2004.12.31
今朝、起きてみると家から眺める町の屋根屋根が真っ白に雪化粧でした。
しかし、国道の車は動いているようです。
今日は大晦日です。この雪は、今年一年のいい事、悪い事を白いキャンバスに戻したように思えます。明日迎える新年は、このキャンパスにいい絵を描けるようにしたいものです。
よいお年を!


2004.12.30.
私の職業は、分類すると「自由業」にあたります。そういうわけで、仕事も何時から何時までと決めているわけではないし、休みも何日と決めているわけではありません。朝、どんなに早く仕事しょうが、どんなに早く終わろうが自由です(そうだから自由業とはいわないでしょうけど)。そういうわけで、今年は一応、27日を仕事納めといたしました。(とはいっても年明け早々確認申請提出の物件を数件抱えていますがそれは年末年始の間、人が仕事してない時間に仕上げます。)
28日には、息子夫婦が、孫を連れて帰ってきて、普段は二人きりの静かな家庭が久しぶりに、賑やかになりました。
昨日は、たまには、息子たちも夫婦二人で出かけたいだろうからと、2歳になる息子の子を、私とかみさんで面倒みることになりました。
まだまだ甘えん坊の、親の姿を見ないと泣き出す、孫ですので私たちで面倒見れるのか心配でしたが、なんとか面倒見る事ができました。親がいない時はいないで子供も考えているのでしょう。おかげで孫とのコミニュケーション深く取れました。



2004.12.28
地元の八幡神社のお火焚きが、例年通り昨晩ありました。私も私の家を1年間、お守りしていただいた、家内安全、商売繁盛その他のお守り札を神社の境内で焚く火の中へ、感謝を込めてお納めいたしました。
数年前までは、地元の消防団員として20数年、お火焚き警戒として消防車とともに出動していました。今は一応、地元の消防団員としての役割を離れましたので一般参列者としてお参りしてます。お火焚きは夕方6時から始まり、9時ごろまで沢山の老若男女が訪れて、お参りをします。昨晩は神社関係のご婦人方が、参拝の方にお汁粉をふるまっていらして皆さんおいしそうに食べておられました。
お火焚きの中でできた、木炭を持ち帰り、神棚において置くととその一年間火災にあわないという事で、総代さんや消防団員がかき出した炭を、皆さん持ち帰っておりました。
さて、今晩から3日間、消防団員は全員が交代で、地元のそれぞれの格納庫に待機して20時から朝方4時まで歳末警戒に当たります。私も消防団役員の一人として3日間参加します。21時ごろから各格納庫を激励して回ります。本部を含めて、8つの部を巡回しますが、各部それぞれに、歳末警戒中の状況を隊列を組んで報告する儀式があります。夜半のピンと張り詰めた静けさの中、指揮班長が気合の入った報告をします。この時ばかりは私も見習い消防団員の頃から緊張したものでした。この巡回が終わりますと各部は、それぞれ煮炊きをし食事にかかります(決して宴会ではありません)。少しお酒も入れながら警戒に当たるわけです。普段はそれぞれ異なる生業を持ち、すれ違いの多い生活をしている地元の人間が、こういう時にコミニュケーションをとりながら、万が一に備えるのです。
これからの年末、年始無火災を念じながら歳末警戒に参加したいと思います。
団員の皆様今日から3日間本当にご苦労様です。



2004.12.24
昨日、佐賀県立の佐賀城本丸歴史館を同じ建築士で友人のM君と見学に行ってまいりました。この建物は、昨年の夏、建築士会主催の建築現場説明会で建築途中の歴史館を見学しておりました。それが完成してこの8月から、一般公開されておりました。M君と早くから見学に行こう行こうといって、延び延びになっていたものがやっと実現したわけです。場所は佐賀城内の本丸跡で、木造復元物として本丸御殿の遺構を保護しながら、残された図面などから忠実に建てられております。先人たちの匠の技がすばらしい美を放っています。
入場は無料で、ボランテア(多分そうだと思う)の人たちが、順路に沿って館内を案内してくれました。約1時間見学しましたが、私たちは建物の構造自体に興味があり、たった二人の為付いてくれた、説明係のおばさん(いや失礼、お姉さん。)のせっかくの展示物の説明は上の空でした。申し訳ありませんでしたお姉さん・・・。この次はじっくり展示物を見させていただきます。何せ入館無料ですから。
佐賀城は徳川時代、何度かの火災で天守閣等は全焼してしまったそうで、その後鍋島直正公が本丸御殿だけを再建してそこに住んだそうです。その後ここには赤松小学校ができました。私も小学生の頃、この近くに住んでいた一歳年下の従兄弟のH君のところに、姉と一緒に夏休みの度に遊びに来ていましたので、ここで遊んだ記憶があります。
もとB&Bの島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」の本によると、彼もこの頃赤松小学校に通っていたようでした。この本で従兄弟のH君の友達だったみたいな人が登場するので、同級生かなと思って調べてみたら、彼は従兄弟のH君の一学年下のようでした。この佐賀のがばいばあちゃん」の本はやがて映画化されるそうで、楽しみです。


