< 今月の言葉 >

平成26年(2014)
3月

『同じ目の高さで話す』

 私たちは、自分の年齢とともに、知らず知らずのうちに物を見る目の高さが変わってしまっていることに、気づかないことが多いようです。親にも子供の時代がありました。ですから、子どもの気持ちが分かるはずなのに、実際には分かっていないようです。それは、子どもの目の高さより高い所から見おろしているからだ、と指摘する人もいます。

 賢明な親は、子どもに何かを言い聞かせるときは、膝を折って子どもと同じ目の高さになり、目を見つめて話をするといいます。すると、子どもの気持ちがよく分かり、話し方も優しくなって、子どもも納得するということです。子育てでも相手の立場を考えて、理解しようとすることが大切です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成26年(2014)
2月

『反省の心は明日へのエネルギーを養う』

 反省は後悔とは違います。後悔のような後ろ向きの心づかいではありません。私たちの心を明るく希望に満ちたものにし、強く活力あるものにする前向きな心のエネルギーを生み出してくれるのです。

 西洋のことわざに、「他人が自分を見るような目で自分を見よ」という言葉があります。私たちは、もっと深く自分の心を見つめ、一日一日の反省を心に刻み、明日へのエネルギーを養っていこうではありませんか。たとえば、日記をつけて、あなたの心の軌跡(きせき)を書きとどめておくことも大切でしょう。

 また、悪いことが起こったときにするばかりが反省ではありません。よい出来事のときに自分の心づかいを振り返ることも反省です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成26年(2014)
1月

『他人のために生きること』

 「人生に、ただ一つ、疑う余地のない幸福がある。それは、他人のために生きることだ」

 これは、ロシアの文豪トルストイの言葉です。私たちは、一人で生きてるのではありません。周りの人たちや社会の多くの人たちのおかげで生かされているといえるでしょう。ですから、他人に対して思いやりをもって生きていくことは、むしろ当然のことといえるでしょう。

 他人から多くの恩恵を受けていながら、他人に無関心であったり、迷惑を掛ける人がいます。それでいて、満足や幸せだけは自分のものにしたいという考え方は、あまりに自分中心なのではないでしょうか。「他人のために生きる幸福」について、しっかりと考えていく姿勢を持ちたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
12月

『人間関係は心の鏡』

 プラス発想は、よりよい人間関係を築きあげるためにも大切なことです。よい人間関係を保っていくことは、物事が円満に運び、自分自身の人生を豊にしていくことにつながります。

 職場でも、家庭でも、よい人間関係を築いていくためには、つとめて相手の長所を認めて接していくことが大切です。相手の欠点ばかりを見つめながら接していくと、おのずと相手から好感を持たれず、人間関係がうまくいかなくなるものです。

 つまり、自分の人間関係は、自分の心のありようを鏡に写したようなものです。ですから、相手の自分に対する態度は、そのまま自分の相手に対する心づかいそのものといえるのではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
11月

『自分らしく生きる勇気』

 私たちはともすれば「みんなと同じでなければ」と考え、自分らしさを出さないようにと気をつかいます。しかし、その結果、意志の疎通を欠き、心のふれあいのない冷たい人間関係が生じる傾向があります。

 多くの外国の国々では、自分の意見を相手が理解できるように述べ、一方で相手の話もきちんと聞き、お互いの考え方の違いをはっきりさせたうえで、互いに満足できる方法を話し合います。

 私たち一人ひとりが、自分というものをしっかり理解し、ほかの人の「違い」を受け入れられるようになることが、だれもが伸び伸びと調和して生きられる豊かな社会を築き、国際社会の中でも調和していくことにつながります。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
10月

『若いころからの心づかい』

 幸せな老年期は、一朝一夕(いっちょういっせき)にやってくるものではありません。若いころから自己中心の享楽の日々を過ごしているようでは、老年になって決して実りある人生は築けないのです。壮年時代からの健康管理や経済プランも必要です。しかし、物や金、健康だけで老後の幸せは保障されません。物質的に何不自由なくても、悩みの多い日々を送ることも多いのです。

 その意味で、若いころからの日々の心づかいと行いの積み重ねが大切です。そのあり方が、老後の幸せを左右するといっても過言ではありません。つまり、日々、感謝や報恩、思いやりなどの心づかいや行いを積み重ねていくことが、老後の幸せにつながるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
9月

『自分を表現する』

 自分の気持ちの伝え方にはいろいろな方法があります。日常生活には欠かせない挨拶や、ちょっとした言葉を出し惜しみしないで、うれしく思ってるときは喜びの気持ちを、感謝しているときは「ありがとう」という気持ちを、ほんの少し積極的に表現していこうではありませんか。

 自分の気持ちをちょっと言葉にしてみたり、ほんの少し行動に示してみることで、新しいふれあいが始まります。ほんのひと言が相手を安心させたり勇気づける場合もあるでしょう。ちょっと言葉に出しただけで自分の気持ちを伝えることができるなら、こんなすばらしいチャンスを活用しないのは、いかにももったいないことではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
8月

『夢中になって楽しむ』

 一見すると、何の役にも立たないことのように見えるかもしれませんが、何かに熱中し、楽しく、充実した時間を感じられるということは、その子の一生にとって何物にも代えがたい力となります。ですから子どもが、子どもである「今」しかできないことに夢中になれるような時期は、親もゆとりを持って子育てに取り組みたいものです。

 また、私たち自身も、時には夢中になって何かに散り組むことが必要ではないでしょうか。夢中になり、没頭することによって、普段、私たちの心が忘れてしまっている、生きることのすばらしさ、よろこび、感動を思い出し、充実した時間を感じ取れるようになるのではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
7月

『「心の窓」を大きく開こう』

 生きがいのある人生を送るということは、自分のことに目を向けるだけではなく、心の窓を大きく開いて他にも目を転じていくことです。自分と仲間だけの時間を持つだけではなく、高齢者や先輩とも交流していくことです。また、自分の楽しむべき時間、自分が大切にしているお金、自分の持っている知識や技術、それらをすべて自分のためにだけ使うのではなく、少しでも他人の喜びのため、地域のため、国のため、国際社会のために役立てることです。

 それを家庭や職場など身近なところから実践することによって、自分の中に今まで感じられなかった新たな心の世界を発見し、生きがいに満ちた人生を得ることができるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
6月

『人間の魅力の源泉』

 品性の高い人は、どのような人でしょう。人間を大切にし、尊敬していく心を持つ人。学力や地位、財産や権力を、人の幸せや喜びのために建設的に活用する心を持つ人。そして自分は、決して完成した人間と思うのではなく、いつも多くの人によって支えられて生きていることを感謝し、自分の未熟さを常に反省し、絶えず人間として向上すること、すなわち品性を一歩ずつでも向上させようと考えている人のことではないでしょうか。それが、人間としての魅力を生み出す源泉であるといえます。

 ふれあう一人ひとりを大切にし、思いやりの心を育てていくという生き方の積み重ねが、私たちの品性を高め、いわゆる徳を身につけることになるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
5月

『父母の心で人類を愛す』

 子どもに対する親の願いの中には、親の身勝手な要求や、一方的な期待がまじっていることがあるかもしれません。親も不完全な人間であることに変わりはないからです。しかし、子の幸せを願わない親はいません。私たちがよりよい人生を送ろうと心がけること、これこそが親の最大の願いであり、親の祈りであるといえるでしょう。

 私たちが、ひとたび父母の深い愛に目覚めることができたときには、両親の愛の背後に大自然の大きな働きを見ることができるでしょう。また、父母の愛と同じような温かい大きな心で、他の子どもたちや人々に接することができたとき、そこに万物を育てる大自然の働きにも似た、大きな愛の世界が広がることでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
4月

