていました。私は横目で見ながら、つばを飲み込みながら車に飛び乗り帰ってきました。
さあー早く、晩酌の時間にならないかなー。


2005.1.13
今朝は早寝早起きを心がけたせいか、昨日の体調の悪さが嘘の様に、快調な身体に戻りました。
EM菌の話です。
今日、いつものようにRクラブの例会がありました。
先日大町の婦人会長さんに会った時、婦人会で推奨しているEM菌の話を是非、私たちの集まりでお話してくださいと相談していましたが、快く承諾してくださっていました。
今日の集まりでその話をしていただきました。
EM菌とはEffective,Micro-organisms(有用微生物群)の頭文字だそうで、動植物に有用な働きをする好気性菌と嫌気性菌、10属80種類以上を含む蘇生型微生物群だそうです。
EMは農業で土壌の質を高め、化学肥料を使わず病虫害を防止し、川に流す事で水質を浄化し、住宅のシックハウス症候群にも効果があると聞いて驚きました。又、浴槽のお湯にこれを入れるとさらさらになり健康面にいいそうです。(詳しくはHPでEM菌を検索してください)。
EM菌への取り組み、奨励は各市町村で婦人会の方々を中心になされているようですが、男性軍の理解が足りないようです。
今日はいい勉強になりました。M会長さん他、Tさん、ありがとうございました。



2005.1.12
毎日寒い日が続きます。
今日は今朝からなんだか「さむけ」がします。
午前中は仕事で佐賀方面へ行って、仕事をさばかしてきたのですが、頭がぼーっとして「さむけ」がだんだんひどくなってきました。
帰宅が昼にかかったので、今年初めてのラーメンでも食べて帰ることにしました。
佐賀から大町までの間に沢山のうまいラーメン屋さんを知ってますが、今年最初のラーメン。
飛びっきりこってりとんこつの牛津の「Y小屋ラーメン」にしました。
例によってラーメンライスにしました。ここのからし高菜は舌がひりひりするほど辛く、ご飯を食べる時には必ず食べます(ラーメンの味がわからなくなるからたべすぎにご用心)。
ところが風邪気味で食欲がわきません。ご飯を3分の2残し、又、こってりスープを飲めませんでした。やっぱり今日は最近あっさり系に変わってきた「D福ラーメン」にすればよかったかな。
昼から暖房をガンガン効かせてパソコンに向かっていますが眠気がします。
今日は早めに仕事を切り上げて明日に備えようと思います。


2005.1.10
今日も消防の話です。今日は少しのどがかれてます。
昨日は大町消防団の出初式が早朝よりありました。私はその総指揮を務めさせていただきました。総勢178名の総指揮を務めることは名誉でもあり、責任もあります。張り切りすぎてちょっぴりのどを痛めたようです。
出初式の後は総勢でラッパ隊を先頭に町内をパレードいたしました。その後、宮浦のため池で消防車8台による一斉放水を行いました。又、この後婦人協力隊の要請もあり、EM菌をため池いっぱいに放水しました。
この事は今朝の佐賀新聞にも取り上げていただいております。この宮浦のため池は、私が子供の頃沢山の鮒や、鯉や、鯰や、鮠がおよいでいて、よく魚釣りをしたものでした。ところがその後一時、住宅の雑排水の垂れ流しなどで汚れた、ため池になっていました。近年は少しずつきれいにはなってきて、魚も棲むようになっては来ておりましたが、EM菌の散布によりこのため池が魚いっぱいの池になって欲しいものです。そして又、こういう活動により住民の意識が変わりこれからもっともっと河川、ため池などが浄化され、魚、昆虫の棲みやすい環境になって欲しいものです。