2004.12.23
ウインタースポーツの時期がやってまいりました。特に駅伝、マラソン、ラグビーのテレビ観戦を楽しみにしております。
郷土勢の活躍は応援のし甲斐があります。
いよいよ26日は全国高校駅伝があります。佐賀県勢は女子はあまり上位入賞は期待できませんが、男子の白石高校は期待できそうです。2年前の準優勝とはいかないでしょうが、なんとか10位以内には入ってもらいたいものです。
歳末から正月の全国高校ラグビーは常連の佐賀工業の活躍も期待できそうです。
大学ラグビーは佐工出身の早大の五郎丸君の活躍が楽しみです。又社会人チームにも佐工出身者が沢山いて、彼らを中心に応援しようと思います。
正月の大学箱根駅伝は、私の知人の喜多さんの弟が監督をしている、帝京大学を中心に応援しますが、全大学で佐賀県出身者が10数人いるそうですからこれもまた楽しみです。
元旦の社会人駅伝も楽しみですが九州勢で優勝常連の旭化成が、最近弱いのは気がかりです。
26日の有馬記念は競馬素人の私ですが、ハウステンボスの佐世保ウィンズで万馬券でも狙って買っておきましょうかね。・・・・・


2004,12,21
今日は「戌の日」だそうでして、かみさんは嫁いだ娘と、嫁ぎ先のお母さんと3人で「帯祝い」のお払いに、伊万里の神社に出かけました。帯祝いとは妊婦が妊娠5ヶ月ごろ岩田帯を付けるという慣わしだそうですね。
午前中に行かなければiいけないということで、帰りは食事でもしてくるのでしょう。
私はお昼は、おふくろがよく作ってくれた「だごじる」でも作って食べようかと思いますが、最近あのきしめんみたいな「やなぎは」という麺がありません。代用にうどんで作ってみます。




2004,12,20
昨日は17日に亡くなられた、お隣(とはいってもお寺です)のお母さん(前住職の奥さん)のお葬式に隣保班の一人として、お手伝いをしてきました。
もちろん葬儀はお寺の本堂でありました。
一昨日の通夜もお手伝いいたしましたが、さすがにお坊さんの数が半端じゃありませんでした。私は外にいて中の様子はうかがい知れなかったのですが、荘厳な読経の声が外にも響いてきておりました。
日ごろの運動不足がたたってか、たった3時間ぐらいの立ちっぱなしで今朝は足のふくらはぎがこってました。
私の運動不足は深刻です。今日から夕食前に少し散歩でもしましょうかねー。


2004,12,17
昨日は博多泊まりでした。
かみさんと二人、キャナルシテイや警固公園の色鮮やかなイルミネーションを楽しんできました。
最近はどこもイルミネーションの飾りが盛んで、小さなわが町もささやかながら、駅から本通りまでのメイン通りに電飾が飾り付けてあります。夜になると殆んど人の通りがなくなり寂しい、わが町のメイン通りですが、たまに千鳥足で家路に着く時は心温かくなるものです。
今度はハウステンボスのイルミネーションを楽しみに行きたいと思ってます。


2004,12,16
24年前、私が前の会社にいた頃建てて頂いた、お客様から屋根瓦の塗替えや、住宅内部のリニューアルの相談があって取り掛かっています。
当時、屋根材といえば焼付けセメント瓦が一般的な仕上げ材になっていました。
その当時、和風の家を造るのが会社の方針でしたから、いろいろと建材選択にも苦労したのですが、屋根瓦もそうでした。在来の粘土瓦を使用すれば問題ないのですが、単価を安くするためセメント瓦でいかに純和風に造るかという事で、瓦製造会社に依頼して、粘土瓦に近い、いぶし銀の焼付け塗装色を開発してもらったものでした。
いかに焼付け塗装技術が進んでいた時代であっても、24年も経つと瓦はその面影がありませんでした。今回はいちばん耐久性のある、黒にしてもらいました。瓦自体も、台風等で割れて痛んだのもありまして、その替えの瓦が現在造られておりませんでした。しかし今回は、数ヶ月前、ちょうど時期を同じくして建てて頂いたお客さまが、増改築をなされて、同じ種類の瓦を何坪分も保管されておりました。それをいただいてきて取り替える事ができました。
現在は陶器瓦が主流です。セメント瓦は殆んど使わなくなったといっていいでしょう。
今主流でもいつか屋根材も新しい屋根材に変わるかもわかりません。いつ在庫がなくなっているかわかりません
こういう時のため、新築した時は、予備の瓦を沢山とっておいたほうがいいですよ。