『他人の意見は成長のチャンス』

 悪口を言ったり、他人を非難したりすることは慎まなければなりません。しかし、一方では、自分に向けられた非難や悪口に対しては、謙虚に受けとめ、自分の人格を向上させるきっかけとすることが大切なのではないでしょうか。

 そんなとき、ただ相手を責めても、お互いの中に憎しみの心が育つだけです。それよりも、誤解を受け、非難されるのは、まだまだ日ごろの自分には、人が見てそう思うようなところがあるのだと深く反省してみることです。

 嵐が大木を鍛えるように、他人から批判されても、それにへこたれずに、かえってそれを成長の糧(かて)として努力を続けてこそ、大地に根を張った底光りのする人間ができていくのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
3月

『自分を大切にする』

 私たち自身が親・祖先の祈りの結晶体であることを深く知れば知るほど、心の奥底から湧き出る感謝の念に満たされるとともに、自分をもっともっと大切にしなければならないと思う気持ちが湧いてくるのではないのでしょうか。

 自分自身をいとおしみ、大切にすることこそ、親・祖先から頂いている無限の祈りにこたえる道であるのです。自分を大切にしなければ、親・祖先に申し訳がないのではないのでしょうか。

 真に自分を大切にしようとする人は、親・祖先の無限の祈りに思いを馳せてわが心身をいとおしみ、人に対しては愛と思いやりとを持ち、さらに積極的にその幸せを祈り、求める前に与えようとする人間になることです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
2月

『相手の幸せを願う心づかい』

 「言わなくてもよいことまで話す」「必要なことを話さない」「自分の意見に執拗(しつよう)にこだわる」「優柔不断ではっきりしない」「ゆっくりしすぎる」「せっかちである」というようなことは、人の性格だから仕方がないと割り切ってしまうことが多いようです。

 しかし、こうした行いは、自分の立場だけを考えた行いである場合が多く、相手や周囲に迷惑をかけていることになります。その結果、人間関係がギスギスしてきて互いに悩むことになってしまいます。大切なことは、相手の立場を考え、相手の幸せを願う心づかいをすることです。

 このような心づかいが基本となった行いこそ、相手の心に通じ、周囲の人にも温かい思いを与えることができるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成25年(2013)
1月

『一日一日を丁寧に生きる』

 一日一日を丁寧に生きる・・・。とても難しいことのように感じてしまいます。少し見方を変えて、いつも見過ごしているような些細なこと、それでいて、温かく、優しい心づかいを、毎日少しでもよいから暮らしの中に取り入れてみてはいかがでしょう。たとえば、夕食の食膳に向かって「また、いつものおかずか」と不平不満に思うのも、「いつも、ありがたい」と妻の努力に感謝するのも、同じ心のはたらきなのです。

 私たちは、日々、心をはたらかせて生きています。毎日の生活は平凡なようですが、その中でも私たちの心は、日々、同じではありません。「今」の自分の心が今日一日をつくり、その積み重ねが人生となるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
12月

『 やる気を育てる思いやり』

 仕事が正当に評価されると、人はやる気を出します。褒められ、期待されることも、大きなやる気を生み出します。たとえミスをしても、叱られるだけでなく、励まされると、沈んだ気持ちはやる気に変わることでしょう。

 ことに上司の立場にある人が謙虚になり、部下の長所を探し出し、それを伸ばそうとする思いやり発揮すれば部下は自信を持つようになります。そして自分が役に立ってることを喜び、それに感謝できるとしたら、より大きなやる気が生まれ、継続していきます。温かいつながりの中で、だれでも人や社会に役立つことができ、そして役立つことの喜びを知ることができれば、前向きに生きようとするやる気は、必ず生まれてきます。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
11月

『小さなことから始めてみる』

 私たちの周囲に、何か人を喜ばせることはないか、世の中のことを明るくすることはないかを探してみましょう。まず足元から、小さなことから始めましょう。

 道に落ちているガラスの破片を拾うことでもいいのです。もし、商売をなさっている人なら、お客様に親切にすることでもよいのです。町を歩いているときに、前から来る人に道を譲ることもよいのです。

 とにかく、人が幸せになること、世の中がよくなることに対して、身近なところからできる限りの力を尽くし、求める側よりは与える側、楽をするよりは苦労する側に立つ努力を試みようではありませんか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
10月

『トゲのある人』

 バラを愛する人でも、花よりもトゲのほうが好きだという人はいないでしょう。トゲにさわると痛いから、他の生物は近づかなくなります。私たち人間の中にも、トゲを持ったような人はいるものです。自分中心の考え方をして、自分の所属している団体や勤務している会社の利益のみを獲得するため、モーレツに努力する人などがそうです。

 しかし、そのような人は、とにかく相手方の利害や第三者である社会の迷惑を考えず、無慈悲な行動や対応をしやすいものです。たとえ一方では賞賛されても、反面では排斥、妨害、だます、苦しめる等の行為を行うことがあります。

 外見や一時期の感情にとらわれないで、人を全体的に見ることが大切です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
9月

『平凡な中に真理はある』

 単調な日常生活を考えて、つまらなく感じる人もいますが、本当によいものとは繰り返しに耐えうるものだといえます。名画は何度鑑賞しても、新鮮な感動を与えます。ニュートンは、リンゴが落ちるのを見て、引力を発見したといわれます。何千、何万回と繰り返されてきた、平凡な事実に中に真理は秘められているようです。

 現代は表面的な目新しさばかりを追い求め、単調な中にある奥深いものに気づきにくくなっているのではないでしょうか。

 私たちも、キョロキョロと目先の新しさに振り回されるのではなく、単調な毎日の中にある真理を求めながら、底光りを発する人生を築けるように生きていきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
8月

『心のはたらきは無限大』
 人の脳細胞は、約百四十億あるといわれています。一般には、そのほんの数パーセントほどしか働かせていないそうです。脳細胞は無限といってよいほど活動するそうです。一つのことをするときに、もっと考え、気配りをしようとすれば、まだまだ能力をはたらかせることができるはずです。何ができるかを積極的に考え、行動していけば、少しずつ進歩していくのです。今をよく生きていると思えるのは、進歩している自分を自覚でき、目標に向かって精いっぱい生きている自分に気づいたときではないでしょうか。過去の蓄積を生かしながら、明日への大きな飛躍を求めて、今というこの一瞬を意義あるものとし、その積み重ねを繰り返して、希望のある未来へとつなげていこうではありませんか。

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
7月

『実りある努力』

 一生懸命に努力しても、無駄になってしまう努力ではつまりません。せっかくの努力を、実りあものにするかどうかは、その人の品性・人格が鍵を握っているようです。

 質のよい努力、つまり道徳性の高い努力を積み重ねることによって、私たち自身の品性を高めなければ、幸せという“実り”は来ないということです。

 品性や人柄というものは、ただガムシャラに努力したからといっても、できるものではありません。その努力をしているときの心づかい、つまり、毎日毎日の生活の場での“心のはたらかせ方”の積み重ねによってでき上がるということは、忘れてはならないことでしょう。 


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
6月

『思いやりの心は家族の人間関係から』

 子育てに必要なものは、人の痛みが分かり共感できる、開かれた心、思いやりの心をはぐくむことです。

 それは、知的な学習によって身につくものではありません。実際に人と人とのふれあいの中からはぐくまれるものです。何よりも、家族の人間関係を通して、おのずから身につけるものです。

 親が子どものために、家族のために、そして人々のために献身的に努力している姿を通して、思いやりの気持ちは子どもたちに伝わります。

 そして、そこではぐくまれた心は、家族から他の人々への思いやりの心となって広がっていくに違いありません。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
5月

『心づかいは顔に出る』

 心づかいが、私たち人間の体のうえに、いろいろな“結果”として表れてくるということは、現代の進歩した医学で証明されています。

 もともと「表情」というものは、私たちの心づかいが、体の外に表れたものです。
 心の中がうれしさでいっぱいになると、表情は自然にほころびてきます。首尾よく思いどおりになれば、ニヤリとします。悲しい思いにぶつかると、涙が出るし、困ったことになると、ミケンにシワが寄ります。