2005,1,7
昨晩、火災が発生しました。
丁度夕食(晩酌込)を終え、お湯割の焼酎を一口グビリと飲んだ時、2階にいたかみさんが、「西に消防車が走って行ったよ。大町町内ではないね?」と駆け下りてきました。私は町のサイレンか放送がないか、窓を開けて聞きましたが何もありません。只、スピーカーからガタガタと雑音が聞こえてきたので、これは役場の当直の管理人さんが、放送設備の不慣れで
火災の放送ができないでいるのではないかと思いました。
そして、テレビを地元のCATVに切り替えたら、”大町の高砂団地の西の谷で火災発生”とテロップが流れていました。これはいかん、とすぐ消防服に着替えて出かけようとしましたが私もかみさんもアルコールが入っていたので車の運転ができません。1キロ先の現場まで走っていく事にしました。そこで町道まで100Mはある急な坂道を転げるように走っていきました(実際はボテボテノロノロだったでしょうね)。町道に出ますと、幸いそこに西から2部(乗ってからわかった)の消防車がサイレンを鳴らして走ってきましたので、手を振って乗せてもらいました。
『あーあー、前日に大町消防団の無火災の祈願をしてきたのにもう発生したか。』と思いながら現場へ急ぎました。
現場付近に到着すると大町消防分署、白石消防署の消防車がすでに消化活動をしていました。実は火災が発生すると消防団が一番に火災現場へ出動するというわけには行きません。
119番の火災報告が武雄消防署にまずはいり、現場付近の消防分署がまず飛んで行き、その後、発生した町に連絡が行き、サイレンが鳴るわけです。(CATVが早いのは地震と同じくCATVにも即連絡が行くのでしょうね)。それで消防団が出動します。
火の手の方向をよく見ますと、住宅団地の西の林の谷の下の建物が燃えているようでした。消防ホースはその林をかいくぐって何本も出ておりました。しかしあの場所は団地の南の入り口よりもうひとつ西にある、北方町との境にある細い道を北に上ったほうがいいのではないかと判断して、4部消防車と行ってみると、やはりそうでした。しかし着いた時は消防署員の活動でもう沈火状態でした。火元はみかん小屋で一軒の火災で済みました。現場にいた小屋の持ち主に、「小屋のある場所は大町ですか?」と尋ねますと、「小屋のある場所は北方町です」と答えられました。大町北方の町境付近だったのです。私は内心胸をなでおろしました(北方町消防団の皆さんごめんなさい)。すぐ団長に報告しました。これで大町町の無火災はまだ続きます。
あらためて、皆様火には気をつけましょう。






2005,1,6
昨日は早朝(午前6時)より、M社恒例の鹿島の祐徳神社での祈願祭に参加してまいりました。そこで聞く社長の年頭の訓示は毎年、「本年も厳しい中、躍進をして行こう!」というような事ですが、「本年は本当に厳しい年になる」という事を強調なされておりました。私も気を引き締めなければとあらためて感じとった次第です。
又、5日といえば大町消防団のこれまた恒例の3社参りの祈願祭がありまして、引き続き参列してまいりました。大町八幡宮、聖岳弁才天神社、福母八幡宮と大町在所の3社に今年の無火災を祈念してまいりました。その後、これまた恒例の「お神酒開き」でいささか酩酊して帰ってまいりました。仕事になりません。一昨日の仕事始めの次からこれですから、どうしようもありません。毎年5日までは仕事になりません。いやこれも仕事かな?。
夕方はかみさんの運転で、隣町の温泉施設に酒気落としにいってさっぱりしてきました。
今朝は朝から快調に仕事してます。



2005,1,4
新年明けましておめでとうございます。今年がよい年でありますようにお祈りいたします。
今日から私も仕事始めです。
暮れの28日から連日続いた、アルコール漬けもやっと、元日の兄夫婦との恒例の新年会、一昨日のかみさんの実家の新年会を最後に終了いたしました。
昨日はアルコール抜きで、本日はさわやかな新年の仕事始めを迎える事ができました。
今月中旬までは何かと新年のセレモニーがありますが、体調に気をつけて酒もほどほどに入れて、一年間のいいスタートを切りたいと思ってます。
今年もがんばりましょう!。





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