2004,12,12
「といやのババシャン」。私たち兄弟、姉妹はこう、呼んで下りました。
私の15才年上の兄、その下の3人の姉、私が3歳の頃中学生で亡くなった兄。「ババシャン」には、みんな我々の「ばあちゃん」としてお世話になりました。
うちの親父は、戦後まもなく、自動車の整備工場を経営していたと1昨日書きましたが、私の幼少のその頃、親戚、遠戚、従業員の家族一族等、たくさんの人が私のうちに出入りしていた事を記憶しています。又、隣近所の人たちも何の遠慮なく出たり入ったりしていたと思います。そういう時代でした。お袋も大変忙しかったと思います。そんな中、私たちは数軒離れた「といやのババシャン」に預けられたように面倒を見てもらいました。ババシャンのうちは魚市場でした。そこの管理人みたいな存在だったのでしょうね。いまではわかりません。(兄姉たちわかるでしょうが。)魚市場、つまり問屋=といやでした。それで「といやのババシャン」です。「ババシャン」には「オンチャン」という夫がおりました。二人には子供がありませんでした。私たちは、当然「オンチャン」にも可愛がられました。私が小さい時は、布団の二人の間に挟まって暖かく寝たものでした。「オンチャン」にはいつも一緒に五右衛門風呂に入れてもらって、体中洗ってもらったことを覚えています。
二人はAさんという養子をもらいました。もう青年だったと思います。幼少だった私はAさんにも可愛がってもらいました。だからいまでもAさんは私にとって、1昨日書いたTさんと共に兄貴のような存在です。その頃、麦飯ではない貴重な白米だけの「銀シャリ」を「ババシャン」にいつも食べさせてもらいました。働き盛りのAさんへの気遣いのおすそ分けでしたでしょうか。
まもなくAさんはYさんと結婚(私が小学生の頃)しましたが、私は高校卒業して故郷を離れるまで「ババシャン」と交流がありました。
その「ババシャン」の33回忌の供養に今日、Aさんからお誘いを受けて出席してきます。

追伸、そのAさんの長男H君とTさんの次女Aちゃんが、その後結婚結婚したのも何かの縁ですかねー。
H君はいまではAさんの事業を発展させ事業家としておおいに活躍しております。
草場の影で喜んでいる人がたくさんいるようです。





2004,12,11
忘年会第一弾!、昨晩は本年の年忘れを飲んで語り合う今年最初の忘年会でした。
それもいちばん気の会う三夜待ちの、しかも夫婦揃っての忘年会でした。
場所はT市のY亭という、ここ最近改装し大変料理に評判のよい料理屋さんでした。
値段の割りには、品数、味ともさすがにはやってる店だなと思いました。おいしい料理おいしいお酒、この日も気持ちよく酩酊いたしました。
今回も、会計幹事をお願いしている、Mさんに店の手配から車の手配、2次会のセッテイング
全てをしていただきました。 Mさん大変ありがとうございました。
2次会では年に1度か2度しか歌わないカラオケを、今回も久しぶりに歌いました。苦手で下手な歌ですけど、私の実力を知っている人たちの前ですからここでは、いつも遠慮なく気持ちよく歌えます。いい腹ごなし?になりました。
今朝は、かみさんに、明日から始まる忘年会のれんちゃんに備えて、今晩は禁酒しなさいと
きつくくぎを刺されました。・・・・・・・


2004,12,10.
昨晩、大町商工会主催による、Tさんの国土交通大臣表彰受賞の祝賀会に兄と共に出席してきました。Tさんは私が「親父」とも「兄貴」とも慕う人です。1昨年は消防団関係の長年の功績で勲6等の栄誉にも輝いておられます。今回の受賞は、自動車整備事業振興並びに業務精励の功績による表彰だそうです。本当におめでとうございました。
Tさんは私の父が50数年前、自動車整備関係の事業を経営していた頃の「一番弟子」?でした。そういう関係でTさん一家とは今でも親戚以上の付き合いです。生前の父は老いて病弱になった頃、若かった私が頼りなかったのか、Tさんを呼びつけて何かと用事を頼んでいた事を思い出します。父は本当にTさんを頼りにしていたようです。
そういう人柄だから、こういう大きな賞を2度もいただけるんだなと感心し、うなづきました。
年齢は70歳とちょっと。まだまだ現役で働いておられます。Tさんいつまでも元気でがんばってください。


2004,12,9
北九州在住の孫とは、ときどきビデオチャットで顔を見たり、声を聞いたりしておりましたが、これがなかなか、カメラをつけたり、イヤホンをつけたり面倒なものでした。
先ほど北九州の息子の嫁よりTELがあり、「いきいき育児」にHPを開いたからそれで見れますよと、とのことでした。
早速、検索したらすぐ見つかりました。できたばかりで、サイトとしてはまだまだこれから、賑やかになっていくのでしょうが、孫の成長振りの写真がこれからはすぐ見れるのが楽しみです。しかしHPの世界は便利なものですね。