 これが一度や二度のことなら、大した影響はないかもしれませんが、度重なると、その影響は、はっきりと目立つようになってきます。表情をつくる心のはたらきを大切にしたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
4月

『今の自分を本気に生きる』

 私たちは多くの場合、毎日の生活が平凡で退屈だと感じているのではないでしょうか。そのため、何か特別な場所で、特別なことをしないと、感動できない、自分らしさを見つけることができない、本気で生きていると感じられないと思いがちです。

 「生活」とは、私たちが生きていくことそのものです。繰り返していく毎日の生活だからこそ、日常、心をどのようにはたらかせていくかが、「今を生きている自分」になるのでしょう。

 掃除でも挨拶でも、そして毎日している仕事でも、生活の一つひとつの出来事やごく当たり前のことに、今の自分を生かす意味を見いだしたとき、私たちは新しい自分、新しい世界を発見する感動に出会っていくのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
3月

『手をつなぎあうことから始めよう』

 何か困っている人にちょっとした手助けをする人には、同じ社会で共に生きている人間同士、支え合いながら一緒に生きていこうとする思いがはたらいています。みんなが分け隔てなく街の中で溶け合って生きていける社会は、言い換(か)えれば、共に生きる人間同士が、それぞれの持ち味を生かし、支え合うことのできる社会でもあります。

 そうした社会を築く第一歩は、これまで気づかなかった地域の人々の存在を知ることから始まります。しわくちゃな手、力強い手、やわらかい手に実際に触れてみてはじめて、ぬくもりと味わいが分かるのです。ぬくもりを感じた人間同士の絆が生まれ、それぞれの人生を尊重する温かい心が育ちます。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
2月

『相手の幸せを願う心づかい』

 「言わなくてもよいことまで話す」「必要なことを話さない」「自分の意見に執拗(しつよう)にこだわる」「優柔不断ではっきりしない」「ゆっくりしすぎる」「せっかちである」というようなことは、人の性格だから仕方がないと割り切ってしまうことが多いようです。

 しかし、こうした行いは、自分の立場だけを考えた行いである場合が多く、相手や周囲に迷惑をかけていることになります。その結果、人間関係がギスギスしてきて互いに悩むことになってしまいます。大切なことは、相手の立場を考え、相手の幸せを願う心づかいをすることです。

 このような心づかいが基本となった行いこそ、相手の心に通じ、周囲の人にも温かい思いを与えることができるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成24年(2012)
1月

『よりよく生きる』

 悲しみや苦しみに直面したとき、また、生きることのはかなさを感じたとき、それらをどのようにとらえていくかによって、人生は変わっていきます。

 どんな人の人生にも、どんな悲しみや苦しみにも必ず「意味」があります。この「意味」を、よりよく見いだしていく心の作業は、「よりよく生きる」ということにもなるのではないでしょうか。

 人生は、平凡に感じる日々の積み重ねともいえます。でも、その毎日の生活の中に思わぬ発見があります。悲しみや苦しみに対する自分のとらえ方、見方を変えることで、今までさほど感じなかったことの中にも、キラリと輝く「宝もの」を見いだすことができます。そのような可能性を秘めた人生は“すばらしい”と思いませんか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
12月

『やる気を育てる思いやり』

 仕事が正当に評価されると、人はやる気を出します。褒められ、期待されることも、大きなやる気を生み出します。たとえミスをしても、叱られるだけでなく、励まされると、沈んだ気持ちはやる気に変わることでしょう。

 ことに上司の立場にある人が謙虚になり、部下の長所を探し出し、それを伸ばそうとする思いやり発揮すれば部下は自信を持つようになります。そして自分が役に立ってることを喜び、それに感謝できるとしたら、より大きなやる気が生まれ、継続していきます。温かいつながりの中で、だれでも人や社会に役立つことができ、そして役立つことの喜びを知ることができれば、前向きに生きようとするやる気は、必ず生まれてきます。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
11月

『人は迷惑をかけるもの』

 人はだれも、一人では生きられないように、人に迷惑をかけずに生きることはできません。生きるためには、自然が育てたもの、人が手がけたものを食べ、汚物を出します。

 それは、人間関係でも同じことです。生きている限り、他の人に何らかの影響を与えています。ですから、迷惑を一切かけないというのは無理なことです。人に迷惑をかけて生きるのだから、それ以上に人のお役に立とうとする気持ちが尊いのでしょう。

 人が生きている限り、お互いに迷惑をかけ合っているのですから、相手を許し相手の欠点を包み込むような心で、豊かな人間関係を築くことが大切です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
10月

『熱心の弊害』

 人は、物事に熱心に取り組んでいるときほど、他人が自分ほど熱心でないように見えて、その相手を責めたり、とがめたりする気持ちになりやすいものです。また、自分とは考え方や仕事のやり方が違う人を受け入れる心の余裕を失いやすく、かえってもめごとを起こしやすいです。

 つまり、自分が努力すればするほど、熱心でない人を責めたり、熱心さを人に強要したりして、相手に不快な思いを抱かせる傾向になりがちです。さらに、自分こそが、自分だけがよくやっていると思ってしまっては、相手の存在を無視してしまい、人との共感的なつながりを切ってしまうことにもなりかねません。熱心さはすばらしいことですが、その中に潜む弊害にも注意したいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
9月

『まごころのプレゼント』

 老いたる親、あるいは近隣で身近に接する高齢者のために、私たちはどれだけの愛を注いでいるでしょうか。

 私たちが年老いたとき、子ども達のまごころがほしいのなら、今、私たちは、自分のまごころを親に差し上げるべきでしょう。親は、それをどんなに待ち望んでいることでしょう。自分はしないが、自分の子どもからはしてほしいというのでは、それはあまりにも虫のよい考え方です。

 高齢者の直面する問題は、実に若い世代自身の問題でもあるのです。自分たちも、あっというまに高齢者になるのですから。今日ただ今の生き方が、自分自身の高齢期の生き方を決める、もっとも大きな要素になるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
8月

『心のはたらきは無限大』
 人の脳細胞は、約百四十億あるといわれています。一般には、そのほんの数パーセントほどしか働かせていないそうです。脳細胞は無限といってよいほど活動するそうです。一つのことをするときに、もっと考え、気配りをしようとすれば、まだまだ能力をはたらかせることができるはずです。何ができるかを積極的に考え、行動していけば、少しずつ進歩していくのです。今をよく生きていると思えるのは、進歩している自分を自覚でき、目標に向かって精いっぱい生きている自分に気づいたときではないでしょうか。過去の蓄積を生かしながら、明日への大きな飛躍を求めて、今というこの一瞬を意義あるものとし、その積み重ねを繰り返して、希望のある未来へとつなげていこうではありませんか。

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
7月

『実りある努力』

 一生懸命に努力しても、無駄になってしまう努力ではつまりません。せっかくの努力を、実りあものにするかどうかは、その人の品性・人格が鍵を握っているようです。

 質のよい努力、つまり道徳性の高い努力を積み重ねることによって、私たち自身の品性を高めなければ、幸せという“実り”は来ないということです。

 品性や人柄というものは、ただガムシャラに努力したからといっても、できるものではありません。その努力をしているときの心づかい、つまり、毎日毎日の生活の場での“心のはたらかせ方”の積み重ねによってでき上がるということは、忘れてはならないことでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
6月

『思いやりの心は 家族の人間関係から』

 子育てに必要なものは、人の痛みが分かり共感できる、開かれた心、思いやりの心をはぐくむことです。

 それは、知的な学習によって身につくものではありません。実際に人と人とのふれあいの中からはぐくまれるものです。何よりも、家族の人間関係を通して、おのずから身につけるものです。

 親が子どものために、家族のために、そして人々のために献身的に努力している姿を通して、思いやりの気持ちは子どもたちに伝わります。

 そして、そこではぐくまれた心は、家族から他の人々への思いやりの心となって広がっていくに違いありません。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
5月

『親と子をつなぐ“心のパイプ”』
 私たちはだれもが「子であり、親である(親になる)」存在です。自分の親も「子であり、親になった」し、その親もしかり、また自分の子も孫も「子であり、親になる」存在です。ですから親と子をつなぐ“心のパイプ”は、いつの時代も、過去からの無数の流れを受け、無数の未来へとつながっていく中継点ともいえましょう。現代に生きる私たち一人ひとりも決して例外ではありません。現代に生かされている私たちは、まず何よりも親・祖先に感謝し、その恩に報いる心づかいと行いによって、ともすると“利己心”によって断ち切れてしまいそうな親と子の“心のパイプ”を通していくことが必要なのではないでしょうか。それが子に対する親の思いやり、ということがいえるでしょう。

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
4月

『自他ともに可能性を生かす』

 人の一生は、それぞれの与えられた役割や責務をしっかり果たすという以上に、自分自身を、その隠れた可能性も含めて、人生の中で最大限に生かすことが大切です。

 だれにでも、まだ眠ったままの能力があります。それを信頼し、尊重しましょう。現在の自分が、たとえば十の能力を生かしているとしたら、それを十一、十二に増やしていき、自分を十分に生かし切る、これがこの世に生を受けた者としての望ましい生き方ではないでしょうか。

 このことは、自分だけでなく他人についてもあてはまります。他人の可能性もまた、十分に伸びるよう、できる限りの手助けをさせていただきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
3月

『人生の主人公は自分』

 私たちは、生きていくうえでの条件を良い方向に変えようと努力することが大切ですし、相手に自分の考えを理解してもらえるよう努力することも大切です。しかし、いちばん大切なことは、自分の考え、発想、、心のはたらきをよく見つめ、よりよい方向に自分の考え方を変えることではないでしょうか。

 私たちは、心を自由にはたらかせることができます。自由にはたらかせることができる分、しっかりとした指針が必要となってきます。

 自分の人生の主人公は自分です。私たちは、自由自在に考えることのできる心をよりよく生かすことによって、かけがえのない自分の人生を大切にし、喜びと感謝をもって、自分の心の主人公となる道を歩んでいきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
2月

『目に見えなくても通じる心づかい』

 私たちは、日ごろの小さな行いと同じように、いえ、それ以上に、目に見えない心づかいは無視しやすいものです。形のうえではよいことを行っているように見えても、心の中を見つめてみると、「自分をよく見せよう」「相手に嫌われたくない」「恩を着せておこう」など、自分の名誉や利益のため、という気持ちが知らず知らずにはたらいていることがあります。

 心づかいは目に見えなくても、相手の心には必ず通じるものです。その結果、形のうえではよい行いをしていても、相手の心には「見栄っぱりだ」「恩着せがましい」「へつらっている」などという思いを起こさせることにもなります。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

平成23年(2011)
1月

『思春期の親子関係』

 思春期の子どもは、親とのかかわりを避(さ)けるような態度をとるものです。しかし、子どもにとって、この時期ほど精神的な動揺や不安の多いときはありません。親と子の信頼関係が問われるのも、この時期でしょう。日ごろから親子の心を通わせる努力を続け、深い信頼感を育てておくことが大切です。

 思春期の子どもに接する親は、小言(こごと)を言ったり、親の意見を強引に子どもに認めさせるようなことは、差し控えたいものです。かえって、子どもは反抗するだけです。まず子どもの言うことを受けとめるように耳を傾け、話に共感していく姿勢が大切です。

 子どもは「自分の気持ちを分かってくれている」と感じたとき、親と子の信頼関係がいっそう深まっていきます。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

12月

『意識して「ありがとう」』

 いつも感謝の心でいるように心がけていると、自分の心が落ち着き、周囲の人に対しては温かく接するようになり、出来事も前向きに受けとめるようになります。うっとうしいと思っていた雨も、恵みの雨として受けとめるようになっていきます。

 人間関係も、人生も、自分の心のはたらかせ方しだいで、プラスにもマイナスにもなるといえます。

 感謝の心になるといっても、すぐには難しいかもしれません。ですから、何か嬉しいことがあったら、すぐに「うれしい」「ありがとう」と意識して思ったり、口にしてみてはいかがでしょうか。

 心のはたらきは自由自在です。お互いに心のはたらきを感謝のほうに向けて、「ありがとう」という気持ちを大切にしたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

11月

『親心で接する』

 幼い子どもは、何事においても自分中心です。親はそのような子どもに対しても、喜んでそれに応じてやり、あるときには正しいあり方を教え諭します。

 自分のことしか考えないのは「子ども心」です。最近の世の中を見ると、自分さえよければという姿が多すぎるように思います。電車やバスの中で高齢者に席を譲るときでも、思いやりの心が少しでもあれば、その心が高齢者にも通じ、快く座っていただくこともできるのではないでしょうか。見知らぬ人に道を教えるのにも、お店のお客様にも、自分がその人の親になったような気持ちで接することが、一人前の人間として、また、よりよい社会を築くために、欠かせないことではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

10月

『挨拶の心を広げよう』

 日本民俗学の父といわれた柳田国男氏は、その著『毎日の言葉』の中で、挨拶の言葉の特色として、次の三つをあげています。

一、同じ生活共同体の仲間である相手に対して親しみを抱いていることを示す。
二、相手の勤勉をたたえ、ねぎらう。
三、相手の幸福を願う。

 このことは、私たちの心のあり方を示してるのではないでしょうか。だからこそ、挨拶の心というものが人間関係の基本になるのです。

 こういう挨拶の心を社会の中に広げていくことが、社会全体に潤いをもたらし、明るくしていく原動力になるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

9月

『見えない親心』
 親心は、「金山の金」にたとえられます。金山は地肌が出ていて、かえって普通の山よりみすぼらしいものです。しかし、その岩石から金が採出されるので、金山として尊ばれているのです。親も、人間ですから、頑固だとか、口やかましいといった性格・個性があるのは当然です。しかし、その奥にはキラッと光るものがあります。わが身はどうなろうとも、この子を生かしたいという親心です。これが「金山の金」です。その親心という、いちばん大切なものの存在に気づけば、不平や不満は、感謝の心と恩返しの精神に変わるはずです。親は子のすべてを心にかけて心配しています。ですから、その親の恩に報いるいちばん大切なことは、親に安心を与えることです。

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

8月

『心のチャンネルは「感謝」』

 “憎悪は増悪を呼ぶ”といわれます。同じように、不平や不満の心が、相手に同じような心を生じさせことは、日常生活の中で誰もが経験していることでしょう。こういう心づかいは、破壊的で非生産的です。

 反対に、“愛は愛を呼び、感謝は感謝を呼ぶ”といえます。たとえば、家事や育児をしてくれている妻への感謝の心は、夫婦の間に温かい心を通わせることでしょう。妻の夫への感謝の心は、夫の妻への感謝と思いやりの心を呼び起こします。

 感謝の心は、建設的で生産的な心づかいです。気づいた人が、目覚めた人が、先に“心のチャンネル”をプラスにはたらかせる方向に切り替えることが大切です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より


7月

『実りある努力』

 一生懸命に努力しても、無駄になってしまう努力ではつまりません。せっかくの努力を、実りあものにするかどうかは、その人の品性・人格が鍵を握っているようです。

 質のよい努力、つまり道徳性の高い努力を積み重ねることによって、私たち自身の品性を高めなければ、幸せという“実り”は来ないということです。

 品性や人柄というものは、ただガムシャラに努力したからといっても、できるものではありません。その努力をしているときの心づかい、つまり、毎日毎日の生活の場での“心のはたらかせ方”の積み重ねによってでき上がるということは、忘れてはならないことでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