2004,12,8
NHKTV番組、夕方5時のローカル放送で、佐賀の各市町村の「ふるさと遺産」、という事で週に1,2町取り上げておりますが、昨晩は大町の番でした。大町からは聖岳の楠木群生林を紹介しておりました。この楠木群生林は、約100年程前植林されその数約900本、県内で群生しているのはここだけだそうです。ここは聖岳頂上のすぐ下にあり、駐車場があり、私は聖岳頂上にある展望台をめざすとき、この群生林で森林浴をして一呼吸して登ります。
この「ふるさと遺産」は、エッセイシストの筒井がんこ堂さんが解説、紹介されております。がんこ堂さんは、「私の出身地が隣町の北方でして、住んでいたころ、この聖岳から北方町境まで続く鬼の鼻山までよく歩いた。」と、おっしゃってました。
20年ほど前、がんこ堂さんの実家の設計、施工を私が担当させていただきました。
当時、実家はがんこ堂さんの弟さんが、ご両親と生活されておられまして弟さんからのご依頼でした。お父さんは佐賀のS大の美術担当の先生をなされていた方でもうリタイアされておられましたが、、画家でもありました。そういうわけで施工にあたり、インテリア、カラーコーデイネイトについては、父の意見を取り入れてくれとクライアントである弟さんから言われました。
私は慎重に、お父さんにご相談いたしましたが「家のことはわからない。全て君に任せる」とおっしゃってくださいました。私はいつも以上にカラーコーデイネイトに気を使ったことを思い出します。 お父さんは俳句の会も主宰なさっておられましたし、大変温厚な方でした。今、テレビなどでがんこ堂さんの顔などを見ていますと、今はなくなっておられる、お父さんのことがいつも懐かしく思い出されます。
建物としては、数奇屋風の外観と、内部にいたりましては、和室は伝統的に、居間食堂台所は当時の一番進んだ材料、設備、等を取り入れたました。今もときどきお伺いする事がありますが大変手入れが行き届いたおうちだなと感心しております。
さてさて、近いうち、天気のよい日に久しぶりに聖岳の頂上に登って見ましょうかね。


2004,12,6
4日前、義姉夫婦の次男のS君夫婦に、待望の長男が誕生しました。S君K子さん、長男誕生おめでとう。
そういうわけで義兄のホームページには、長男T君のところに次ぐ2番目の孫の誕生で、毎日その話題が載ってます。
私のところも、長女夫婦に来年5月にベビー誕生予定だし、義姉夫婦の長男夫婦のところも同じく来年5月ベビー誕生予定です。このところ両家には孫誕生の「マイブーム」が当分続きそうです。「団塊の世代」といわれる私の同窓生のそれぞれの家庭でもこのような事が少なからず起こっているのではないでしょうか。
今朝の佐賀新聞の{有明抄}には「2007年問題」として、ベビーブーム世代であるその「団塊の世代」である、我々がいよいよ定年を迎え、大量退職に伴う社会的影響が発生することをとりあげております。
1947年ー1949年に生まれた「団塊の世代」は約700万人。これが一斉に退職すると企業の情報、技術の継承、それに退職金等々。退職する本人の再就職問題、余生の生活のあり方、年金・・・・・・・。大きな社会現象が起こるに違いありません。
当事者の我々のこれまでの生き方が問われ、大きく変革する時がすぐそこまで迫ってきております。


2004.12.5
昨日は、前日の深酒のせいか、或いはこれまでの不摂生の為か、夜中に腹痛を起こし、午前中なんとか仕事をしましたが、午後はずーと横になったり、テレビを見たりして過ごしました。
又、昨日は1日中雨が降り、外も暗く本当に憂鬱な1日でした。お蔭様で、今朝はぐっすり眠れて、体調も戻り大変快適な目覚めでした。今日は午前中、昨日できなかった仕事をこなした後、運動がてら、ハウステンボスにでも行こうと考えてます。



2004,12,3
T市、T寺の檀徒会館及び庫裏の 設計監理をしておりましたが昨日、建築完成のお引渡しが終わりました。
規模は改築部が木造2階建て、500u弱。エキスパンションジョイントでつながる本堂までいれると約950uの建物です。 
昨年の9月設計入札、建築確認通知取得まで約4ヶ月の設計工期をいただき、建築業者入札が3月。5月に着工し、建築工期が11月末日。なんとか工期内に引渡しができました。
お施主様が、いわゆるシックハウスに、大変造詣と関心が深く、使用建築資材の細部まで気を配りました。その結果、建物のほとんど全てに自然素材を使用し、昔ながらの和風の建物を造ることができました。
昨年、建築基準法が改正され、シックハウス関係の法令が厳しくなりましたが、自然素材を使用する分にはなんら際使えがありませし、というわけでこの基準は楽にクリアできました。
只、最近の建築資材にもできるだけ、ホルムアルデヒド等の有害物質を発生しない新建材が競って発売され、全ての建築資材がその方向に向かっています。今、全ての建物に義務付けられている24時間換気設備の設置(計算により換気量を計算された換気扇)、又、有害物質の発生量を、これも計算により許される範囲内に含んでいる、新建材をその範囲内に使用すれば、新建材の使用とて問題はありません。このほうが建築単価も安くあがるのは間違いありません。
ともあれ昨日は又、おいしい祝杯を挙げました。