6月

『自分を見つめる自分』

 毎日の生活の中で、“自分の心のはたらきを見つめる、もう一人の自分”の存在があるでしょう。この自分を客観的と見る心がよりよくはたらくことによって、他者への寛大な心を養い、自分への反省の心を芽生えさせるのです。

 相手を許すことは愛-慈悲であり、それは、心のゆとりから生じ、自分の心のはたらきを客観的に見るところから生じます。

 つまり、自分の立場、考えだけから判断するのではなく、相手の立場はどうなのか、他の考え方はないのかということを常に習慣づけることが大切なのです。そのために、“自分の見つめるもう一人の自分”が必要です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

5月

『お父さんへのアドバイス』
 子どもが物を欲しがったとき、欲しがる物は何でも買い与えて子どもを喜ばせるのではなく、ある場合は、欲しくてもがまんすることの必要性を教えるのが親、特に父親の役割です。たとえば、欲しいと思う気持ちを、1時間でも2時間でもよいから、抑えられるようにすることです。ただ欲しいというだけですぐに買ってしまうことのないよう、自分の欲望を制御することを学ばせたいものです。また、塾だ、偏差値だ、テストだ、有名校だと血眼(ちまなこ)になるのではなく、「丈夫な体とまっすぐな心の持ち主になることが、最も大事だ」と教えてやり、「いい仕事をし、社会に貢献し、幸せな家庭を築くことが大切だ」ということを知らせてやるのが父親です。

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

4月

『「思いあがり」と「思いやり」』

 親と子のコミュニケーションがうまくいかなかったり、また断ち切れてしまっているのは、どうやら“自分中心の心”が原因のようです。親は子供の心に温かな思いやりを育てたいと願っています。そのためには、この“自分中心の心”を徐々に取り除いて、慈悲心に基づいた親の愛情を少しでも多く、子どもたちに注いでいきたいものです。子どもたちも、こうした親の思いやりを求めているのです。

 つまり、「思いやり」とは、道徳心―低いやわらかな広い心で、相手の立場に立った心づかいと行いをいうのであって、利己心に基づいた自分中心の考え方や行動は、「思いあがり」といえるのではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

3月

『心づかいのモラル』

 心づかいのモラルは、いつでも、どこでも、どんな人でも実行出来るものです。今、自分がしていることに心を添えていけば、いつでも、どこでも、だれにでもできるモラルです。

 たとえば、挨拶でも、本当に心を込めて言えば、家庭でも、学校でも、職場でも見違えるように明るくなるでしょう。

 また、心づかいのモラルは、健康で元気な人しか実行できないというものではありません。病気で寝ている人でも、感謝の気持ちで看病を受け、周りの人の幸せを祈ることによって、多くの人が慰められて、健康の人以上に大きな影響を与えることができるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2月

『思いやりの“かけはし”』

 家庭は、子どもの命と心を大切にはぐくむ場所です。子どもの心に思いやりの心を育てるためには、親がその見本を示していくことが必要です。

 父親が母親に、「毎日の家事、ご苦労さん」というねぎらいの言葉をかける姿、母親が父親に「毎日、お仕事ご苦労さま」といたわる姿、その両親の姿を見て、子どもたちの心にも思いやりに心が育つのでしょう。

 夫婦、親子の間に、思いやりの“かけはし”ができれば、幸せの家庭へと一歩近づいたといえるのではないでしょうか。そして、そんな家庭から、子どもたちは社会へと大きく羽ばたいていき、よりよい明るい社会を築いて行くのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より


2010年1月

『あの人』

 「あの人がいるだけで明るい雰囲気になる」「あの人のためなら、どんな努力も惜しまない」「落ち込んでいるときでも、あの人に会えばやる気が出てくる」「あの人がいるから、私は生きる勇気が出てくる」…。

 私たちの周りには、たくさんの人がいます。けむたい人、ちょっと苦手(にがて)な人もいます。でも、それ以上に、私たちを支え、見守り、思いやってくれている「あの人」が大勢いるのです。今まで私たちが生きてこられたのは、そのように支えてくれる人たちのおかげではないかと思います。そして、これからは、自分が他人にとっての「あの人」になるときです。自分も、他人を支え、見守り、思いやる「あの人」になれるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

12月

『「聞く」より「聴く」』

 家族というものは、一つの屋根の下で生活しているため、当然心はつながっているという錯覚を、私たちは持ちやすいものです。心が通じ合ってると思っていることが、実はうわべだけで、本当のところは心がつながっていないということがあるのではないでしょうか

 心が通じ合うために大切なことは、何といっても対話です。ところが、うわべだけで聞かれているとしたら話しているほうは欲求不満になります。身近にいる間柄であればあるほど、お互いにストレスがたまります。ただ何となく人の話を「聞く」というのではなく、相手の言うことを聞こうと思って「聴く」姿勢が大切です。お互いに相手を思いやるためにも、具体的な努力が必要です。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

11月

『自分のことのように相手を思う』

 「忍耐」や「頑張り」、あるいは「正義感」や「真面目」といった、一般的にはよいことと考えられることも、それらが強く出すぎてしまうと、身勝手な独善に変わってしまうことがあります。「熱心すぎる」ために不熱心な人を打つ、「正義感が強すぎる」ために相手の欠点が許せない、そんな「固い心」になりやすいのです。

 この固い心は、ともすると独善的になり、立場や思いを顧みず、自分中心で身勝手な態度や行動を起こします。人を打つ、責める心ではなく、相手を自分のことのように大切に思う温かい思いやりの心が、人と人、心と心を結び付け、よりよい生活につながり、よりよい社会を築いていく力となっていきます。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

10月

『寛大すぎるのは思いやりではない』

 ‘まだ子どもだから’とか、‘若いからしょうがない’とか、‘そのうちに分かるだろう’と、子どもや考えの浅い人の、よくない言動に対して寛大な人がいます。いかにもおおらかにみえますが、場合によっては、かえって思いやりがないということもできます。注意をせずにそのままにしておくと、自分の間違いや欠点に気がつかず、誤りがますますエスカレートしていくおそれがあります。

 ですから、親とか、職場の上司とか、先輩の立場にあるような人は、子どもや後輩の間違いや欠点を見聞きした時には、すぐに、その人の将来の幸せを願う心と温和な言葉で、注意したり正しい道を教えてあげるのがよいのです。これがすなわち真の思いやりです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

9月

『見えない親心』

 親心は、「金山の金」にたとえられます。金山は地肌が出ていて、かえって普通の山よりみすぼらしいものです。しかし、その岩石から金が採出されるので、金山として尊ばれているのです。

 親も、人間ですから、頑固だとか、口やかましいといった性格・個性があるのは当然です。しかし、その奥にはキラッと光るものがあります。わが身はどうなろうとも、この子を生かしたいという親心です。これが「金山の金」です。

 その親心という、いちばん大切なものの存在に気づけば、不平や不満は、感謝の心と恩返しの精神に変わるはずです。親は子のすべてを心にかけて心配しています。ですから、その親の恩に報いるいちばん大切なことは、親に安心を与えることです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

8月

『自分の気持ちが分かってくれる人がいると
自分らしさが発揮できる』

 私たち人間には、自分の気持ちを分かってくれる人がいるということが大切です。自分の気持ちを分かってくれる人がいると、その心は安定し、伸び伸びと自分らしさが発揮でき、みずからの手で創造的な人生を切り拓いていくことができるものです。

 私たちの心には、人を受け入れようとする心があります。相手が子どもであっても大人であっても、だれであっても、相手を受け入れよう、相手を理解しようとする心のはたらきは、生かせば生かすほど、より大きく、より強くなっていきます。

 人と人とが理解し合い、人と人とが許し合い、人と人とが喜びを与え合う─そんな人と人との関係を、もっと大きく広げていきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より


7月

『自分の人生だからこそ人のために』

 中国の古典『尚書』に「人心これ危うく、道心これ微かなり」とあります。道徳心は、私たちの心にわずかにあるものだと言われています。道徳心は階段を一つ一つ上がっていくように、心の中に絶えず積み重ねていくことが大切です。普段の生活の中にある小さな思いやりの実行の積み重ねが、その人の品性をつくっていくのです。

 「いつから?」ではなく「気づいた今から」、「どこから?」ではなく「自分の身近なところから」スタートしましょう。

 自分の人生だからこそ、人のために社会のために自分を役立てることが、自分自身の喜びを見いだすことになるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

6月

『温かい心はまず自分から』

 人間というのは、自分が相手を嫌って冷たい心で接すれば、相手からも嫌われますし、反対に温かい心は、同じようなレベルの心づかいを、お互いが引き出し合っているといえるのではないでしょうか。別の言い方をすれば、自分の心の中にある思いが、他人の中に見えてしまうということでしょう。

 これはちょうど、ラジオは選局がひったり合ったところで初めて聞けるし、テレビはチャンネルを合わせなければならないのに似ています。おなじ、合わせるのであれば、お互い気持ちのよいレベルでぴったり合わせたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

5月

『お互いによいところを見つける』

 夫が頼りなく見えることもあるでしょう。妻が魅力なく映ることもあるでしよう。しかし、本当は違うのではないでしょうか。気にかけて夫の長所を見、妻の美点を見ていないのではないでしょうか。もし、そうであるとすれば、その妻も、その夫も、大きな損をしていることになります。よく注意して、互いのよいところを発見し合ってはどうでしょう。

 「あっ、夫はこんなすばらしいものを持っている」「あっ、妻にはこんなにステキなところがある」と、互いのよいところを見つけることができたら、どんなに心楽しくなることでしょう。そこをジーッと見続けることができる夫婦は、末長く幸せであり続けることでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

4月

『動物園の象』

 ある動物園の子象は、柵の外に出たい一心で、何度も乗り越えようとしますが、柵があるためできませんでした。やがて挑戦することをあきらめ、柵の中だけで生活するようになりました。それから月日は流れ、子象は立派な大人の象に成長しました。柵もゆうゆう越えられるほど大きくなったのですが、乗り越えようとしません。結局その象は、その後も柵を乗り越えようと挑戦することもなく、そのまま一生を送ったということです。

 これと同じようなことが、私たち人間にもあるのではないでしょうか。簡単に乗り越えられる柵なのに、自分自身の考え方のクセで、つい難しい、できないと考えてしまったり、あきらめていることが意外に多いのではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

3月

『常に支えられている「自分」』

 私たちの人生は、常にどこかで誰かに支えられているものです。それを、まるで一人で生きてきたかのように思ったときに、思わぬ“迷い道”に踏み込んでしまうのではないでしょうか。たとえば、自分の力を過信して、自分の好き勝手に生きようとしたり、人を無視するような生き方をしてしまいます。ですから、いつもそのことをふり返り、支えられている自分を確認しましょう。

 さらに、支えてくれている多くの人々に感謝の念を持つことができれば、自然に「その人々に何かお返しをしたい」「自分も誰かを支えられるようになりたい」という気持ちが生まれてくるものです。そして、この気持ちが、暗く沈んだ心を前向きな心に変えてくれることになるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2月

『喜びは心の持ち方ひとつで』

 毎日の生活が、たとえ、同じことの繰り返しであっても、自分の受けとめ方によって、すっかり変わってしまう場合があります。

 今まで「つらいなあ」とか「嫌だなあ」とか「つまらないなあ」と感じていたことの中にも、自分の心の持ち方ひとつで、喜びを見いだすことができるのです。そして、新しい自分を発見した人は、生き生きと生き始めて、周りを見る目も変わってきます。そうすると、きっと、自分の家族や友人や同僚が、今まで以上にかけがえのない大切な人だと感じられるのではないでしょうか。

 このような喜びや感動は日々の生活の中でこそ見つけだせるものなのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2009年1月

『食文化の精神的基盤』

 「いただきます」は、「食べる」という言葉を丁寧語にしたものであり、また、「さあ、いっしに食事を始めましょう」という合図でもあるのです。同時に、その食事を与えてくれた、

 一、神仏の恩
 二、天地自然の恵み
 三、食べ物を作った人や、料理してくれた人の苦労
 四、食べ物そのもの
 五、一家の生計を支えてくれている父母(祖先を含む)

への感謝の心がこもっており、これがわが国の食文化の精神的基盤になっているのです。

  私たちは、この「いただきます」「ごちそうさま」という言葉と、そこに含まれている感謝の心と形を、子どもや孫たちに大切に伝えていきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

12月

『「半分しかない」と「半分もある」』

 たとえば朝食のとき、子どもが手を滑らせてコップに入っていたジュースをこぼしてしまったとしましょう。そんなとき、親はどのように対応するでしょうか。「何をしているの、気をつけなさい! こんなにこぼしてしまって、あと半分しかないじゃないの」と叱ってしまえば、せっかくのおいしいはずの朝食が、涙まじりの悲しい味になってしまいます。

 こんな言い方もあります。「あら、ジュース、こぼしてしまったの、残念だったわね。でもまだ半分も残っているわ。これから気をつけようね」同じことを言っているのですが、言われた子どもの気持ちはどうでしょう。悲しみに沈んで一日をスタートするか、笑顔でスタートするか、その違いはどこから生まれてくるのでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

11月

『補い合ってこそ夫婦』

 イギリスの聖職者トーマス・フラーは、「結婚する前は両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」と言っています。

 これは、「結婚する前には、しっかりと両目を開けて相手の長所も欠点も、よく見ることが必要だが、結婚したら、片目を開けて相手の長所をよく見て、片目を閉じて相手の欠点を見ないようにすれば、お互い仲良くしていける」ということを言ったものです。

 欠点を見ないということは、ただそれだけでなく、夫婦の間では、お互いに相手の欠点を補い合う心がけが大切だということまで含んでいると考えます。このことは、夫婦に限らず、一般的にもいえることであり、大切なことです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

10月

『話の聞き役になる』

 昔から‘話し上手は聞き上手’と言われます。始めから終わりまで、自分のことを一方的に話し続ければ、相手はうんざりしてしまうでしょう。どんなにうまく話しているように見えても、そういう人は話し上手とはいえません。

 聞き側に回るということは、相手に温かい関心を持つということです。温かい、心からの関心を持って相手に接すれば、相手も心を開いてくれます。こちらの話にもよく耳を傾けてくれるようになります。そこで本当の会話が成り立ち、相手の気持ちを察することも容易に出来ます。聞き上手になるように心がけることは、察しの精神を深めるうえで、きわめて大切なことです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

9月

『行いに心を添える』

 スリッパを次の人が履きやすいようにそろえておくことは、エチケットの本にも書いてあります。そして、私たちもそのようにしています。では、その行為に込められている心づかいはいかがでしょう。「次に履く人が気持ちよく履けるように」というこころがあったでしょうか。「こうしないと、この家の人に、エチケットも知らない人だと笑われるだろう」という心はなかったでしょうか。

 “ひとつの行いに心を添える”ということは、なかなか出来にくいことです。形ができてくればくるほど、形の上ではスムーズに動くようになるものですが、T人のことを思うUという心は、忘れがちになりやすいものです。行いにも、相手を思いやる心を添えたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

8月

『「オアシス」を実行しよう』

 私たちが円満な人間関係をつくっていくには何が大切でしょうか。それにはまず、「おはようございます」「ありがとうございます」「失礼します」「すみません」というような挨拶をすることでしょう。この「オアシス」を実行することが第一歩です。