2004,12,1
今日から12月、今年も後、残すところ一ヶ月。早いものですね。
昨晩、周りもも暗くなって、各家に明かりが灯ったころ、谷ひとつ離れた、鎮守の森から,若者が敲く”かんまち太鼓”の響きが流れてきました。”かんまち太鼓”。正式には「神待ち太鼓」というのでしょうが、出雲に行っていた、地元の神様が帰ってくる事を祝って、歓迎の太鼓を奉納する事をいいます。陰暦10月の神無月(出雲では神有月)、11月は霜月ではありますが、何故かこちらの神社では11月の最後の日に”かんまち太鼓”を敲きます。よるのふけるまで太鼓の音は響きましたが、神様がお着きになるのを祝って私も、お神酒を上げて昨晩も晩酌をしました?・・・・・。
今月は忘年会をはじめ、何かと酒を飲む機会が多いのですが、深酒には注意したいものです。

2004,11,29
一昨日のR君の結婚式、披露宴は大変賑々しく、いろんな意味で、楽しい明るい結婚式でした。R君、本当におめでとうございました。これからも明るい家庭を築いて下さい。又、1年10ヶ月になる孫も花束贈呈という大役を、生まれてきて最初の大仕事として行いました。
昨日も大変いい天気でしたので、お昼ご飯は、カーポートの屋上で、弁当を開いて息子夫婦と食べました。この時期、太陽の下で食事するのもいいものです。
昼からは、部落のグランドゴルフ大会と、忘年会がありましたので世話役の一人として出かけましたので、息子たちは北九州の仕事場へと帰っていきました。今度孫に会えるのは正月かな。その時は又、成長している事でしょう。楽しみです。


2004.11.27
昨日、北九州に住んでいる息子夫婦が孫をつれて帰ってきました。孫は今、満1歳と10ヶ月になりますが、この時期3ヶ月も会ってないと、随分大きくなって成長しているものですね。言葉も少し話すようになっていて、「じいちゃん」などと言われると思わず顔がほころびます。
今回の息子の帰省は本日、友人のR君の結婚披露宴に出席のためでした。R君の父親は私と同じ建築関係の仕事で、わたしとも親しいので、私も本日出席いたします。又R君は、独身時代、鳥取iの会社に就職後も、盆正月は我が家に泊り込んで息子と酒を飲み交わしておりまして、私もかみさんもその輪によく加わっておりました。だからうちのかみさんも招待されておりまして、本日は一家総出で伊万里の会場へ向かいます。今日はかみさんは祝舞をおおせつかっておりますし、孫が新郎新婦に花束贈呈の役をするし、息子は友人としてのスピーチをするそうですが、私はただただ、おいしいものをたらふく飲んで食うのが役目です。


2004,11,25
魁皇が又、負けた。3敗目、横綱昇進絶望!。最近の大相撲は、モンゴルパワーが凄まじく、興味はあるが、あまり見てなかった。が、今場所は久しぶりに日本人力士が活躍しそうで、テレビの実況中継に注目していました。魁皇には何度もがっかりさせられました。右上手を取ったらあの貴乃花だって、軽々と負かせてしまうパワーの持ち主です。何度も昇進のチャンスがあったのに、プレッシャーに弱いんですかね。まあー、私も人のことは言えませんが・・・・。
しかし、もう一人注目すべき日本人力士が久しぶりに現れました。まだ18歳の稀勢の里。横綱を狙える若者のような気がします。
テレビの実況中継を見ていると、前の桟敷席はお客さんが詰まっているようですが、チラッと映る後ろのいす席はガラガラのようです。私も九州場所は、十数年前、本場所を見に行った事はありますが、最近はありません。1年後、稀勢の里が上位で活躍していたら、まだ大相撲を見に行った事がない、かみさんと「日本人力士」と、「日本の大相撲」とを応援に行きましょうかね。