 また、オアシスの「ス」に、さらに「スマイル」を加えることもできるでしょう。人と人が挨拶や言葉を交わすことは、人の心を開く最初の鍵なのです。人と挨拶をしない一日を考えてみてください。とても孤独な思いになるはずです。挨拶はお互いの心と心の交流が生まれる第一歩であることを理解し、まず自分から声をかけてみるようにしたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

7月

『相手を気づかう』

 相手は、自分とは違うのですから、相手を尊重するためには、自分の立場から見るのではなく、相手の立場に立ち、相手のことを理解できなければなりません。

 といっても、100パーセント相手の立場に立てないのが私たちですから、いかに相手を気づかうことができるかということが大切なのです。その相手のよいところ、尊敬できるところを見つけ出し、理屈で尊敬するのではなく、プラスのイメージ力を十分に発揮して、「相手のよいところ」を想像しながら、応対するのです。

 それにはまず、損得や自分がどう見られるかといった考え方をあらためていく努力が第一歩となります。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

6月

『人に尽くす気持ちを育てよう』

 自分の子どもが、どんな人間に育ってほしいかを、真剣に考えてみましょう。自分のことは失敗せずにうまくできても、他人のことに無関心な人間では困ります。失敗もするけれど、人を思いやる気持ちや人のために尽くす気持ちにあふれた人間に育ってほしいものです。

 子どもは親の姿を見て育ちます。親が「速く、きちんとできるのが成功」「遅くてへたなのは失敗」という基準にとらわれて、他人を思いやる気持ちを忘れて生きていては、子どもにも人を思いやる気持ちは育ちません。親自身が、目先の成功・失敗にとらわれず、人を思いやり、人に尽くす気持ちを少しでも自分の心の中に育てようという精神で生活することが大切ではないでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

5月

『思いやりの心を投げかける』

 心のキャッチボールとは、まず相手の心を素直に受けとめ共感することから始まります。そして、今度はこちらから、温かい思いやりの心を投げかけていくことが、行動を起こす第一歩です。このような温かいふれあいによって、お互いの心と心は通い合っていきます。

 私たちは、いろいろなかかわりの中で生かされ生きています。まずそのことに感謝し、他の人の幸せを祈り、温かい思いやりを少しでも実行に移していきましょう。それが心のキャッチボール、心と心の通い合いです。その実行の積み重ねは、私たちの人生、私たちの社会をより明るく豊かなものにしていくことでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

4月

『言葉で施す』

 仏法に「無財(むざい)の七施(ななせ)」という教えがあります。その中の一つに「言施」つまり、言葉で施しができるとあります。人に、にこやかに挨拶をし、優しい言葉、なぐさめの言葉をかけることは、周りの人たちに、すがすがしさと心の安らぎを与えることになるのです。

 反対に、挨拶ひとつできず、話をすれば相手に嫌な思いをさせたり、寂しい思いをさせることは、毎日、罪を重ねていることになるのではないでしょうか。まして、人の悪口や捨て言葉などは、自分の品性を落としていることになるのです。

 日々のひと言、ひと言の積み重ねが、私たちの人生の幸せに大きくつながっているといえるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

3月

『よい結果をもたらすまごころ』

 私たちの言葉も、行為も、目に見えない心から出てきます。

 わがままな心をもっていれば、言動は自分勝手なものになります。思いやりに満ちたまごころをもっていれば、言動は相手の気持ちを配慮し、相手に喜びを与えるやさしいものになります。

 わがままな心も思いやりに満ちたまごころも、どちらも、言葉となり行為となって、人に伝わっていきます。しかし、どれほど多くの人に伝わり、どれほど多くのところへ広がっていっても、よい結果をもたらすものは、思いやりに満ちたまごころなのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2月

『失う前に感謝』

 失ってみてはじめて、失ったものの大きさや大切さに気づくことがあります。物の豊かさの中にあっては、物があることが当たり前になり、なかなか感謝することは難しいものです。

 しかし、失ってからありがたさを感じても、失ったものを取り戻すには大変な努力が必要です。健康であることや家族が楽しく団欒(だんらん)できることの幸せに感謝して生活することが大切です。

 感謝することによって、心にゆとりも生まれ、周囲に対する優しさもにじみ出てくるものです。それらのやさしさに触れ、それを自分も持ち続けようと努力したときから、昨日までとは違った自分を感じるに違いありません。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2008年1月

『聴き上手』

 相手の立場を考え共鳴することは、野球にたとえると、相手のボールを自分の「心のグローブ」でキャッチするということでしょう。どんなボールでも、まずしっかりと受けとめることです。心のキャッチボールのポイントは、まず何よりも受け上手(じょうず)。すなわち「聴(き)き上手」であるということでしょう。

 “聴く”というのは、“聞く”とは少し意味合いが違います。“聞く”は音声を耳に感じるとか、ただ聞こえるという意味です。一方、“聴く”の「聴」は、受け入れる、待つ気持ちで注意して聞くということで、「ゆるす」「したがう」という意味もあります。つまり“聴く”は、相手の立場に立って、相手の心をしっかり受けとめるということになるのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

12月

『今できることから』

 私たちは、心を開くことによって、何か温かいもの、素晴らしいものを受けとめるることができます。相手のひと言で、温かい笑顔で、ちょっとした行いによって、自分自身の喜びを見いだすことができます。何を選択するかは、私たちの心次第であり、その鍵は自分自身が持っています。

 私たちの生活の中には、楽しいことや嬉しいこと、ありがたいことが沢山あるはずです。人から何かをしてもらって嬉しかったり、ありがたかったことがあれば、今度は自分が他の人との関わりの中で、その思いを生かしていってはいかがでしょうか。心を楽にし、ほんのちょっとの勇気を出して、今できることから取り組んでいきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

11月

『北風と太陽』

 イソップ物語の中に、「北風と太陽」という話があります。北風と太陽が、旅人の着たコートを脱がそうと競い合った結果、冷たい風を激しく吹きつけた北風よりも、温かい春の日ざしをやさしく当てた太陽が旅人のコートを脱がすことに成功したという話です。

 一般にこの話の中の北風は、冷たく厳しい非難を、太陽は、温かい思いやりや賞賛を表しているといわれています。つまり、「思いやりを発揮する側が相手の下に立って支える」という心づかいが望ましいのです。「理解する」という英語は「アンダースタンド(understand)」で、「下に立つこと」を示しています。下に立って支える心づかいで思いやりを発揮してこそ、それが相手に素直に伝わり、理解され、お互いの心が通い合うのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

10月

『相手の能力に気づく』

 自分の基準で相手を見ていると、自分とは違うやり方が目に付いてしまい、自分が苦しむ事になってしまいます。相手を深く理解しようとする気持ちになってはじめて、ひとり一人がそれぞれに素晴らしい能力を持っていることに気が付くのです。

 たとえば、会社の部下に対して、ひとり一人を深く理解しようとして努めてください。
仕事が遅いと思っていた人は、じっくりと丁寧に仕事をしている事が分かります。雑な仕事をすると思っていた人は、物事をテキパキと処理していく能力があることに気づくものです。

 自分の基準ばかりで見ていると、人の能力に気づかなくなってしまうことを理解しておきたいものです


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

9月

『家庭のモラル』

 ほんの小さなことにも「ありがとう」の言葉を添えたいし、また、「ごめんなさい」と謝る心も大切です。人間にはだれでも失敗があり、そうした弱さを持つことで、私たちはまたお互いに愛し合っていることができるのでしょう。もしまったく失敗のない、完全な人間がいたとしたら、愛するよりも恐れてしまう、つまり近よりがたい人なのではないでしょうか。みんな欠点だらけです。その欠点を、許し、見せ合ってしまう場所が家庭でもあるのです。お互いに許し合い、いたわり合うところに家庭のモラルが成り立つのでしょう。

 「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」、そうした小さな言葉、ちょっとしたいたわりこそ大切にしましょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

8月

『感じる力を育てるために』

 人は、自分にとって関心のあるものしか見ていないといわれます。同じ景色を見ながらも、人によって感じ方がずいぶん違うことがよくあります。

 人間は、本来感じる力を持っているのですから、感じられないというのは、感じることへの関心が低いということです。つまり、感じることより考えることを大切にしてきた結果なのです。考えるときは、感じる力は極端に弱まります。

 人の話を聞くとき、話の内容ばかりに注目するのではなく、その人はどういう気持ちで話しているのだろうと、分かろうとしながら聞いてみてはいかがでしょう。また、心を穏やかにし、自然の趣(おもむき)を感じれば、きっとあなたの生活を豊かにする声が聞こえてくるはずです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

7月

『思いやりの心を生かす』

 人間関係において大切なことは、相手の立場を考え、相手の幸せを願う心づかいをすることです。このような心づかいが基本となった行いこそ、相手の心に通じ、周囲の人にも温かい思いを与えることができるのです。日々の小さな行いの一つ一つに、幸せな人生を築く大きな手がかりが含まれています。そのことに気づけば、思いやりの実行に勇気を持って積極的に取り組んでいこうという意欲が湧いてくるのではないでしょうか。

 私たちは、思いやりの大切さについてはよく知っています。しかし、口で唱えるだけで、思いやりの実行をおろそかに考えているのではないでしょうか。大切なことは、人と人とのかかわりの中で思いやりの心を生かしていくことです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

6月

『役に立つ人間になれ』

 ある父親は子育てについて、次のように振り返って言いました。「他人や社会に迷惑をかけないような人間になってほしいと願い、子育てをしてきたが、今になって考えるのは、どうして“人のために役立つ人間になれ”と言って育ててこなかったのかということです。迷惑さえかけなければよいという、消極的な生き方ではなく、もっと積極的に人のために役立つような人間に育てるべきでした」。

 今、社会問題となっている子ども同士のいじめなども、一つは、親自身が子どもの社会性や心の育成を軽く見た結果のように思われてなりません。親、特に父親は、子どもの将来のためにも、人のために役立つことを自分自身が率先して行い、範を示していきたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

5月

『自分自身を知る』

 自分への信頼と自信が成長の糧(かて)となるなら、自分を卑下し悲観的になることや、自分を短所や欠点が多い人間だと思うことは、逆に成長を鈍らせることになります。

 本人が欠点と思っていることでも、他人から見ると、そうとは感じないことがあります。たとえば、自分は記憶力が劣ると思っている人を、テストで測定してみると、平均と比較しても劣ることがない場合が多いそうです。むしろ、自分は劣っていると感じていることが問題なのです。

 自分をつまらない人間であると過小評価するより、自分が欠点と思っている「欠点」のとらえ方を変えてみてはいかがでしょうか。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

4月

『相手を思いやる心を育てよう』

 韓国には「カササギの餌」という言葉があります。どんなに貧しいときでも、秋の日に実る柿を全部取ってしまわず、一つ二つはカササギのために残しておく、その“ゆとりの精神”を韓国の人は大切にしてきました。かつて貧しかった日本にも、同じような話や精神がありました。この心は、豊かになったからといって、捨ててしまってよいものではありません。

 豊かな時代ゆえの、心の歪(ゆが)みや貧しさも指摘されている今日、むしろ貧しい時代の日本で発揮されていた“相手を思いやる心”をもう一度取り戻し、子どもたちの心の中に育てていかなければならないでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

3月

『考え方を変える』

 私たちは、多くの場合、相手に対する怒りとか、自分も相手も不快にさせてしまうような感情で物事を考えがちです。そのような考え方で日々を過ごしていて、自分の心の中に喜びが生まれるのでしょうか。不快な感情よりも、喜びや楽しみなど、幸せな感情をたくさん作っていくほうが、気持ちのよい毎日を送ることができるのではないでしょうか。

 喜びの感情をつくる方法は簡単です。物事を否定的に考えるクセがある人は、その反対の肯定的に考えればいいのです。今、「そんな難しいこと、私にはできない」と思われた方は、その考えを変えて、「そんな簡単なことでいいのなら、私にもできる」と考えてみてください。これを、いつも心がけて、考え方のクセにしていくのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2月

『「できる人」と「できた人」』

 「できる人」というのは、頭がよく、実行力・指導力もあり、よく仕事のできる人のことをいいます。一方、「できた人」というのは、人柄、つまり人間性のすぐれた人をいいます。仕事もできて人柄もよいのがいちばん望ましいのですが、「仕事のできる人」という場合は、ややもすると高慢になりやすく、長い間には仕事や人間関係がうまくいかなくなる場合があるものです。

 やはり、仕事さえできればよいというのではなく、常に周りの人に思いやりの心で接し、相手の立場に立って考えてみる謙虚さを失わない、心のゆとりを持つことが、「できた人」になるための大切な条件の一つといえるでしょう。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2007年1月

『道は必ず開ける』

 私たちは、だれしも幸せな人生を送りたいと願っています。そして、人生を順調に平穏に送っていけるなら、それにこしたことはありません。しかし、それまでどれほど恵まれ、順風満帆(じゅんぷうまんぱん)であっても、いつ荒波にもまれるか分からないのが人生というものです。

 「神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない」といわれます。また、「幸福や不幸は心の持ち方によって生じる」ともいわれます。私たちは、逆境の中にあっても、すべての出来事を感謝の心で前向きに受けとめていく「心の訓練」を続けていくことが大切ではないでしょうか。そのような心づかいで日々生活していれば、たとえどんな困難に遭遇した場合でも、必ず道は開かれていくものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

12月

『シンパシーとエンパシー』

 思いやりとは、ただ一時的な感情をさすのではありません。

 健康な人が、病人を見て“かわいそうだ”とか、また、ある会社が倒産してしまい“気の毒だ”と思う気持ち、さらには、強いものが弱いものに対して、幸せな人が不幸な人に対して持つ、いっときの感情はシンパシー(同情)と呼ばれるものです。

 思いやりは、相手の苦しみや悲しみを自分の苦しみ、悲しみとして受けとめるエンパシー(共感)であるとともに、その苦しみや悲しみを解決するために、何らかの力になりたいという思いが込められています。そして、そういう思いが、態度や行動に表れていくことが“思いやり”なのです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

11月

『まごころは、おのずとよい結果をもたらす』

 「無我」の心とは、私心のない、純粋で温かなまごころのことです。他の人に対する、まじり気のない思いやりの心です。

 私たちがまごころで行動するとき、よい結果が得られます。いや、“得られる”のではなく、“生まれる”のです。まごころは結果を求める心のはたらきではありません。まごころに計算はありません。しかし、まごころは、それがはたらくとき、伝わり、広がって、自分だけではなく、周りの人々へ、さらに社会に、おのずとよい結果をもたらします。

 私たちは、自分の心の中に、もっともっとまごころを培い、そのエネルギーを使える人間になりたいものです。


                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

2006年10月

『 挨拶で心を開こう 』

(^o^)

 「どうぞ」「ありがとう」という簡単な言葉さえ、今、はっきりと言える人が少なくなりました。

 新約聖書に「口は心に満ちたものを語る」と記されていますが、「どうぞ」も「ありがとう」も、謙虚さや感謝の気持ちがあってこそ出てくるものです。挨拶の聞かれない職場の雰囲気がギスギスしたものになるのは、当然でしょう。

 挨拶は、次のような気持ちで交わしてこそ、相手とも心が通じ合うのです。


 あ : 愛と感謝を込めて

 い : いつでも、だれにでも

 さ : 先に自分のほうから

 つ : 続けて、いつまでも

(^o^)

                           「ニューモラル 心を育てる一日一語」より

(^o^)