2004.11.23.
阿蘇の帰りに、同窓会で帰省していた姉を福岡空港へ送って無事帰ってきました。さわやかな天気に恵まれ、大変楽しい旅行でした。
帰ってきて新聞を開いて読みましたが、今日の佐賀新聞の「有明抄」の担当の(賢)さんは、合併について『自治体の台所事情は今やどこでも火の車だが、誰もが「町や村が倒産するわけがない」と思っている◆ほんとうの危機はタカをくくった、そんな能天気な住民意識にあるのだ・・・・・・・。』と書いておられる。
一般住民の私は(賢)さんに、とんでもない勘違いをしておられるのではないでしょうかと怒りたい。タカをくくった能天気な人は「住民」ではなく、合併を成立できない市町村の執行部や市町村の議員さんではないですかと、いっておきたい。例えば会社の倒産は、いっかいのサラリーマンは自分の会社が倒産する時、ギリギリまでわからないのが一般的です。ある朝出社して突然、会社の倒産を知らされた、というのが実情です。会社の社長や管理職は社員に、倒産の事など簡単に教えてくれないのである。うすうす情報はあるのだがただひたすら、一生懸命働くのがサラリーマンの務めなのである。「住民」もそうではないでしょうか。自分の住んでいる市町村の財政が厳しいのは、広報などである程度はわかるでしょうが、詳しくはわかりません。その為、議員さんに我々の意見の代弁を託しており、又、我々の市町村長がおられるのではありませんか。「住民」を能天気扱いしてはいけません。
合併、合併と市町村を威嚇するように推進する国、県もどうかと思いますが、合併で倒産を防げるのにお互いの障害、相違点を譲歩で、乗り越えられない、市町村はどうかしてると思います。「譲り合えば出来る」じゃないですかと、私は言いたい。



2004,11,22
一昨晩の三夜待ち、いつもの通りわいわいがやがや、いろんな話題で話に花が咲いたのですが、この晩の話で一番にぎわったのはSさんの話題でした。Sさんは数年前、病気を抱え、三夜待ちも欠席がちで、出席しても酒は飲まず、もっぱらウーロン茶を飲み、人の話を聞くことが多いという感じでした。しかし、最近はすっかり健康を回復して、健康のため始めた水泳にしっかりはまり込み、この夏は町の競泳代表として郡体に出場し、そのあと、県体にも出場したそうです。優勝は逃がしたものの8位内に入賞したそうです。数年後には優勝するぞと本人は豪語?してました。病気、不健康、薬、健康食品等の話題がたくさん出てくる最近の三夜待ちですが、この日は私を含め他のみんなも、Sさんのウイットにとんだ話に「健康元気」を貰いました。いまは、Sさんが一番元気だなと言う結論でこの日の三夜待ちは終わりました。又、ご亭主の家族総出の相伴(しょうばん)、もてなしに、私はすっかり酩酊して千鳥足で家路に着きました。本当に気持ちよい酒を飲みました。Mさん、ご家族の皆さんお世話になりました。
そういえば今日は、私とかみさんの結婚記念日でした。昭和50年の今日結婚した訳ですから今年で29周年になるみたいです。来年は30周年ですが、30周年は何婚式というんですかね?。今晩は旅先の阿蘇で乾杯でもしましょうかね。


2004,11,20
久しぶりに帰省した姉と、今晩は酒でも飲みながら近況報告や昔話をしようと思ってましたが、残念ながら今晩は、三夜待ちで出かけます。姉は所要で行くかみさんの有田の用事の帰りに何処かで食事をしてくるようです。「三夜待ち」というと、この風習?は佐賀県地方だけみたいですね。 詳しくは知りませんが、江戸時代からあっるようですが、今では、幼馴染同士、或いはその地区(隣保班)の気の置けない仲間たち、或いは同窓生同士、兎に角気のあった仲間同士で月に1回ほど寄り合って、世間話、仕事の話、地域の行事の話などわいわい言いながら酒を酌み交わす会になってるようです。今晩の私の三夜待ちの仲間は、最初は仕事の付き合いの仲間3人で、始まってその後友達の輪を広げて7人の会になりました(何故かみんな私よりひとつ上の先輩です)。月に1度の家回しで、もうかれこれ30年近くなります。当初は男の我がままで、その時の当番の家の奥様の迷惑も顧みず、わいわいがやがや飲んで食って太平楽を言っておりましたが、この年になって、奥様方の有難味をつくづく味わっております。感謝感謝。さて、今夜はどんな話が飛び出すのやら。楽しみ楽しみ。


2004,11,19
昨日まで悪かった空模様が、今日はうって変わってうそのようにぽかぽか陽気のいい天気になりました。こういう日は家にいても仕事がはかどります。又、明日から二日間、わが町では、”おおまちぼた山秋まつり"という町あげてのイベントが繰り広げられます。明日は、「大町カゴカキブギ」、「大町三色すみれ音頭」という大町の有志が作詞作曲した新しいおおまちの応援歌?の振り付けコンテストや又、あさってはメインの大町長崎街道「かごかき競争」が賑やかに開催されるようです。うちのかみさんもコンテストの審査員にかり出されたり、娘もイベントのお手伝いにいくようです。私は、神奈川に住む姉が明日、中学校時代の同窓会に出席のため帰郷しますので帰ってきたら、これらを案内したいと考えてます。又、火曜日の勤労感謝の日を利用して久しぶりに帰ってくる姉と、大町在住の兄夫婦とそろって、秋の紅葉を見物阿蘇方面にドライブに、いく予定にしてます。何かと忙しい週末になりそうですが、このまま天気がいいように祈ってます。、
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2004.11.18
昨日、かみさんと隣町にあたらしくオープンした、七彩(なないろ)の湯という温泉施設へ行ってきました。まだ出来てひと月ほどですが、なかなか評判がいいようで、ウイークデイにもかかわらずたくさんの人が来ていました。お湯は嬉野温泉に似た源質みたいな感じでヌルヌル感があって温泉だなーという感じでした。近くに武雄温泉がありますが、これからちょくちょく通いそうな感じです。


2004,11,15
昨日は、福岡に行っていたかみさんを駅まで迎えにいって、その足で、今が見ごろの「シチメンソウ」を見学に東与賀町の干潟公園に行ってきました。日が傾きかけた夕方にもかかわらず、県外ナンバーの車も多く、たくさんの人がかけつけて、きれいに整備された、生息地に鮮やかに咲く紅紫のシチメンソウの花を見ていました。ちょうど干潮時で、普賢岳方面に向かって、どこまでも続く干潟にムツゴロウがピチピチと跳ねていて、静かにひっそりと咲くシチメンソウと対照的で印象的な風景でした。 数年前に見学に来た時は、続いて神埼町の「九年庵」に紅葉を見学に行きました。ここは明日(今日のこと)から一般開放見学が出来るということで今回は見送りました。シチメンソウも九年庵もここ数年マスコミなどでよく取り上げられて有名になり、特に九年庵は今日から観光客でごったがえすることでしょう。紅葉見学というと少し寒くなってきたかなという季節に行っていたみたいですけど、暖冬のせいかこの暖かさでは紅葉も、ピンとこないような気がします。


2004.11.12
住宅を新築、或いは増改築(ただし10u以上)する時は、都市計画区域内であれば着工する前に前もって建築確認(簡単に言えば建物の着工許可)の通知を受けなければなりません。これは皆さんご存知のことと思います。設計図が出来上がり、ほぼ建築金額が決まり、おおかたの工事期間が決まれば建築確認を役所に提出できます。この建築確認の通知を受けるには、申請してから約2週間ほどかかります(現地調査、申請書の作成期間を除いて)。役所に申請して、申請書類の不備、設計図書の法的不備等があればそれ以上かかります。だから急ぐ増改築の時(特にトイレ、台所、風呂場等の水周りの改修の時)等は、このことを前もって頭において工期を決めなければなりません。特にこれから寒くなりますので早めの計画が必要でしょう。


2004.11.9
昨晩は2件の会合が偶然にも、時間がずれて武雄文化化会館であり、出席してきました。
ひとつは19時から、建築士会、建築士事務所協会が、が設立予定の「サポートセンター」の運営、サポター登録建築士の募集、のための会議でした。「サポーター」とは簡単に言ってユーザーにとっての、住まいに関する相談、苦情、疑問、質問等に対処する担当窓口を設けようじゃないかということです。これから来年にかけて話がまとまると思います。
もうひとつの会合は、高校の40周年記念同窓会を来年春に開催するということで、その実行委員会でした。実行委員長、執行事務局がしっかりした方なので、私としては自分なりのお手伝いが出来ればと思ってます。又、久しぶりに会う同級生がどんな「顔」になっているか、再開が今から楽しみです。


2004,11,8
昨日は、かみさんは友人の息子さんの結婚式に招待されて、ハウステンボスの全日空JRホテルに行くというので、送っていきました。披露宴は約3時間くらいかかるので、その間私はハウステンボスをぶらぶら散歩いたしました。人出はまずまずでしたが、言葉からして中国系、韓国系の人たちもたくさん来てるようでした。私はハウステンボスの入場が無料になるモーレンクラブの会員になっているのでここにはよく来ます。日ごろ運動不足の私としては人目を気にせず、思い切り歩くことが出来るからです。駐車場から一番奥のパレスハウステンボスまで往復しますと約7000歩かかります。1日7500歩が目標の私ですからこれで約1日分があるわけです。
 しかし最近は毎日が7500歩に達しておりません。運動不足を感じる今日この頃です。
 夕食は、嫁に行った娘が、先日よりいっていた、「お母さんの焼きそばが食べたい!」というリクエストに答えて、娘夫婦を招待して、かみさんが久しぶりに腕を振るいました!?
 私は昨日も又、食べすぎ、飲みすぎで、これでは体重が減るわけありません。反省反省。


2004.10.31.
昨日、某住宅建材総合商社の住宅建材フェアーを福岡ドームへ見学に行ってきました。我々建築やとしては、常に新しい建築材、商品をチエックしている必要があります。構造金物、シックハウスに対応したよりよい建材、機能的で安心安全な設備機器等、日々新しいものが開発され、私達としても、ユーザーによりよいものを、紹介し、提供する必要があると考えております。最近の建材の商品開発は以前と比べて、比較にならないほど、次から次に短いスパンで、まるで車の買い替えを促進するように新しい建材商品が出てきます。家は一生物だと昔は言いましたが、今は家は商品だと言うのがこの辺にあるのではないでしょうか。


2004,10,27
本日の午前中は私の所属する奉仕団体主催の、ゲートボール大会がありました。3町のゲートボールクラブ所属の10チーム(我が団体の1チーム含)の参加でしたが、毎年1回の催しですが、今回も熱戦が繰り広げられて大いに盛り上がりました。私は遅刻していきましたので選手として出場できなかったのですが、我がチームはベテランぞろいの老人パワーに圧倒され、本年も惨敗したようです。ゲートボールは見ていて簡単なようですが、いやいやなかなか難しいものです。技術もさることながら、作戦、策略がものをいうようです。団体競技ですので自分が失敗すると、つぎの攻撃の仕方、展望が大いに変わってくるわけです。また、その失敗によって勝敗がくるっとひっくり返ることがあるようです。その辺が面白いようですが団体戦ですので、これを嫌って個人戦であるグランドゴルフに代わった人もあるようです。11月には我が町区でもグランドゴルフを開催いたしますが、これも楽しみです。
しかし今日は少し寒かったが、新潟の震災に遭った人のことを思うと大変幸せだなと思いました。お見舞い申し上げます。

2004.10.25
昨日は、母の正月命日でしたので、和尚さんに来ていただいてお経を上げていただきました。
本当は10月26日に亡くなったわけですがこちらの都合で早めて、日曜日にお経を上げていただいたわけです。いつものことですが、その後は兄夫婦と思い出話で酒盛りをするわけですが本年からは、娘夫婦もきてくれるので母も極楽浄土で大変喜んでいることと思います。しかし、昨日は少し飲み過ぎたようです。反省、反省。

2004.10.23.
 我々建築屋は建築基準法関係の法令に制約を受けながら設計をしたり建物を建てたりするわけですが、
石油危機の時は省エネ、断熱的な法令が、或いは阪神大震災の時は建物の構造的なものが、
或いは社会現象的な、高齢化に向かってのバリアフリー関係の法令が、そのつど、強化されてきました。
 昨年からは、社会問題になったシックハウス対策で、全建物に24時間稼動の換気設備の設置が
義務付けられました。それはそれでよいとは思いますが、そのたびに建物の価格はあがっていきます。
本年は記録的に台風の本土上陸がありましたが、今回のことで、又、建物の外観仕様、構造、敷地の安全性
等に新しい法令が加わるかもしれませんね。

04.10.22
昨日、午前中仕事で多久、小城方面を車で通りましたが、台風の被害が予想以上に
ひどいようでした。台風の中心に近いほうの佐賀南部より佐賀中部の小城あたりがひどかったのは
何故でしょうね。突風的な風が集中的に来たのでしょうか。被災にあった建物の方は大変です。
建築屋としては、いろいろ考えさせられます。おみまいもうしあげます。

2004,10,20
内のかみさんは今日からニ泊三日の予定で上京のすることになってましたが台風接近で
急遽、予定変更をし昨晩福岡空港から飛び立ちました。案の定、福岡は欠航があってるようですので
大正解でした。先日も台風で東京で、一日足止めを食ったので今回はその教訓で行動が早かったようです。
しかし、今年はよく台風が来ます。私は以前、設計施工の会社に携わっていましたがその当時は、台風が来ると前の日から台風待機をしていました。今はそれはないのですが、いずれにしても台風はいやですね。

2004.10.19
今日はわが町の「おくんち」の日ですが生憎の雨で八幡神社での祭事だけで
終わるようです。例年通りだと長崎街道筋をお神輿がお行幸をして、各町内の
浮立太鼓が各戸を訪問して賑やかに笛、太鼓で練り歩くのですがそれも中止に
なりそうで残念です。昼からでも晴れて太鼓を敲いて回りそうだと、私も太鼓持ち?
にでも参加しようかなと考えています。又、近づいている大型の台風23号の動きも
気がかりです。

2004.10.18
昨日、義兄にHPのこの書き込み欄をつっくていただき、はじめてこの欄に書き込んでいます。
これから時々何か思いついたことを書き込んでいこうと思ってます。
義兄さん何かとありがとうございました。
2004.10.17

2004.10.16
 










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